夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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70代、80代、90代と自分らしく生きる方法、79歳の私は、真摯に学び・・。

2024-01-24 16:10:14 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフージャパンが配信しているニュースの中で、
『 都知事選出馬!の70代から90代のヨタヘロ期まで、
      老いのステージを樋口恵子が和田秀樹に赤裸々に語る
  』、
と題された見出しを見たりした。 

この記事は、1月22日に於いて、

本当の「健康寿命」を知れば、人生設計が大きく変わる!、79歳の私は学び、やがて微笑み・・。

大べストセラー『80歳の壁』著者の精神科医・和田秀樹さんと、
90代のいばら道を痛快に切り開く評論家・樋口恵子さんの対談の続編である。
 

前回、
敬愛している

このデータは、国民健康保険中央会が算出していますが、
令和3年の調査結果によると、65歳男性の平均余命は16・5年の81・5歳。
そのうち、自立している期間が、80・0歳までとなり、自立できなくなった期間が1・5年でした。

65歳女性では、平均余命は22・6年の87・6歳、
自立している期間が84・3歳まで、自立できなくなった期間は3・3年でした。

つまり、男性80・0歳、女性84・3歳までは、要介護2未満で、
ある程度自分のことは自分でできるということ。

これは、厚労省の「健康寿命」とは、大きな開きがあります。
私はこちらのほうが、実態に近い「健康寿命」ではないかと考えています。

今回も、敬愛しているお二人の対談を真摯な学びたく、
記事をを読んでしまった。

 

都知事選出馬!の70代から90代のヨタヘロ期まで、老いのステージを樋口恵子が和田秀樹に赤裸々に語る(樋口 恵子,和田 秀樹)

都知事選出馬!の70代から90代のヨタヘロ期まで、老いのステージを樋口恵子が和田秀樹に赤裸々に語る(樋口 恵子,和田 秀樹)

「老いが怖い」と思っている人へ、「老い」の達人が初タッグで、「幸齢者」になる秘訣を語り尽くします!! 大べストセラー『80歳の壁』著者の精神科医・和田秀樹さんと、90...

+αオンライン | 講談社

 

 
 

☆現実は現実はピンピンとコロリのあいだにヨタヘロ期

樋口恵子さん

健康寿命という言葉が広まった背景には、
長生きするからには、人様に迷惑をかけちゃいけない、健康じゃなくちゃいけないという、
強迫観念のようなものがあるんじゃないかと思います。

生きているかぎりは、ピンピン元気にすごしてコロリと逝きたいという、
ピンコロ願望が、ものすごく強いですね。

ピンピン元気で、急にコロリと逝ったら、それは突然死ですと、
和田さんもご著書に書かれていましたが(笑)。

ともあれ、私も含めた多くの人たちが、健康寿命という言葉にふりまわされて、
なんとしても、ピンピンじゃなくちゃダメと思わされてきました。

けれど、実際に年をとってみますとね、ピンピンなんて、言っていられなくなるの。
程度の違いはありますが、それはどうしようもないことだと思います。

それで、私、ヨタヨタ、ヘロヘロの「ヨタヘロ期」って言っているんですけど。

和田秀樹さん 

ヨタヘロ期、ですか。


樋口恵子さん

広島の「高齢社会をよくする女性の会」の代表で、
春日キスヨさんという家族社会学の研究者がいらっしゃいます。

介護保険があっても、さまざまな理由で使うことができない
対応困難者の相談員をもともと長いことやっていらして、非常にいい提案をなさってきました。

その方が、『百まで生きる覚悟』(光文社新書)のなかで、
「ピンピンコロリなんて幻想だ」と書いていらっしゃいます。

見ているとピンピンコロリと逝く人は、
倒れて半年以内に亡くなる人まで入れるとしても、
せいぜい10人か5人に1人だって言うんです。

実際は、ピンピン、コロリではなく、
ピンピンの次に、ヨタヨタ、ヘロヘロになって、ドタリと倒れる。
それから年の単位で、寝たり起きたりしているというんです。

なるほど、身の回りを見渡してみると、
ピンピンのあとに、ヨタヨタ、ヘロヘロの時期がたしかにあるなと思いました。
その言葉をいただいて、私は「ヨタヘロ期」と名づけたわけです。


☆70代、80代、90代と自分らしく生きる方法

和田秀樹さん 

年をとるにつれて、昔ほど体が自由に動かないとか、
若いころほど頭がパパッと回らないとか、早口でしゃべれなくなったとか、
そういう現象が増えてくるのは、当然のことです。

あるいは、フレイル(虚弱)という要介護の前段階の状態も、
樋口さんの言うヨタヘロ期に含まれるかもしれません。

フレイルには、筋肉が衰えて、日常動作がしにくくなる身体的なフレイルや、
気力がわかないという精神的フレイル、
社会のなかで、孤立してしまう社会的フレイルがあります。

フレイルを予防するために、運動や栄養などの対策も、
さまざまに研究されてきています。

こうしたフレイルの状態から、
もう少し進んだ軽い要介護状態までが、もしかしたらヨタヘロ期に当たるのでしょうか。

 
樋口恵子さん

ヨタヘロ期の厳密な定義はないんです。

あくまでも私の感覚ですが、だいたい要介護2くらいまでと、言えるのかもしれません。

今の私が要支援1。
車いすをいちいち出すほどではないんですが、以前より歩くのが、ゆっくりになりました。
言葉も若いころのように、パパッとは出てきません。

おそらく80代半ばごろから、ヨタヘロ期に突入し、今は中堅のヨタヘロです。
これからもっと熟練の域に入っていくでしょう。

このようにヨタヘロ期にも、70代、80代、90代と時間が経過するなかで、
濃淡のグラデーションがあります。

そして、これが最も大事なことなんですが、
ヨタヘロしていても、モノやサービスを賢く活用しながら、
自分らしく生活していくことができるということなんです。

健康でなくなったらオシマイではなくて、
ヨタヘロになってから、始まる人生もあるということなんです。


和田秀樹さん

そうです、そうです。
道をゆっくり歩いている高齢者を邪魔に思うような人がいれば、
「あなたもいずれは、こうなるよ」と言ってやればいいし、
「ヨタヘロしてても、こんなことができるぞ」と見せつけてやったらいいと思いますよ。



☆都知事選に出馬するほど元気だった70代

樋口恵子さん

70代は、まだまだ元気というお話がありましたが、私の場合も絶好調でした。

65歳から、いちおう「高齢者」ということになりますが、
私は70代だからって気にすまい、と思っていたんです。

先輩方を見ていても、70代は男女を問わず精一杯働いてきた方がたくさんいます。
ああいいなと思って、私も70代は精一杯働こう、
70代は老いの働き盛りである、なんて肩で風を切ってきました。

70歳のときには、東京都知事選にも出馬しました。
東京育ちで、口は達者。

昔から喧嘩なら任せとけっていう感じでやってきましたが、
都知事選は、これまでやってきたことを社会に対して、
お返しできる最後のチャンスだと思って、精一杯やりました。

すると、今までは敬遠していた考えの合わない人や嫌いな人も応援してくださるわけ。
本当にありがたいなと思って。
私ももっと感謝しなくちゃいけないとあらためて思いました。

そんなこんなで大忙しでしたから、老いのマイナス側面なんか見ないで、
70代でいかに元気に働けるかというプラスの側面ばかり見ていこうと思ったら、
けっこう元気で乗り切れちゃいましたね。


和田秀樹さん

そうですよね。
私もたくさんの高齢者を診てきましたが、70代はまだまだお元気です。
高齢者と呼ぶのも、はばかられるような人も多いです。


☆ある日突然、瀕死の病に

樋口恵子さん

ところがね、やってくるの。
調子に乗ってやりすぎたら、ある日、ひっくり返ってね。

救急車で運ばれて、何だったかと言いますと、感染性胸腹部大動脈瘤。
77歳のときです。

和田秀樹さん

ああ、それは、よく生還されましたね。
胸部大動脈というのは、体のなかで最も太い血管で、腹部大動脈へとつながっています。

それらの血管に文字どおりコブができるのが、胸腹部大動脈瘤という病気です。
破裂するまで無症状のことが多く、破裂すると残念ながら亡くなってしまうことも多い。


樋口恵子さん

循環器の専門病院である榊原記念病院に搬送され、夜中に緊急手術をしました。

ほんとに痛かったですよ、あれは。
手術そのものではなくて、切ったあとの痛いこと、痛いこと。

呻いていたら担当医が、
「ごめんなさいね、この手術はね、世界でいちばん痛い手術なんですって」
と言ってニコニコ笑ってるんですよね(笑)。

大変だったですけれど、このあとケロッと元気になっちゃってね。
体重は7キロ減りましたが、
「コブをとって、大太りから小太りに。これがホントのコブトリばあさん」なんてね。



☆本当に救われた! 介護保険のリハビリ

和田秀樹さん

手術後、どのくらい休まれましたか?

樋口恵子さん

仕事は1ヵ月ぐらい休みましたね。
そのときつくづく思ったのは、介護保険という制度があって、本当によかったということ。

介護保険以前の日本は、高齢化が年々進んでいくなかで、
寝たきりや認知症の高齢者が増加し、限られた公的サービスでは、
とても対応しきれませんでした。

「介護は、家族がするもの」という固定観念のもと家族の“美談”が称えられるなかで、
あちらこちらに介護地獄と呼ばれる状況があり、
その地獄のど真ん中で孤軍奮闘していたのが、嫁と呼ばれる女性たちだったのです。

都市部では、家庭でみられない“社会的入院”の高齢者が、
老人病院のベッドに寝かされ、付き添いさんがひとりで、
数人の患者さんの食事介助やおむつ交換をしていた。
その悲惨さたるや。

なんとしても介護の社会化を実現し、介護保険制度を作らなければ、
この国は老いることが不幸になってしまう。
そう思って活動したことが、こんなかたちで自分に返ってくるとは。

よくしたもので、病院からきちっと私の住む地域に連絡がいって、
重篤な病気だから、必ずリハビリテーションの提供をするようにと。

要支援1と認定されて、半年くらいリハビリに通いました。
これが実によく効いて、日常生活動作は、倒れる前とほぼ同じくらいに、回復しました。
「ああ、いい世の中になった」とみんなにも言われましたよ。

その後、介護認定で自立、と判定されるまでになり、晴れてリハビリ終了となったわけです。

私自身は、介護保険制度の設立の議論にもかかわっていたのと、
かかっていた病院と地域の連携のおかげで、スムーズに利用できましたが、
よく知らない人は、戸惑われるかもしれませんね。

あのとき連携がうまくいかず、すぐにリハビリを開始できていなかったら、
足の筋力が衰えて、もしかしたら、もっと老化が早まってしまったかもしれません。

高齢者のなかには、介護保険は申請しないと、利用できないことを知らない人もいます。

要介護と認定されると、「強制的にバスが迎えに来て、デイサービスに連れていかれる」なんて、
大変な思い違いをしている人もいました。

高齢になると何があるかわからないので、
元気なうちに介護保険制度をはじめ、地域で受けられるサービスなど、
一度きちんと学んでおいたほうがいいと断言いたします。



☆筋肉の衰えが引き起こすリスクを知っておく

和田秀樹さん

胸腹部大動脈瘤という大変な病気から、回復されたこともよかったですが、
その後、リハビリも成功したというのは、本当にすばらしいですね。
というのも、高齢者の入院というのは、病気の治療だけでなく、入院生活そのものがリスクになるんです。

ベッドで安静にすごす時間が長くなると、
筋肉はあっという間に痩せ、しっかりと歩くことが難しくなります。

ベッドに横になっていると、体がそれに慣れてしまい、
立ち上がったときに起立性低血圧を起こしたり、
飲み込む力が衰えて、誤嚥性肺炎なども起こしやすくなります。

体だけでなく、認知機能が低下したり、意欲が衰えていくのも、怖いことです。

こうしたリスクを避けるために、
病院では早期離床といって、できるだけ早くベッドから起こして、リハビリを導入しています。

樋口さんの場合は、病院と地域で連携がうまくいき、継続的なリハビリが功を奏したわけですね。

次回は25日公開! <「足腰」や「記憶力」より先に衰えるものとは? 40代から要注意な老化を自己チェック>です。

■『うまく老いる 楽しげに90歳の壁を乗り越えるコツ』は絶賛発売中!
ヨタヘロの「老いの実況中継」を通して、読者に励ましや乗り越えるコツを伝える樋口恵子さん御年91歳。

対談相手の和田秀樹先生は、高齢者専門の精神科医として、
耐える高齢者ではなく、人生を満喫する生き方や実践方法を説いて、大きな支持を受けています。
そんな「老いの達人」2人が初タッグを組んだ話題の対談本です。‥》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。


やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、しばらく経過観察したく・・
と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院した、苦い体験がある。

そして幸運にも、この後は再発はなく、今日に至っている。



平素、おだやかなに年金生活を享受しているが、
やはり高齢世代は・・と何かとプラス思考の私でも、微苦笑を重ねながら、
過ごしたりしている。

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