先程、読売新聞の医療・健康・介護サイトの【yomiDr.(ヨミドクター)】を見ている中で、
『 [前田吟さん]狭心症(1)走ると胸痛
「あと1週間遅かったら危なかった」
とかかりつけ医に告げられ緊急治療 』、
と題された見出しを見たりした。
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
過ぎし2019年1月、元旦の2時過ぎに私は目覚めて、
まもなく左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
左側に寝返りしたり、或いは右側に寝返りをして、痛みに耐えたりした。
過日の10日前に、このような状態があったが、一時間過ぎた頃に解消したが、
今回は痛みが去らず、深夜2時過ぎから継続しているので、不安を増した・・。
やがて5時過ぎに、私は痛みが半減してきたが、
やはり、狭心症や心筋梗塞などのまえぶれであったら、
この後の私の人生は何かと大変だ、と思い、
救急車を呼んで、病院で早期治療を受けようと決意して、家内に伝えたりした。
やがて、私たち夫婦は救急車に搬送されて、
私は総合病院の日産厚生会『玉川病院』で緊急治療を受けて、
痛み止めの薬を頂いたりした。
そして男性医師から、あなたが通っている最寄りの内科医院に状況報告書を書きますが提出して下さい、
その後、心臓に関する専門病院で精密検査を受けて下さい。
こうした中で、耐えがたい痛みを発生した時、『ニトロペン錠』を舐(な)めて下さい、
と私たち夫婦は言われたりした。
やがて病院を辞して、病院前よりタクシーに乗車して、我が家に向かう車内の中、
『元旦そうそう・・救急車で病院に行き、応急治療を受けるとは、まさかの出来事だったょ・・』
と私は苦笑しながら、家内に言ったりした。
このような苦い体験のある私は、今回、俳優の前田吟さん・・
過ぎし年に狭心症に遭遇された記事・・学びたく、
記事を読んだりした。
《・・俳優の前田吟さん(79歳)は、
約20年続いたテレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」でも、岡倉家の長女の夫役としてお茶の間で知られる。
様々な病気を経験した。
その中で「最もしんどかった」のが2018年6月に治療を受けた狭心症だ。
始まりは、その少し前だ。
ある日の早朝、新幹線でゴルフ場に向かうため地下鉄を降り、
JR東京駅を目指して走っているときに、急に胸が痛くなった。
近くのビルで1時間近く休み、ようやく収まった。
その後も、映画の撮影所で、衣装に着替えて現場に小走りで向かうときや、
散歩中に胸が苦しくなった。
「これは、まずいな」。
テレビ番組で共演してから、かかりつけ医となった医師に相談し、
すぐに心臓の精密検査を受けることになった。
造影剤を注射して、心臓の様子を確かめた。
モニター画面の映像を見た医師は、検査の途中でこう告げた。
「吟さん、あと1週間遅かったら危なかった。
明日から、もう入院だよ」
狭心症は、心臓に酸素や栄養を届ける冠動脈が、動脈硬化などで狭くなり、
胸の痛みや圧迫感を招く病気だ。
左右に計3本ある冠動脈が、いずれも詰まっており、緊急治療を受けた。
「心臓が痛いことは、周りには内緒にしていたんだよね。
昭和の男は我慢しちゃう。
何とか生き残ることができた」・・ 》
注)記事の原文に、あえて改行など多くした。
私と同世代の前田吟さんが、過ぎし2018年6月に狭心症に遭遇したこと、
初めて学んだりした・・。
過ぎし2019年の元旦、私たち夫婦は日産厚生会『玉川病院』よりタクシーで我が家に帰宅した後、
家内が家内の母宅に介護に行く予定は、取りやめにして、家内の妹にお願いするわ、
と私は言われたりした。
結果的には、私は安静した状態で正月3が日を過ごすこととなり、
私たちは初めて静かなお正月を過ごすこととなるわねぇ・・と家内から言われたりした。
今回、やむなく生まれて初めて正月三が日は、安静の中、戸惑いながら過ごした・・。
お節料理の好みの単品を揃えてきたが、思いがけない病状に、何かとプラス思考の私でも、
失墜感で、うつろな状況で食べたりした。
或いは日本酒、ウィスキー、ビールを年末で準備完了であったが、
一滴も呑めない正月三が日は、二十歳以来初めての出来事となったりした。
やむなく日中のひとときは、寝室の布団の中で身も心も預けて、
本を読んだり、昼寝をして過ごした・・。
こうした中、今後の私の予定をめぐらしたりしていた・・。
正月三が日明けの4日は、最寄りの内科医院に私は行き、
日産厚生会『玉川病院』より状況報告書を内科医院長宛てに手渡した後、
この内科医院長より、大きな循環器専門の病院に紹介状を書いて頂く。
そして循環器専門の病院として、私たち夫婦は思案した中で、
都心にある東京医科歯科大学の附属病院の中に循環器内科に受診できれば、と願ったりした。
このように思案したりし、3日の夕食を家内と共に頂いた後、
やがて私は9時過ぎに布団にもぐり、本を読だりしている中、寝付いたりした。
そして10時過ぎ頃、左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
『玉川病院』の医師のアドバイスに基づき、『ニトロペン錠』を舌先で舐(な)めたりした。
やがて20分過ぎても鎮静化しなくて、やむなく2錠目の『ニトロペン錠』を舐(な)めたりし、
今回果たして『ニトロペン錠』鎮静化がするのだろうか、と思いながら、
痛みに耐えたりしたが、効果なく3錠目の『ニトロペン錠』を舐(な)めたりした時、
私は家内を起こして、救急車で病院に行く、と決意したのは11時半過ぎであった。
やがて救急車が我が家に到着して、救急スタッフの御方が昨今の私の状況を把握し、
循環器専門の府中市に所在する『榊原記念病院』を進言して下さった。
そして『榊原記念病院』に到着後、10数名の医療スタッフの中で、
私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、そしてCTスキャンなどの精密検査、
或いはレントゲン終えたのは、早朝3時半すぎであった・・。
やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、しばらく経過観察したく・・
と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院となったりした。
こうした中、痛みは当日の4日の夕方には解消したが、
集中治療室の専門部屋より、3名部屋、やがて4名一般部屋に移動したが、
予測した以上に、遥かに快適な部屋であった。
『私もタバコを喫っていましたが、やはり身体によくないと思い、
3年前にやめまして・・貴方もタバコやめることはできませんか・・』、
と私に言ったりした。
私は、困ったなぁ・・と溜息をしたりした後、
『これを機会に、タバコやめます!』
と私は担当医師に向かって言ったりした。
そして自身を鼓舞するように、人生は気合だ、と心の中で叫んだりし、
これを機会にタバコにお別れとなったりした。
こうした根底には、やはりタバコは身体に良くないと、担当の医師から進められて、
何かを断念しなければ、この先はないと思い、断腸の思いで禁煙したのは本音であった。
いずれにしても、体力の衰え、ときおり物忘れが増す中で、
お酒の節制、そしてタバコの禁煙・・、
断念しなければ、この先はないと思ったからである。
お酒の節制、そしてタバコの禁煙・・、
これ以降、
遅ればせながら健康体となったが、何かしら迫力の欠けた生活となり、
ときおり微苦笑したりしてきた。
こうした中、
と思い深めたりしている。
そして私の念願として、80歳の誕生日の時は
心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命で迎えられますように、
と時折祈願したりしている。
こうしたことは、もとより自助努力も欠かせないが、
こればかりは仏様か神様が采配することだよねぇ・・、
と何かとプラス思考の私でも思ったりしている。