夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

風光る中、わが街は『市議選』を迎え、無力な私でも有権者の責務として、清き一票・・。

2011-04-24 08:30:23 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
調布市の市民のひとりである。

たまたま本日、調布市の議員の改選が実施されるので、
私は指定された投票所で、清き一票を投票する・・。

私は政治にも疎(うと)く、調布市の行政も無知に近いひとりなので、
立候補者の公約などを深く精読し、この人だったならば、
今後の調布市の4年間の行政の一員として託(たく)すことができるかしら、
と思いながら立候補者の氏名を記載するのである。

私は調布市の選挙管理委員会から配布された『調布市議会議員選挙 選挙公報』を精読しりしたが、
定数28人の中で、立候補者数は33名であるので、
落選される方はお気の毒だなぁ、と微苦笑をしたりしている。


私は二十歳以来から、有権者の身でありながら投票されない人は、
日常の市民生活で不満があっても発言権がない、と固く信じているひとりである。

このような私は、雨上がりの快晴の中、午前中のひととき、有権者の責務として、清き一票を投じる。
この時節は、常緑樹は新芽を伸ばし、落葉樹は芽吹きが終わり、幼葉を広げはじめ、
みずみずしい新緑の情景となっている。
ときおり、微風が吹くと、新緑の葉は揺らいで、心身心地よく、
私は心の中でスキップしながら、歩くことが多い時節でもある。

私は徒歩10分ばかりの投票所に行った後、
スーパー、専門店に向かい、買物をして帰宅する予定となっている。


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過ぎし年、東北の南部地方を周遊し、桜めぐりを思い馳せて・・。

2011-04-23 22:54:53 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
早朝から小雨が降ったりやんだりした一日であり、やむなく本を開くことが多かった。

この麗春の時節、我が家の周辺は、染井吉野(ソメイヨシノ)、山桜(ヤマザクラ)は散り終わり、
八重桜(ヤエザクラ)が満開の彩(いろど)りの情景となっているが、
これからは桜花は北上するので、
東北の南部地方にみじかな旅行でめぐり逢えた桜花に思いだされた・・。


私達夫婦は、2005(平成17)年4月18日から1泊2日で、
東北の南部地方を桜めぐりの団体観光周遊ツアーに参加した。

『三春』の滝桜、『白石』の一目千本桜、『最上川』千本桜、『長井』の久保桜を含めた
6ヶ所の桜めぐりみじかな旅てあった。

私達夫婦は東北地方の南部地方に、桜の季節を訪ねるのは初めてであったので、
未知の世界でもあった。

    
郡山の近郊にある《三春の滝桜》は、一分咲きだった。

紅枝垂桜(べにしだれざくら)で樹齢千年以上いわれる大木で、
枝は支柱で支えら、里の中の斜面に忽然とあった。

見事な大木であったが、支柱に支えられるのを視ると、
何かしら痛ましいような感情をよぎった。

この桜の周辺は、樹齢50年以上の桜が30数本あり、
やはり一分咲きであったが、
清々しく、東北の遅い春を現(あらわ)していた。
肌寒かったが、観光客で賑わっていた。


その後、白石市のはずれにある白石川の川堤で、
数多くの染井吉野が七分咲きを見せていた。
観光客は少なく、市民の人たちで賑わっていた。

この川べりに7キロ近くわたって千本の白っぽくたわわな桜並木が続いている、
と市民の方から教えて頂く。
こうした情景を観ると、
地元に住まわれている市民の方たちの春の訪れを楽しまれているのに、
素朴な喜びを頂いた・・。


この地を後にして、宿泊先の蔵王温泉より高台にあるホテルに行くため、
スカイケーブルを乗り継いだ後、根雪が2メートル以上残っているので、
雪上車に乗る。

落葉したブナ林の中に、ホテルがあり、その周辺にドッコ沼があった。

浴室から、ブナの樹木を通し、
ドッコ沼が見え、根雪が沼に押し寄せていた。
雪解けのひとつの情景である。

       
早朝、部屋からドッコ沼を眺めた・・。
弱い朝陽がブナの樹木を照らし、
樹元の根雪は幾分薄く、少し離れた根雪は相変わらず厚く、
沼岸に押し寄せている。

沼の水面は、陽差しを受けて早春の漂いを見せていた・・。

ホテルをチェックアウト後、
スカイケーブルで下山する途中、蔵王温泉の街並みが快晴の陽だまりの中、
浮いているようだった。

バスの車窓からは、山形盆地の街並みが一望でき、
ここからの景観は何回見ても飽きない光景である。

盆地特有の山並みから緩やかな斜線の中での雑木林が観られ、
その山里には、切り開かれた畑があり、点在した人家が見られた。
盆地の底は、人家の多い街並みがあった。


最上川に面した白鷹町の付近にある河川岸にある千本桜は、
固いの蕾であった・・。
川の流れは急速で、ゆたかな清冷な流れでを見せてくれた。
やはりこの地は、東京の郊外より、
暦(こよみ)を一ヶ月もどしたような遠方な地であった。


長井市にある久保桜を観に行くため下車し、
歩き始めた時、田畑の道あぜの付近には、
土筆(つくし)、蓬(よもぎ)が見られた。
素朴な情景であったが、この後の江戸彼岸桜はどうでも良い、と思えた。

里の春の訪れを確かに受容できたので、
私は満足し、心が豊かになったことを自覚した。

久保桜は、一分咲きで樹齢千二百年の風格があったが、
先ほど見た土筆、蓬の方に、私は魅了された。

観光客は多く、地元の方が、この地で採れた蒟蒻(こんにゃく)を串刺しで、
烏賊(イカ)で味付けをしたのが、
家内はイカ味を工夫してあって美味しい、と言った。

私は地酒の試飲をした後、
純米酒は美味しくなく、やむなく原酒を買い求めた。


会津若松の鶴ヶ城公園の桜も、一分咲きであった。

その後、郡山の開成山公園に行き、満開の桜に出会ったのである。

桜はもとより、白木蓮、日陰の付近に辛夷(こぶし)咲き誇っており、
周辺一帯を白い花で染められていた・・。


旅の終わりに、たわわに咲く満開の桜の樹の下で、
家内と言葉を交わした。

『色々と観て廻ってきたが・・
ここで春一色とは・・予想もしなかったょ・・』
と私は家内に言葉をかけた。


このようなことを思い馳せたりたが、これからの時節、桜花はゆっくりと北上し、
東北の南部、北部、北海道の道南、そして道北地方を染めていく。
道北のオーホック海に面した地域は、5月の下旬の頃かしら、と思いながら、
それぞれの地域を訪れた旅先の情景に思いを重ねたりしている。


この前後、私たち夫婦は東北地方の各地に魅せられ、少なくとも20数回訪れたりしてきたが、
3月11日の東日本大震災で、大惨事の状況をテレビなど視聴したりすると、
愛惜を重ねて、しばし呆然としてきたのが、ここ一ヶ月半の日々でもあった。


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南関東でM7級の大地震が、今後30年間に70%の確率で起きると予測され、と知り私は戸惑いながら・・。

2011-04-23 13:05:18 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であり、
先ほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、
本当かしら、と思いながら真剣に読んだりした。

《 首都圏地盤に力、南関東のM7級誘発も…東大研 》

と見出しされた記事である。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
        首都圏地盤に力、南関東のM7級誘発も…東大研

東日本大震災で起きた地殻変動の影響で、
首都圏の地盤に力が加わり、地震が起きやすい状態になっているとの解析結果を、
東京大地震研究所のグループが22日、発表した。

解析結果は、大震災後に発生した地震の分布ともほぼ一致している。
同研究所では、国の地震調査委員会が今後30年間に
70%の確率で起きると予測しているマグニチュード7級の南関東の地震が誘発される可能性があるとして、
注意を呼びかけている。

同研究所の石辺岳男・特任研究員らは、
首都圏で過去24年間に起きた約3万の地震で破壊された領域が、
大震災でどのような影響を受けたかを解析。

地震が起きやすくなる力が働く領域は約1万7000で、
起きにくくなる領域の約7000よりも多いことが分かった。

震源が30キロよりも浅い地震は静岡県東部から神奈川県西部で、
30キロよりも深い地震は茨城県南西部、東京湾北部で起きやすくなっていることが判明した。

(2011年4月23日08時10分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110422-OYT1T00974.htm
☆【YOMIURI ONLINE】《首都圏地盤に力、南関東のM7級誘発も…東大研》☆


私は南関東地方の東京郊外の調布市に、結婚前後の5年間を除き、
61年ばかり住んでいる・・。

今回の記事を読みながら、英知結晶の東京大地震研究所のグループの方たちの予測は、
もとより真剣に受け止めている。

3月11日の東日本大震災の時も、
私たち夫婦は古惚けた築後33年の一軒屋に、家内と2人だけで住んでいるが、
我が家は防災に不備なことに気付かされた・・。

懐中電灯が2つばかりあるだけで、予備電池がないことも解かったりした。
そしてペットボトルの2リットルの煎茶が6本あるだけであった。

この後、改めて調布市から市民に配布された『調布市防災マップ』を見たりし、
注意事項をお互いに確認したり、
家内と共に買物に行った帰路に、指定された避難所の場所を近くを通り、確かめしたりした。

そして我が家は、そのうちに電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオを購入しょう、
と話し合ったりしている。

この程度であり、万一、大地震が発生しても、その時はその時に対処すればよい、
と私たち夫婦は思っているのである。

何よりも肝要の平素の日常生活をたんたんと過ごし、人生の余生を過ごせれば、
よいと思ったりしているのである。


このよう思いを深めたひとつの理由として、
ある著名人の方のひとつの随筆を20数年前に読んだ為か知れない。
この方のご夫婦は、伊豆地方の熱海駅から自動車で15分ばかりの高台の処に住まわれ、
もとより熱海駅は、東京駅まで新幹線で一時間で行ける利便性のある地である。

そして伊豆地方は、何かと地震の多い地でもあると知られているが、
百年に一回ぐらいの大地震を心配するより、
都心の山手線の線内の広尾、青山などの住宅地よりも、遥かに空気も良いし、展望も良いし、東京への利便性ある、
とこのような意味合いの発露されていた。

私はこの方のように富もないが、故郷でもある調布市の片隅に過ごせればよい、
と確信を深めたりしたのである。


尚、東日本大震災で悲惨状況のお方の前では、もとより言葉はないが、
このサイトで東日本大震災に関して、私は数多く投稿文の内容をお読み頂ければ、
私の本心は理解して頂ただけると思っている。


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だががタケノコ、されど筍(たけのこ)、私なりの筍(たけのこ)の深い思いは・・。

2011-04-22 22:07:11 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
夕食の時に、筍(たけのこ)を頂いたが、3日続きであったので、家内は少しあきれた表情となった。

私の住む家の近くの実家である長兄宅から、
この時節になると毎年のように筍(たけのこ)を頂いているが、
今年は一昨日の朝に持ち寄って下さった。

そして私が筍(たけのこ)は、この世の最上の食べ物のひとつである、
と公言していることを知っている家内は、
その日の夕食の一品として食卓に並べられた・・。


日常の私は、殆ど毎日、付近の遊歩道を歩いたりし、周辺の情景を眺め、
季節のうつろいを享受している。

ときおり遠方に散策したりする時、偶然に孟宗竹の竹林に出会った時は、
思わず足を止めて、しばらく眺めたりしている・・。

或いは国内旅行の旅先で、孟宗竹の竹林を観た時も、
私は時間が許す限り、眺めたりしている・・。

私の幼年期は、実家が農家で竹林を保有していた時代もあり、
私なりに孟宗竹の筍、そして竹林には深い思いでがあり、多少のこだわりがある。


このような心情を秘めている私なので、このサイトに於いて、たびたび綴ったりしてきた。

先ほど、私は過ぎ去った幼年期に思いを馳せていた時、
孟宗竹の筍なども読み返していた・・。



2007年7月2日に於いて、
【 ひととき夢の中で・・♪ 】と題して、投稿していた。

【・・
昨日と同様に、昼過ぎに塩野七生・著の『ローマ人の物語』(新潮文庫)第23巻を読んでいるが、
居間で簡易ベットに横たわりながら、
1時間程過ぎた頃、眠りに付いた・・。


私は東北新幹線のある駅からタクシーで15分走り続けた場所で降ろされた。
周囲は里山を背景に放置された田畑が幾重にもあり、広大な荒地となっていた。

ひとりの年配の老人が私に、
『あんたかいなぁ・・竹の物狂いのお人というのは・・』
と言った。

私は煙草を老人に勧めた後、私は煙草に火を点(つ)けた。

私はこの老人の方に熱弁を奮(ふる)っている・・。

日本の江戸時代から愛されている孟宗竹をこの地一面に植え、竹の文化村を作りたい。

平地の土地は、土壌を四尺ほど、改良し、
建物以外は公園のように遊歩道を設ける以外は、孟宗竹・・一色とする。

建物は筍(タケノコ)主体の専門料理店、筍の加工食料品所、
そして竹に関しての日常品から工芸品に至るまで加工所、販売店まで手がけたい・・。

お客さんは、駅からマイクロバスでお迎えして、
筍づくしの料理と里山で栽培した山菜を食べて頂いた後、
孟宗竹の中の遊歩道を散策して頂き、
お土産売り場で保存のきく筍、筍と山菜、そして竹細工の多種をお買い上げて頂く・・

『あんたぁ・・採算あうのかいなぁ・・』
と老人は私の言葉を遮(さえぎ)った。

『採算はギリギリですが・・
孟宗竹の四季の移ろいの美しさを観て・・その方なりに感銘をして頂ければ・・』
と私は老人に言った。

『そりやぁ・・そうだが・・
あんたに以前言った値段で・・売るよ・・
だけどもね・・あんたは・・夢を見るのがお好きな人だね・・』
と老人は苦笑しながら、私に言った。


私は目覚めた・・。
民間会社のサラリーマンを定年退職し、年金生活の私には、
無念ながら、このように気力も資金もない。

私は庭に下り立ち、雨の舞い下りる庭の樹木を眺め、
煙草を喫いながら、どうしてあのような夢を・・と思い返している。


私は東京の郊外で農家の児として生を受け、
父、祖父が亡くなる小学幼年期まで田畑、雑木林、竹林の中で育った。

竹林は、孟宗竹の専用とした2反程あり、5月頃には筍を青果市場に出荷し、
竹は秋の頃に竹細工の方達が買い求めに来宅していた、
このような記憶は、心の片隅に鮮明に残っていたる。

ここ50年ばかり筍を作られている場所を見たり、
テレビで視聴したりすると、
あれは本物の筍じゃない、と思ってたりしている。


私の幼年期に観た竹林は、前年の秋に根が浅くなった所を最低三尺掘り下げて植え直し、
春先には地割れと土壌が固くなるので、私達の子供は近寄れなかったのである。

4月の下旬から5月の初め、
地割れの箇所をたよりに祖父と父が専用のスコップで掘ったりしていた。
すべて地中で育ち、根元は最低15センチ以上あり、
少しでも地上に芽が出たものは身が固くなるので、
商品価値が激減するのである。

私は地上から5センチほど芽がだした筍は皮が黒ずむので、
子供心でも、カラス、と呼んでいた・・。


このような想いがあったのか、ときには考えられない夢を見ることがある。

齢を重ねた私は、今でも夢は甘く、ときには苦いものである。

・・】



そして、2006年5月6日にも、
【 タケノコ、されど筍(たけのこ)・・♪ 】と題して、投稿していた。


【・・
   第一章

以前、筍については、私はたびたび綴ってきた。

私の幼少の頃、竹林があり、青果市場に出荷していたので、
鮮明な思い出とこだわりがある。

地上から5cm以上、芽を出し伸びたものは筍じゃない、ということである。

私が大学入学後、ある体育系の部に所属した時、
同期の方が福井県、福岡県の友がいた。

このような話をしたら、半信半疑の目付きをされたので、困っていた。


私の新婚旅行の時、京都の筍の売り場を観た時、
15センチの高さ、根回りが5センチが3月末に売られていた。

私の実家では、少なくとも30センチ、根回りが10センチ以上が基準値であったので、
これが筍かょ、と感じた。

このような思いがあり、地方のお方は理解してくれるかしら、
と思い続けていた。

幸いにして、昨日の読売新聞で私の証言に近い記事があったので、
嬉しく感じ、記事を精読した。

      
     
   第二章

昨日の読売新聞の中、【彩事記】が随時掲載をされている記事であるが、
榊原智子・女史が綴られた記事を無断引用させて頂く。

《・・
今春は寒い日が多かったため、タケノコが生えてくるのが、
例年より遅くなった。
一番手の孟宗竹は、関東では4月下旬から頭を出し始め、
首都圏のタケノコ園ではこの連休に、
タケノコ狩りのピークを迎えているという。

タケノコの産地といえば鹿児島、京都、静岡などの暖かい地方が知られている。
中でも京都産は軟らかく味のよさで有名だが、
実は東京も、戦前まで京都と並ぶタケノコの産地だった。

とりわけ『目黒のタケノコ』は、知る人ぞ知る名産だった。
目黒区守屋教育会館・郷土資料室によると、
京都では土や肥料をふわりとかけて、軟らかいタケノコを育てるのに対し、
目黒では根っこのあたりまで深く掘り、肥料を加えては固く戻したという。
この作業を数回繰り返す独自の栽培法で、
身が締まり、味のいいタケノコを作っていた。

これが《初物好き》の江戸っ子の間で人気となり、
値段が高騰したため、質素倹約を求めた天保の改革(1841~43年)では、
『早い時期の掘り出しはダメ』と禁制まで敷かれたという。

それほど盛んに栽培されたタケノコだが、
関東大震災の後に郊外に広がった宅地開発や、
高度経済成長期の都市の拡大で、タケノコ畑はじりじりと減少。
(略)
・・》

東京の郊外の私の実家でも、程々にひろい田畑を耕していた農家は、
竹林を保持し、筍を青果市場に出荷していた。
竹になったのは、竹細工の業者が買いに求めに来た、記憶が残っている。

目黒方式と違うのは、秋になり、根が浅くなったのを、
最低50センチ前後、深く掘り、枯れた竹の葉、肥料を施して、地中に埋めた。

地上は生育した竹以外は黒土1色で、冬を越え、春の4月頃に地割れを見つけ、
専用のスコップで掘り出した。

この間は、子供は竹林に入ることは、足跡、靴跡が残るので、厳禁となっていた。

芽が地面より5センチ以上になったものは、柔らか味が薄れるので、
買取り価格が安くなり、家庭で食べたりしていた。

特にこれ以上伸びた筍は、竹の皮が黒ずみ、
子供の私さえ、カラスと呼び馬鹿にしていた。

東京の郊外は、地中でいかに大きく育てあげるかが鉄則であった。



   第三章

東京の郊外は、東京オリンピック以前にどの家も筍の青果市場への出荷は終えた・・。

わずかに竹林はあるが、かつてのような手入れがされず、
ただ伸ばし放題の竹林が残っている。


このような形の竹林は、まだ私が小学生の頃、
付近の崖に面した傾斜地に著名な小説家の邸宅があった。

傾斜に竹林が密集し、下方に池があった。

私は小学3年ぐらいの時、下校の時に遠廻りし、この脇道を通った時に、
この小説家が難しい顔して池を見詰めていた。

『あれが芸術家かょ・・難しい顔しているが・・
竹は生え放題・・孟宗竹のこと解っていないなぁ』
と子供心に内心呟(つぶや)いた・・。

後年、高校生になった私は駅前の本屋に行った時、
店内の壁面に色紙と写真が掲げられていた。
そして、さりげなく《武者小路実篤》と明示されて折、
私はあのお爺さんが、と気づかされたのである。


私は筍を出荷した竹林は、ある程度に間引いた上、黒土の1色で春になると、
筍が出やすい状況のこだわりがあった。

孟宗竹が密集し、その間から筍が出てきて、
地上から10センチ以上に成育した時に、収穫するのは邪道と思っている。

こんな思いもあるが、
実家でもわずかに残した手入れが行き届かない竹林から、
毎年10本前後生えてくる。

子供の頃、カラスと馬鹿にしたのを実家から、毎年頂いている。

かってのような整備された孟宗竹の群生を旅行先で見かけると、
私は少し涙ぐんで、立ちすくんだりしている・・。
      
・・】



これ以前にも、2005年4月24日に於いて、
【 筍(たけのこ)が食卓に・・。 】と題して、投稿していた。

【・・
昨日、長兄の宅より大きな筍を頂いた。
家内は、早速台所で筍をむき始めた。

遠い昔、私が幼児であった頃、祖父、父が農家をしていたので、竹林が二反あった。

秋になると、地表に根が出そうになったのを三尺近く堀起こし、地中深く根を埋めていた。
次兄と私は、穴が掘られたのを子供心にいたずらをし、父によく怒られた。

春先になると、この竹林に子供が入るのを禁じられた。

柔らかな地表が微(わず)かな地割れを見つけて、筍を掘り出すためであった。
この微かな地割れを二、三尺を堀り、やがて大きな筍を掘り出した。

芽が地表にだしたのは、柔らか味が出てしまい身が固くなるので、カラス、と呼んでいた。
このカラスは、値が下がるので、家の人々の食卓にのせられた。
地中にあった良質の筍は、市場に出荷していた。

それから残した筍は、日増しに大きくなり、若い竹となり、
子供心でも著しい成長を眺め、感嘆した心を躍らせていた・・。


夏になると、ひんやりした竹林に入るのが、私は好きだった。
田畑の暑い中、この竹林は涼しく、ときたま風が吹くと、
さわさわとした葉ずれの音を聴き、心地よいひと時を感じたりした。

秋のある日、竹細工の方が買い付けにきたりした。

この頃、孟宗竹で籠(かご)、笊(ざる)、作物入れ用とかで何処の家も使われていた。

その後、昭和28年に父が亡くなり、まもなく祖父も他界した。


私の家は、この後に急速に変わり、竹林も無くなった。

今、長兄の宅は、五、六坪の竹林に留めている。
手入れも昔ほど出来なくなったので、地表に出た、カラスを掘り起こしている。


あの香(かぐわ)しい情景は、東京のこの付近の郊外では消え去ってしまった。

今、庭に出ると、紅梅の根元の周囲には、蕗(ふき)の葉が微風を受けて、揺れている・・。

・・】


このように数多い筍、竹林の多い中、たった三つだけを再掲載したが、
私はテレビなどで筍を掘り起こす情景を偶然に視聴したりする時、
遠い昔の幼年期に見た筍とは、違いますよ、と心の中で呟(つぶや)きながら、
苦笑したりすることが多い。


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麗春の日中のひととき、今年初めての庭の樹木の剪定(せんてい)をして・・。

2011-04-22 17:40:03 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨日、明日の22日は曇りが予測されるので、樹木の枝伐(き)りをしませんか、
と私は家内から云われたりした。

我家は原則として、庭の手入れは私の責務の範疇であり、
ときおり草取りをしているが、落葉樹が圧倒的に多いので、樹木の剪定(せんてい)は、
春、入梅の合間、初秋、晩秋、年末の近く、樹木の剪定(せんてい)を行っている。

そして年に数回ぐらい家内の支援があるが、
家内は陽焼け、そして夏の時節は蚊(か)が発生するので苦手となり、
年末の近くは年末年始の準備に忙しく、対象外となっているのが実情である。

今朝、朝の6時は11度、昼下がりは18度前後、そして夜の始めの6時は16度前後が予測され、
日中は大半が曇り、ときおり晴れ間と報じられているので、
家内は陽焼け止めを顔にほどこしていた。

朝の9時半過ぎに、私はいつものように剪定鋏(ハサミ)を腰の周りに備え、
剪定用の鋸(のこぎり)を持ちながら、樹木に登ったり、適度な台に乗り、枝葉を切り落としたりした。

家内は付近の樹木を高枝鋏(たかえだばさみ)で、枝葉を切り落としていたりしているが、
ときおり、家内から、
私は樹木の枝葉を切り落としている最中に、
地上から、
『その枝の下の方から、切り落として・・』
と家内の指示の声がするのである・・。

我が家の敷地は変形で、家屋との関係で、やむなく玄関庭、主庭となっている。
そして、ここ10年、樹木の樹高は3メートル前後としている。
その前は6メートルぐらいもあったが、齢を重ねると余り高い樹の手入れが出来なくるので、
退職前の3年前頃に、植木屋さんに依頼して、徹底的に伐(き)りつめたのである。

しかし、落葉樹の雑木が多いので、季節が変わるたびに、伸長するので、
この間の適時に、剪定をしている。


昼食抜き互いに奮闘し、私は疲れを感じて、中止宣言をして、
枝葉を整理し終ったのが3時過ぎであった。

そして家内にお風呂に入ってもらい、
その間、私は庭の片隅で簡易椅子に座り、
ペットボトルの煎茶を飲みながら、煙草を喫ったりしている。

そして少しばかり小奇麗に成った樹木を眺めたりしたが、
半分ぐらい剪定が終ったので、来週の半ば頃に残りをしょうかしら、
と思ったりしている。

若き40代の頃は、5月の大型連休の時に、3日ぐらい朝から晩まで奮闘していたが、
無念ながら齢を重ねた今は、体力が衰えた、と苦笑したりした。


このように我が家のささやかな主庭、玄関庭は落葉樹の雑木が主体とした庭であるが、
季節ごとに情景の移ろい、30数年眺めてきたのであるが、
それなりにその年ごとの思いでも重なり、昨今は愛惜を深めている。


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日本の大人、子どもの一部の方たち、なぜ福島避難者に傲慢で卑劣な言動をするのか・・。

2011-04-21 23:41:06 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であり、
夕食の前、いつものように読売新聞の夕刊を読み、ひとつの記事に驚き、ため息をした後、
平素はおとなしいとご近所の方たちの評価を頂いている私でも、怒りに転じた・・。

《 福島避難者に心ない対応 》

と見出しされ、

《 教室で陰口、不登校に 》

《 福島ナンバーお断り 》

と大きく付記された記事である。

この記事に準拠したのが、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】にも掲載されているので、
無断であるが、この記事を転載させて頂く。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110421-OYT1T00520.htm?from=top
☆【YOMIURI ONLINE】《 福島ナンバー拒否、教室で陰口…風評被害に苦悩 》☆


私は夕飯を頂き、何事も平常心と思い、この記事を悲しみながら忘れようとしたが、
先ほど、思い返し、余りにも日本の大人、子どもの方たちの一部、福島避難者に傲慢で卑劣な言動をするのか、
といたたまれず、あえて一筆啓上とした。


もとより福島第一原子力発電所の度重なる事故で、付近周辺にお住まいの方たちは、
困惑して退避を余儀なくされ、避難所にお過ごしされたり、
或いはこの中の一部の方たちは、やむなく県外へ避難してきた住民の人たちなのである。

このような人たちに、なぜ日本の大人、子どもの方たちの一部が、福島避難者に傲慢で卑劣な言動をするのか、
私は理解に苦しむ。

『何かと大変な事態のこと・・テレビや新聞で知り・・お疲れのことと思います・・』
と避難してきた人たちに対し、大人の人たちは心快く迎えるのが、人としての最低の礼節なのである。

子どもである学童たちが、やむなく転向してきた学童には、
明るく爽やかな迎えるのが、たとえ子どもであっても、人としての道理である。

私はこのように卑劣な言動をとる学童は、少なくとも親御さんのしつけが悪いと確信する。
もとより直接の教育である授業は学校で学び、肝要のしつけは家庭で行うものである。


今回、このような言動をした人たち・・この先の人生の歩みの岐路の時、
天上の神々は良き采配をされるはずがない、と私は思ったりしている。

そして、今後に福島県を訪れた時、たとえ石を投げられても、非難できない人たちでもある、
と思ったりしている。

尚、読売新聞の記事の最後に、
財団法人の「放射線影響協会」の野村保・常務理事の談話が掲載されている。
「科学的に全く根拠のない風評被害で、
子供だけでなく大人まで混乱する事態は明らかに異常。

放射線は感染症のようにうつるものでなく、
公表されている空気中の放射線量も原子力安全委員会が健康に影響を及ぼさないと評価している。
一人ひとりが事実を正確に把握する姿勢が必要だ」
と専門家の方が明言されていたのを、付記する。


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本の整理を私なりに、大幅に見直して、日中のひととき行えば・・。

2011-04-21 17:20:04 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
築後33年の古惚けた一軒家に家内と住んでいる。
私たち夫婦は子どもに恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭となっている。

居間は17畳前後の洋間であり、本棚は3本と小さな本棚が1本あり、
和室の奥の書庫に3本あり、2階の洋室に1本あるが、
収納出来なかった本は押入れにある。

私は東京郊外の農家の三男坊として、1944(昭和19)年に生を受け、
小学校に入学した頃、確か本らしき書物は、農協の発行する月刊誌の『家の光』しかなかった、
と記憶としている。

小学5年の頃に、都心から移転されたきたサラリーマン宅があり、
隣宅であったので、呼ばれて行った時、
応接間に本棚の数本があり、私は別世界にまぎれこんだように驚き、
カルチャー・ショックを受けた。


私は高校に入学してまもない時、
突然に読書に目覚めたのは1960(昭和39)年の春であった。

その後、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をしたが、30代になった時を浮かべると、
とても家庭を持ち妻子を養うことが出来ないと思い、断念し、敗退した。

そして遅ればせながら民間会社に中途入社する為に、
コンピュータの専門学校に1年ばかり学び、
何とか大手の会社に中途入社できたのは1970(昭和45)年の春であった。

入社してまもなく音楽部門のひとつが、レコード会社として新設され、
私は異動を命ぜられ、情報畑を20年、管理畑を10年、
そしてリストラ旋風の中、出向を5年ばかりして、定年退職となった。

定年退職した直後は、小庭の手入れをしたり、家の中の整理を始めた・・。
たまたま若き頃に、映画・文学青年の真似事をした体験もあり、
小説、随筆、歴史書、現代史など本は5000冊前後、
ビデオ・DVDの映画作品は1000本前後ある。

そして現役時代に音楽業界のあるレコード会社に35年ばかり勤め、
製作畑ではなく、管理畑の片隅に勤めていたが、
少しづつ買い求めた結果として、カセット、CD、DVDの総数として3000枚前後となった。


定年後の年金生活に於いて、相変わらず本を買い求めたりし、
一年に一度ぐらいは、本の整理をし、
月刊総合雑誌の『文藝春秋』、『中央公論』などは、やむえず古紙として市の配送業者に出している。

所有している本は、小説、随筆、現代史、ノンフェクションなどが多いが、
若き頃はたとえ一食抜いてもお金をためて買い求めた本もあり、
捨てきれないのが多いのである。

しかし、私たち夫婦は、いずれはどちらかが片割れとなり、
残された方は、やむなく小さなマンションの転居のことも考えられるので、
私たちがお互いに元気のあるうちに、家の中にある物を少しずつ整理をしょう、
と昨今、私たちは話し合ってきた。

そして本日の日中のひととき、私は家内に手伝って貰い、本の整理をした・・。
現時点の思考で、再び読まないだろうと思う書物を最優先に選定し、
もう一度読むかしら、という迷う書物も本棚から抜き出し、
玄関で整理して、紐で束ねたりしたら、800冊ぐらいとなり、私は苦笑した。

そして今回は、本の整理をしている途中、文庫本コーナーの本棚の奥から、
山本夏彦・著の『世間知らずの高枕』、嵐山光三郎・著の『素人包丁記』、『温泉旅行記』などが、
出てきて、いつ頃に購読したのかしら、と思ったりした。

このように私は思ったりしていると、
『あなた・・夕方までには・・整理は終りませんよ・・』
と家内の声が聞こえたりしてくる。

『はぁ~い・・手伝って頂き・・ご足労をお掛け致します・・』
と私は明るく大きな声で、家内に返事したりした。


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ソフトバンク孫社長 「自然エネルギー財団」設立のニュース、無力な高齢者の私でも好感し・・。

2011-04-21 08:39:17 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
今朝、ネットでニュースを見ようとして【YAHOO! JAPAN】を開き、

《 孫社長「脱原発」財団へ  》

と見出しされたページを見て、私なりに興味があったので、クリックした。

《 ソフトバンク孫社長 「自然エネルギー財団」設立へ 科学者100人集めて政府に提言 》

と題され、【産経新聞 】から配信された記事と解かり、私は精読して、深く好感させられたのである。

無断であるが、転載させて頂く。

《・・
     ソフトバンク孫社長 「自然エネルギー財団」設立へ 科学者100人集めて政府に提言

                                 産経新聞 4月20日(水)17時49分配信

ソフトバンクの孫正義社長は20日、
太陽電池など環境エネルギーの普及を促進するため、
「自然エネルギー財団」を設置すると発表した。
世界中の科学者ら約100人に参加を促し、政府への政策提言などを行うという。

同日午後、開かれた民主党の復興ビジョン会合で明らかにした。

孫社長は福島第1原発の事故を受け、自然エネルギーへの転換を主張。
東日本大震災の被災地域を中心に「東日本ソーラーベルト」を作る構想などを提案したほか、
普及促進策として自然エネルギーで発電された電力の全量買い取り制度の導入も求めた。

孫社長は「太陽電池の輸出国として世界最大のソーラーベルトを作ろう。
もう一度日は昇る。希望あふれるビジョンを作ろう」と語った。


・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私はソフトバンクの孫正義社長は関しては、もとよりお逢いしたこともないが、
書物からは、少しばかり知っている程度である。

滝田誠一郎・著の『孫正義 インターネット財閥経営』(日経ビジネス人文庫)を初めとする2作、
そしてネットに関する本の中で、一部として取り上げられた孫正義氏の8冊、
或いは総合月刊雑誌、新聞などから、この方の言動を少し学んでいる。

このお方の圧倒的に優れたことは、具体的に先進性のある言動を実行することである。
数多くの難題に、大手企業、或いは財閥グループの経営者の多くは、
ためらい、周辺の状況を見ながら、重い腰を上げて、決断されるこど多く見られる。

孫正義氏はもとより会社を創業され、果敢に先進性で時代の変貌に成功している状況下であるが、
この先の決断が一歩誤れば、巨額な借入の奈落に落ち込んでしまうので、
これまでの数多くの経営者の方たちは、無難な舵取りをされてきたことは歴史上からも圧倒的に多い。

こうした中で、周知の通り十二分に成功された方であるが、
あえて果敢に先進性のある時代を切り開らこうとする言動に、私は感動さえ覚えるのである。

私が今回のニュースを知り、
たまたま野尻哲也(のじり・てつや)氏が『ウォール・ストリート・ジャーナル』に、
『問われる日本のエネルギー将来像』の寄稿文を読んで、
日本の総合的に電力に関する社会システムについて、現状と次期の課題を具体的に明示され、
私は数多く教示を受けた。

そして、私はつたないなりに喚起させられて、
【野尻哲也(のじり・てつや)氏の『問われる日本のエネルギー将来像』、私は多々教示され・・。】
と題して、このサイトに4回に及び投稿してきた。


こうした野尻哲也氏の『問われる日本のエネルギー将来像』の優れた提示を読めば、
誰も漠然と感じながら、模索はできる方もいると思えるが、
孫正義氏は明確に自然エネルギーへの転換を主張し、
個人として10億円拠出され「自然エネルギー財団」設立されたことは、
私は好感させられたのである。

そして、孫正義氏は東日本大震災に際して、過日に個人として100億円を寄付され、
たとえ創業の巨額な利益があったにせよ、こうした瞬時の感性の決断に、
無力な高齢者の私は、秘かに賞賛したひとりであることを付記する。


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サイモン&ガーファンクルのそれぞれの歌は、私の青年期の終わりと重なり、微苦笑しながら・・。

2011-04-20 17:36:29 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、
29面の最下段の右側に、

《 あれから40年・・。あなたは何処で何をしていましたか? 》

と詩のような文を思わず読んだりした。

そして、この下段に、

《 サイモン&ガーファンクル 

     『明日に架ける橋(40周年記念盤)』 》

と大きく明示され、私はソニー・ミュージックの広告だよねぇ、と瞬時に理解できた。

そして、この広告宣伝を見ながら、
この《 あれから40年・・。あなたは何処で何をしていましたか? 》は、
たぐい稀(まれ)なフレーズと私は感心した。

http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/sg/
☆【ソニー・ミュージック】サイモン&ガーファンクル『明日に架ける橋(40周年記念盤)』☆


そして私は、この広告を見ながら、
サイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』が日本で発売された頃は、
私にとっては青年期を終わりを告げるような時期と重なり、
このアルバムとそれ以前に愛曲した歌が思いだされた・・。


私が地元の調布市立の小・中学校を卒業して、
都心にある私立の高校に入学したのは、1960(昭和35)年の4月だった。
小・中学校時代は兄2人が成績が良く、何かしら気後れと劣等感にさいなまれ、
劣等生のグループに属していた。

兄たちの全く関係のない高校に入学し、
都内の中学校を卒業したクラスの生徒の多い中で交流を重ねたりし、文学、歴史、地理、時事に興味を持つ生徒となり、
写真部に所属し、風景写真に魅せられていた。

そして、初めて本気で勉強に励んだり、高校の2年ぐらいまで優等生のグールプの一員となった後、
安堵したせいか、小学高学年からたびたび映画館に通った習性が復活したり、
女子部の生徒と新宿御苑で木陰で手を握りドキドキしながら付き合ったり、
或いは友人の宅に泊りがけで遊んだりしたので、
成績はクラスで10番め程度に低下したのである。

この頃の私は、写真、映画へのあこがれが強かったのであるが、
日大の芸術学部には、ストレートで入学できる自信がなかったのである。


担任の先生に、進学の相談事を話した折、
『一浪して・・もう一度、真剣に勉強すれば・・合格はできると思うが・・
だけど、映画、写真を専攻し卒業したところで・・
この世界で食べていくのは大変だよ・・つぶしのきかない分野だからね・・』
と私は云われたのである。


結果として、私は安易な二流大学の潰(つぶ)しのきく商学部に入学したのは、
1963(昭和38)年4月であった。
体育系のワンダー・フォーゲル部で山歩きをしたりしたが、映画館には相変わらず通っていた・・。

秋になると、授業をさぼり、クラブも退部し、
映画館に通い、シナリオの習作、評論の真似事をしたりした。

そして、翌年になると、都心は東京オリンピックの開催年で、
日増し毎に都心の景観は、大きく変貌した・・。

私は9月下旬で二十歳となった時、
母と長兄の前で、大学を中退し、映画の勉強に専念する、と通告したのである。

東京オリンピックの開催中、私は京橋の近代美術館に於いて、
昭和の初期から戦前までの邦画の名作が上映されていたので、通い続けて観たしていた。

ある時、渋谷駅に乗り換えた時、街中から
『日本女子のバレーボール、金メダル・・』と聴こえてきた。


東京オリンピックが終り、翌年の1月から、専門養成所に入学した。
この養成所は、銀座のあるデパートの裏口に近いビルにあり、
『ララミー牧場』、『ボナンザ』などのアメリカ・テレビ劇を輸入・配給している会社で、
俳優・演出・シナリオ等の養成所も兼ねていたのであり、
確か俳優コース、演出コースに分かれていた、と記憶している。


指導の講師は、俳優・早川雪州を名誉委員長のような形で、
各分野の著名な人が講師となり、夜の7時過ぎより2時間の授業であった。

私は演出コースであったが、
日本舞踊で花柳流の著名な方から指導を受けたり、
白人の美麗な女性から英会話を習ったりしていた。

もとより、シナリオを学ぶ為に、文学の授業もあり、
著名な方から、川端康成の文学などを教えを受けたり、
シナリオ基本を学んだりし、同期の人と習作をしたりしていた。

この間に、アルバイトとして、養成所から斡旋をして頂き、
アメリカ・テレビ劇に準主役として撮影所に通ったりし、
この当時のアルバイトとしては破格の出演料を頂いたりしたが、
しかしアメリカ・テレビ劇の日本語訳の声優の真似事の採用試験には失敗していた。

こうして養成期間の一年は終ったが、
俳優志望の男性、女性にしろ、私のようなシナリオ・ライター志望にしても、
夢のような時間であったが、
これといって誰しもが一本立ちには程遠かったのである。

この後、ある総合月刊雑誌の契約している講師の方から、
取材、下書きを仕事を貰い、
私はノンフェクション・ライターの真似事を一年半ばかりした。
そして、この講師から、新劇の世界の人々と紹介を受けたりし、浅い交遊をしたりしていた。

こうしてアルバイトをしながら、講師のお方から新劇界方たちと交遊したりしていると、
映画界は益々衰退し、スタッフの方たちはもとより、ましてシナリオ・ライターの世界も先々大変であると、
改めて教示させられた。


私は文学であったならば、独り作業の創作なので、
小説習作に専念する為に、これまでの交遊のあった人から断ち切り、
ある警備会社に契約社員として入社した。

この警備会社の派遣先は、朝9時にビルに入り、翌日の10時に退社するまで、視(み)まわり時間以外は、
警備室で待機すればよい職場の勤務状況であった。

そして2人で交互にする体制で、
私が朝の9時に入室し、相手方より1時間ばかりで相互確認し引継ぎ、
翌日の朝の10時に退室できる25時間システムである。

私はこの間に、秘かに小説の習作時間と決め、働きはじめたのである。

こうした生活を過ごしながら、
私は文学月刊雑誌に掲載されている新人応募コンクールに3作品を投稿した・・。

私は根拠のない自信で、独創性と個性に満ち溢れている、と思っていたのであるが、
いずれも最終候補6作品には残れず、寸前で落選したのである。
私は独りよがりかしら、と自身の才能に疑ったりし、落胆したのである。

学生時代の友人達は社会の第一線で出て、私は社会に対しまぶしく、
根拠のない自信ばかり強くかったが、内面は屈折したりした。
そして学生時代の友人達は、社会に出て、逢う機会も次第になくなり、
何かしら社会からも取り残されたようになってきた。

このような折、親戚の叔父さんから、
『30代の時・・きちんと家庭を持てるの・・』
とやんわりと云われたのである。

私は30代の時、妻子をきちんと養い家庭生活を想像した時、
ため息をしながら、小説はじっくりと時間をかけて書けばよい、
と進路を大幅に変えたのである。


やはり定職に就いて、いずれは・・と思い、
新聞広告で就職募集の中途採用欄を見て、
ある大手の家電会社の直系の販売専門会社の営業職に入社の受験した。

この試験の帰りに、映画館で『卒業』を観た・・。
この頃、ラジオから『サウンド・オブ・サイレンス』がよく流れていた。
映画はこの曲を中心に流れ、私は魅了させられ、
初めてサイモン&ガーファンクルの歌声、メロディーに酔いしれた。

家電の営業職の中途採用は、その後は面接を2回ばかりした後、
幸いに2週間後に採用通知を頂いた。

このような時、近所の家電販売店の店主が、実家にたびたび来宅していた。
『あんたなぁ・・家電の営業・・といってもなぁ・・
余程の覚悟でならないと・・使い捨て・・消耗品なるよ・・
同じやるなら・・手に職を持った・・・技術だょ・・』
と私は忠告された。

私は社会に対し、中途半端な身であったので、技術職といっても皆目検討が付かなかった・・。
このような時に、本屋の店頭でダイヤモンド社のビジネス雑誌で、
付録として『三週間でわかるコンピューター』と題された小冊誌があった。

購入して読んだが、理工関係にも弱い私は理解出来ない方が多かった。
ただ漠然として、これからの企業ではコンピューターが伸長する、と理解していた程度であった。

この後、私はコンピューターのソフトコースの専門学校に1年間学んだ上、
ある程度の企業に中途入社しょうと思った。
同期の生徒は、高校を卒業したばかり理工方面に優秀な若い男女が多く、
私は遅れた青年のひとりとして、学んだ。

私は積分、微分には苦慮したが、授業を受けていく中、
コンピューターを操作していても処理時間に相当掛かるので、
空き時間があり、企業に入ったら、この時間を創作時間に当てようと思ったりした。

そして、近所の家電販売店の店主の紹介で、
この当時は、ある大手の音響・映像メーカーの会社の首脳陣のお方を知り、紹介されて、
このお方のご尽力もあり、1970(昭和45)年4月、私は何とか中途入社が出来たのである。

そして、現場を学べと指示されて、商品部に配属されたが、
まもなく企業は甘くないと知り、私は徹底的に管理部門のひとりとして鍛えられた。

この頃は、他社のCBSソニーからサイモン&ガーファンクルの『ミセス・ロビンソン』、『スカボロー・フェア』、
『サウンド・オブ・サイレンス』等が収録されたLP『サイモンとガーファンクルのグレーテイス・ヒット』をよく聴いていた・・。

そして究極のアルバム『明日に架ける橋』が発売され、レコードが擦り切れるくらい聴いたりした・・。

♪Sail on silvergirl、
 Sail on by
 Your time has comev to shine

【『明日に架ける橋』 song by Poul Simon】

私はガーファンクルの声でこの部分に触れると胸が熱くなり、思わず涙ぐんだりした・・。

私の彷徨した時代に終わり、遅ればせながら社会人としてスタートを切り、
そして海の彼方のアメリカの混迷した社会も思いながら、この曲を聴いたりしていた。

まもなく私の勤める会社の音楽事業本部の中のひとつの大手レーベルが独立し、
私はこのレコード会社に転籍させられ、企業の1年生として業務にのめり込んだ。

この年の夏、他社のCBSソニーのサイモン&ガーファンクルの『コンドルは飛んで行く』が流行し、
そして晩秋には作家・三島由紀夫が自裁され、私の青年期の終わりを確実に感じたのである。


まもなく私は、本社でコンピュータの専任者となり、改めて企業のサラリーマンは、甘くないと悟ったのである。
一人前の企業戦士になるために、徹底的に鍛え上げられる中、私なりに孤軍奮闘したりすると、
休日に小説の習作をする気力もなくなったのである・・。

そして、私は遅れた社会人なので、
業務の熟練と年収に、早く同年齢に追いつこうと決意し、私の人生設計を考え始めたのである。


この後の私は、長らくあるレコード会社に勤め続けて、幾たびか異動し、最後の5年は出向となり、
2004(平成16)年の秋に、定年退職を迎えたのである。


このようにつたない青年期の時代を綴ったのであるが、
大学を中退を決意し、企業に中途入社出来るまでの期間は、
ときには観たい映画、欲しい本を買う為に、食事を何度も抜いたりし困窮したことがあったが、
私にとっては、まぎれない心身の黄金時代だった、と深く感じたりしたのである。

人生二度あれば、ときには思ったりする時もあるが、
こればかりは叶(かな)わぬ夢であるので、私は苦笑しながら、
名曲のひとつ『明日に架ける橋』を聴いたりしながら、ほろにがい青年期を振り返ったりしている。


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『北極熊(ホッキョクグマ)とライオン・・どっちが強いの・・』と幼児から、私は訊(たず)ねられ・・。

2011-04-20 08:49:15 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であり、
久々に都心にある上野公園を散策し、突然に思いついたかのように上野動物園に入園した・・。

ひととおり園内をめぐり、百獣の王と知られている『ライオン』のいる柵の前に立っていた。
母親に連れられた5歳ぐらいの男の子が、私の近くに独り来て、
しばらくライオンを眺めていた・・。

『小父(おじ)さん・・先ほど見た北極熊(ホッキョクグマ)とライオン・・
どっちが強いの・・』
と私は見知らぬ男の子から、訊(たず)ねられた。

私は北極海に住む北極熊(ホッキョクグマ)とアフリカの広大な保護地域に生息するライオン・・
このような動物たちが、戦うことなんて想像の域を超えているので、
返答に困ってしまったのである。

やむなく私は、
『闘う場所によって・・変るの・・
熱いアフリカの草原で戦ったら・・ライオンが勝つよ・・
しかし、寒い氷の山のあるところで戦ったら、北極熊(ホッキョクグマ)だと思うよ・・
解かるかなぁ・・』
と私は男の子に諭(さと)すように言った。

『うん・・解かった・・小父さん、どうも有難う』
と私に男の子は言って、母親のいる方に行った。

私は男の子を後ろ姿を見送りながら、
あのような発想ができるのは、将来は創作家になれるかも知れない、と微苦笑した。


この後、私は上野駅に向うために、坂道を下って歩いていた時、
どうした訳か解からないが、民主党の政局を重ねていたのである・・。

首相官邸にいるオロオロとした管総理・・この周辺で雄たけび上げる小沢一郎・前代表・・

私は政治にも疎(うと)い身なので、もとより詳しい事情は解からないが、
国難の時に、政権与党の民主党は、一致団結し総力結集する時期なのに、
相変わらず権力闘争をして・・困ったなぁ、と思いながら、駅に向った・・。


ぼんやりと、私は目覚めて、夢だったかょ、と苦笑したのが、早朝であった。


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自転車でも、安全運転の義務を怠(おこた)ると、【罰則】として5万円以下の罰金、と私は知り・・。

2011-04-19 18:27:17 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であり、
昼過ぎにいつものように歩いて買物に行き、スーパーで買物を済ませて、
自転車が多く並ぶスーパーの前を歩いていた時、
ふたりの婦人警官がいて、ひとりの方がポケット・テイシューを私に手渡した。

帰宅後、ポケット・テイシューの表面には、チラシが添付されていて、
《 携帯は 自転車停めて 降りてから 》
と最上段に掲げられ、

この下段に
《 傘差し運転等の禁止 》 《 運転中の携帯電話使用等の禁止 》
と明記されて、
男性の方が自転車に乗った絵が、それぞれ様子が描かれていた。

そして、この下段には、《 【罰則】5万円以下の罰金 》
と明記されていた。

私は自動車の免許証も自主返納し、ここ30年ぐらい自転車にも乗らなかったので、
昨今は、自転車でも、安全運転の義務を怠ると、【罰則】として5万円以下の罰金になるのか、
と苦笑したりした。


この後、どのようなケースの場合、罰金になるの、と思いながら、
色々とネットで調べたりした。

《・・
☆自転車の傘運転

・安全運転の義務
道路及び交通等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない。
【罰則】
3ヶ月以下の懲役又は5万円以下の罰金

「傘さし運転」は「安全運転の義務違反」に該当する行為になると思われます。


☆歩道運転の場合

・自転車は、車道が原則、歩道は例外
歩道と車道の区別のあるところは車道通行が原則です。
【罰則】
3ヵ月以下の懲役又は5万円以下の罰金

但し、H20年6月1日より
「運転者が児童、幼児等の場合」「車道又は交通の状況からみてやむを得ない場合」を除く事になりました。

「今回の改正で、自転車が歩道を走れなくなった」と勘違いしている人が多数見受けられますが
「昔から歩道は自転車走行禁止」です。
今回の改正で「例外が追加されて一部緩和されただけ」で「一般人は歩道は自転車走行禁止」なのは変わりません。


☆車道は左側を通行
自転車はそれぞれの道路の左側に寄って通行しなければなりません。
【罰則】
3ヵ月以下の懲役又は5万円以下の罰金

・歩道は歩行者優先で、自転車は車道寄りを徐行
自転車が歩道を通行する場合は、車道寄りの部分を徐行しなければなりません。
歩行者の通行を妨げるような場合は一時停止、又は自転車から降りて押して歩きましょう。
【罰則】
2万円以下の罰金又は科料


☆飲酒運転は禁止
自転車も飲酒運転は禁止
【罰則】
5年以下の懲役又は100万円以下の罰金


☆二人乗りは禁止
6歳未満の子どもを1人乗せるなどの場合を除き、二人乗り禁止
【罰則】
2万円以下の罰金又は科料


☆並進は禁止
「並進可」標識のある場所以外では、並進禁止
【罰則】
2万円以下の罰金又は科料


☆夜間はライト点灯
夜間は、前照灯及び尾灯(又は反射器材)をつける
【罰則】
5万円以下の罰金


☆信号を守る
信号を必ず守る
【罰則】
3ヵ月以下の懲役又は5万円以下の罰金

蛇足ですが、今回の法改正では

「児童、幼児に自転車を運転させる場合、
保護責任者は乗車用ヘルメットを着用するよう努力しなければならない」

・・》

このように明記されていたのである。


この後、《 運転中の携帯電話使用等の禁止 》は、どうなるの、と思い、検索した。

《・・
自動車や原動機付自転車の運転者が走行中に、
携帯電話等を手で保持して通話したり、メールの送受信等のために画像表示用装置※を手で保持して注視した場合、
道路における交通の危険を生じさせなくても罰則の対象となります。
 ・ 携帯電話等を手で保持している場合
      罰則:5万円以下の罰金
      
 ・ 交通の危険を生じさせた場合
    罰則:3月以下の懲役又は5万円以下の罰金
・・》
と明記されていたので、自動車や原動機付自転車が対象であり、
一般の自転車は対象外か、と苦笑させられたのである。


平素、私は買物、散策をしたりすると、
ときおりバスも走る大通りの歩道を歩く時もある。

こうした時、歩道で携帯電話を通話しながら自転車に乗る若き男性、女性を見かけたりする。
そして、猛スピードか傘さしで歩道を走行する自転車に乗る方を見かけたりする。

私は高齢者の2年生の66歳であり、もとより後期高齢者の方たちは衰えた身が多いので、
私はあと10年過ぎた頃は、このような自転車に遭遇すると、
避けきれず、ケガをするのかなぁ、と私は昨今苦笑しながら、
自転車とすれ違ったりしている。


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野尻哲也(のじり・てつや)氏の『問われる日本のエネルギー将来像』、私は多々教示され・・。【下】

2011-04-19 15:59:49 | 時事【社会】
ウォール・ストリート・ジャーナル』に於いて、
野尻哲也(のじり・てつや)氏の『問われる日本のエネルギー将来像』と命題を掲げて、
4月15日、16日、17日の3回に及び寄稿された。

前回に続き、私は原発を含めて電力の全貌に殆ど無知なので、私と同様の知識の方たちと共有致したく、
あえて氏の寄稿文を無断であるが、転載させて頂く。

《・・
           【日本版コラム】問われる日本のエネルギー将来像(3)

                            野尻哲也のアントレプレナー・アイ
                            2011年4月17日 9:27


日本は資源が乏しいにも関わらず、その経済規模は極めて大きい。
このような環境下で、絶対的なまでに安定した電力供給を要求される電力会社・政策当事者のプレッシャーは、
計り知れないものがあるだろう。
これらの方々の使命感と努力無しには、戦後の高度成長を成し遂げられなかったかもしれない。
そして今日に至り、私たちは不自由なく電気を使うことができる。

この誇るべき功績の陰で、行政によって「護送船団」化された組織は、やがて制度疲労を引き起こしていく。
電力の安定供給と引き換えに担保された巨大な資金と権限は、
いつしか国民のためではなく、既得権益として自己目的化する。
そしてこれらを守ろうとする当事者たちの姿勢が、時代の変化への適応能力を大きく損なわせることになる。

過去には国鉄、日本航空といった公益企業が時代の変化に適応できず、
最終的に大きな改革を受け入れることとなった。
電力も、また然り。
日本の未来のエネルギーを真剣に築こうとするのなら、行政と産業の構造を根本から見直す必要がある。


☆エネルギー行政・産業の仕組みを変える

日本の電力会社には、制度上、2つの大きな特徴が存在する。
それは総括原価方式という特殊な会計方式と、電力事業の地域独占である。

総括原価方式とは、
事業にかかった総費用に対して一定比率で利益を計上し、これを電力料金として反映できるという仕組みだ。

これにより電力会社は、費用が増えれば増えるほど、利益金額が増えることになる。
高度成長期にはこれがインセンティブとなって電力会社は、
積極的に発電所を建設し、また都市部以外の地域への送電・配電を行うようになった。
その結果、見事な電力インフラが日本に構築された。

一方で総括原価方式は、経営効率化の足かせともなり得る。
仮に電力会社が経営努力によってコストを削減すると、
電気代は値下がりし、結果として自社の利益額も減少することになるからだ。

このため、現在のように時代が大きく変わったとしても、
電力会社は原子力のような重厚長大型のハコモノ投資を優先し、
他方では太陽光など小型で利益にならない投資に消極的になる。

これと共に政府からの補助金も同様で、
原子力であれば巨額の補助金を電力会社が一手に受けられるが、
例えば太陽光では、その電力供給者、つまり多くの場合は一般消費者が補助金を受けることになる。

この構造では電力会社が、原子力発電をほぼ絶対的な選択肢とするのは必然で、
彼らにとって自然エネルギーは「リスクだけ高い、全く旨みの無い話」ともいえる。


その上で、電力事業の実質的な独占性である。
総括原価方式そのものは電力だけではなく、水道や鉄道、バス、タクシー業界などにも適用されている。

しかし総括原価方式だからといって、
例えばタクシー業界がその費用と利益に応じて料金を値上げし過ぎると、
消費者は電車やバスなど他の代替手段を求めるようになり、結果的に利益を減らす可能性が高くなる。
つまり代替的な競争が存在するため、経営努力へのインセンティブはそれなりに働く。

翻って電力会社に関しては、
大口需要家向けの電力小売りが自由化されたものの、家庭向けを中心に依然として実質的な独占状態となっている。
そのため、利用者は電気代が値上がりしても節電するのが精一杯で、
電気契約を解約することは不可能に等しい。

この結果、電力会社は電気を供給さえしていれば、巨大な資金と権限を手に入れられるようになる。
一般的に言って、このような組織に経営努力を求めたり、環境変化への柔軟な適応を期待したりするのは、困難である。


☆今こそ電力の自由化促進を

こうして「何があっても倒産しない」という神話にたとえられるように、電力会社は肥大化した。
しかし衆知の通り、福島原発の事故によってその根幹が大きく揺らいでいる。

事故対応費や賠償金の総額は東京電力の総資産を超える可能性すらあり、
経営陣は何らかの形で事故への責任を取らされることになるだろう。
だがそれだけでは、根本的な問題は解決しない。


そもそもこういった構造を生み出したのは、エネルギー政策をつかさどる行政に他ならない。
そして監督省庁から電力会社への天下りが繰り返された過去は、周知の事実である。
この結果、行政による電力会社へのチェックアンドレビューは機能不全に陥った。


この現状に対し、事態の収束後には、政府と国民の手によって新たなエネルギー政策が描かれることを期待したい。
そこで何よりも重要なのは、
この硬直化した電力産業と行政の構造をひも解くことにある。
そのために最もパワフルな手段は、電力の自由化促進である。


電力には発電・送電・配電という3つの機能があり、
現在は電力会社によって実質的にほぼ独占されている。

このうち「送電(網)」は交通や物流でいう「道路」と同じであり、最も重要なインフラだ。
仮に発電事業に新規参入しようとも、送電網を電力会社が独占している限り、
自由に顧客に電力を届けることが出来ない。

従ってこれを機に送電網を国有化し、
発電事業者に対して安価に貸し出すことが出来れば、多様な発電手段を持った新規参入者が拡大することになるだろう。


また自由化に加え、国家予算の配分も見直しが必要だ。
エネルギーのような公益事業は、
やはり軌道に乗るまでは国・地域が支援しなければならない。

例えば原子力発電には、これまで数10兆円規模の補助金や電力会社の資金が投じられてきた。
その中には、完成が18回も延期されている青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場や、
いまだ実用化されていない高速増殖炉もんじゅが含まれている。

プルサーマル関連のこの2施設は、
既に国と電力会社で4兆円以上も投資してきたが、現在でもほとんど稼働していない。

仮にこの資金を太陽光発電の補助金としていたら、
4kWパネルの設置に50万円を補助するとして、800万件(年間発電量で320億kWh)の太陽光を設置できたことになる。

もちろん太陽光だけではなく、風力や地熱、バイオマスでも構わないが、
おそらく原子炉数基分の電力を自然エネルギーで十分にまかなえたことだろう。


☆子供たちへの責任「問題はいま解決し、次の世代に先送りしない」

日本はその歴史において無数の国難に遭った。
しかし危機に屈することなく、むしろそれを繁栄の糧とすることが出来たのは、
「維新」と呼ばれるように社会の大転換を成し遂げたからである。

そして現在の震災と原発事故、更には停滞する経済・政治・国際情勢も含め、
日本は大きな転換期を迎えているように思う。

本コラムに記した内容を全て実現するとしたら、
きっと多くの困難が待ち受けており、長い時間がかかるだろう。

しかし今もっとも大切なことは、
理想を持って現実の問題を解決し、未来を創るという姿勢だと考える。

また場合によっては、既存の仕組みを根幹からさっぱり切り変えてしまうほどの柔軟な発想も必要だ。


福島原発の事故・廃炉処理は、その後、長期にわたると言われている。
それらの費用や放射能に汚染された自然は、確実に未来の子供たちへのツケとなっていく。
次の世代の子供たちが生まれ育った時、
私たちが残した放射性廃棄物や廃止された原子炉を見て、彼らは一体何を思うだろうか。

少なくとも私たちの世代は、このようなことを再び繰り返してはならない。


そして残念なことに、これに限らず現代の日本は、財政赤字や年金問題など多くの問題を先送りし続けている。
しかしそれをいつまでも許していては、いよいよ国がもたない。
「問題はいま解決し、次の世代に先送りしない」
という強い決意で現実に臨むことこそ、未来の子供たちに対して私たちが果たすべき責任ではないだろうか。
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は極論すれば、この上記に掲げられた文を引用したく、長々と4回に及び投稿したのである。
《・・
日本は資源が乏しいにも関わらず、その経済規模は極めて大きい。
このような環境下で、絶対的なまでに安定した電力供給を要求される電力会社・政策当事者のプレッシャーは、
計り知れないものがあるだろう。
これらの方々の使命感と努力無しには、戦後の高度成長を成し遂げられなかったかもしれない。
そして今日に至り、私たちは不自由なく電気を使うことができる。

この誇るべき功績の陰で、行政によって「護送船団」化された組織は、やがて制度疲労を引き起こしていく。
電力の安定供給と引き換えに担保された巨大な資金と権限は、
いつしか国民のためではなく、既得権益として自己目的化する。
そしてこれらを守ろうとする当事者たちの姿勢が、時代の変化への適応能力を大きく損なわせることになる。
・・》

こうした実態で、氏は渾身の大きな課題、

☆エネルギー行政・産業の仕組みを変える

☆今こそ電力の自由化促進を

明記されているが、まぎれなく正鵠な命題であり、
私は昨夜の9時過ぎに、この氏の『問われる日本のエネルギー将来像』の寄稿文を読み始め、
深夜の1時過ぎまで深く考えさせられ、喚起させられて、今回の投稿する原動力となったのである。

私は野尻哲也(のじり・てつや)氏の寄稿文を初めて読んだひとりであるが、
まさに高論卓説を発露した寄稿文を綴られるお方である、と私は実感させられたのである。


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野尻哲也(のじり・てつや)氏の『問われる日本のエネルギー将来像』、私は多々教示され・・。【中】

2011-04-19 12:42:49 | 時事【社会】
ウォール・ストリート・ジャーナル』に於いて、
野尻哲也(のじり・てつや)氏の『問われる日本のエネルギー将来像』と命題を掲げて、
4月15日、16日、17日の3回に及び寄稿された。

前回に続き、私は原発を含めて電力の全貌に殆ど無知なので、私と同様の知識の方たちと共有致したく、
あえて氏の寄稿文を無断であるが、転載させて頂く。

《・・
           【日本版コラム】問われる日本のエネルギー将来像(2)

                            野尻哲也のアントレプレナー・アイ
                            2011年4月16日 16:18


自然エネルギーの先進国であるスウェーデン。その知人が私にこんな話をしてくれた。

「スウェーデンは国を挙げて自然エネルギーに取り組んでいるが、その設備や技術の多くが日本のものだ。
だから私たちスウェーデン人は、日本はきっと物凄い自然エネルギー先進国だろうと思っていた。
ところが実際に訪日してみると、その素晴らしい設備や技術はほとんど使われていない。
モッタイナイネ」


☆自然エネルギーで経済構造を変える

実際、日本は自然エネルギー分野において多くの先端的な技術を有している。
例えばアイスランドの地熱発電は世界的に有名であるが、そのタービンは日本製である。
自然エネルギーに関しては、日本はその技術も資源(太陽や風)も自給自足し、更には輸出することまで出来るのだ。


今後、自然エネルギーが世界規模での成長産業となる可能性は極めて高い。
太陽光などの分散型発電は、十分な送電網を持たない地域でも導入できるため、プラント型発電に比べ市場のすそ野も広い。

先進国・新興国含めてエネルギー需要が高まる一方で、
自然エネルギーの供給が飽和しているマーケットなどどこにも存在しない。

このような市場環境の中で、日本が国を挙げて純国産の自然エネルギーに取り組むことは大きな意義がある。
つまり、巨大な成長市場に競争力を持って参入し、同時に自国経済や雇用を大いに活性化しうるのだ。
エネルギー自給率も向上するため、エネルギーセキュリティ上のメリットを得られることになる。
しかし現実には皮肉にも、世界的な競争力を持つ日本の技術が、
国内ですら十分に活かされていないという事態に陥っている。


こんな例がある。
スペインでは以前、多額の国家予算を組んで太陽光発電を強力に後押ししていた。
しかしながら短期間のうちに、太陽光への予算は縮小されることになった。
太陽光の発電効果が無い、ということではない。
スペインは太陽電池を輸入に依存していたため、太陽光のために支出された国家予算は、自国の景気や雇用に貢献せず、
単に国外に流出するだけだったからだ。

その後、スペインは風力発電に大きくシフトし、電力の自給率を高めるだけでなく、
ガメサ・エオリカなど複数の国際的な風力発電企業を輩出することに成功した。
つまり自然エネルギーをきっかけとして、経済構造そのものを変革したのだ。


そして少なくとも現時点では、日本は自然エネルギーの技術面においてアドバンテージを有している。
しかしこのままこれらを活かすことができなければ、
間もなく他国に追い抜かれ、手遅れになることだろう。

そうなってしまう前に、今回の原発事故を日本のエネルギー経済にとっての大きな転機として、
考えるべきではないだろうか。


☆「不便・不経済」としない省エネ

日本のエネルギーの未来については、その供給面だけではなく、
どのように消費するべきかという問いも重要だ。

計画停電において、全体の3割くらいの節電(総電力に対して原子力が占める割合)なら何とかできそうだ、
と感じた方もいらっしゃると思う。
まさにその通り!ではあるが、残念ながら今回は多くの火力発電も停止したため、電力不足が危ぶまれることになった。

節電や省エネが大きな力となることは間違いない。
しかしここで気をつけたいのは、無駄なエネルギー消費を省くことが必須である一方で、
「無理や我慢のある省エネは、なかなか続かない」ということだ。


ちなみにスウェーデンの環境政策のコンセプトは、
「経済性・利便性・持続可能性」の全てを同時に実現させることにある。

例えば、お尻を優しく温めてくれる温水洗浄便座。
あるメーカーの最新商品の消費電力は年間120kWh、10年ほど前の製品だとその3倍近くになる。
日本の温水洗浄便座の普及率は71.6%であるが、
普及台数は100世帯につき96.7台となるため、家庭用だけで5000万台近くも存在する。

ちなみに原子炉の年間発電量は60~70億kWhなので、
原子炉2基弱はほぼ家庭の便座を温めるためだけというシュールな状態になっている。

温水洗浄便座は日本が世界に誇る素晴らしい製品なので、
だからといって短兵急に無くせとは言わないものの、やはり考え直すべき点もあるのではないか。

少なくともこのように節電意識が低下して、電気を湯水のように利用した結果、
電気が足りないから原子力や火力(化石燃料)をもっとたくさん使おうというのは本末転倒のように思う。


その他方で生活や経済活動に無くてはならない電気については、
身を削るような無理な節電を行うべきではない。

節電は大切だが、そのために利便性や健康を損なったり、景気が悪化したりすることは避ける必要がある。
従ってこれらについては、世界最先端を誇る日本の省エネ技術を上手く活用し、
その性能を落とすことなく節電できるようにしたい。


代表的なものとしては屋内照明で、
1世帯当たり1個の白熱電球を電球型蛍光灯やLED電球に変えるだけで、
東京電力管轄内において約100万kWの節電となる(なお1世帯平均5個利用している)。

また、古い冷蔵庫をいまだに使っている方は要注意だ。
最新の冷蔵庫の消費電力は、10年前の製品の2分の1、15年前の製品の4分の1にまで低下している。

これらによって多くの電力を節約できるが、生活や経済に支障をきたすことはない。
要するに気持ちよく経済的に省エネを持続するためには、
消費する電力の大きさと必要性を考慮して、戦略的に節電することが望ましい。


☆ビークカットはオフィスや店舗が率先すべき

省エネでは電気消費の総量を削減する発想になりがちであるが、
それだけはなく電力消費のピークカット(もしくはピークシフト)も大きな効果をもたらす。

通常、電力会社は電力の「最大需要時(ピーク)」を満たせるように発電所を建設する。
そのため電力需要のピークとオフピーク時の差があまりに大きいと、
オフピーク時には発電所の稼働率が急低下し、全体としては効率の悪い発電所運営を行うことになってしまう。
つまり電力需要の時間・季節が平準化すれば、
仮に電力需要の総量が変わらなくても、発電所の数を減らせるのである。


日本の電力需要のピークは、概ね「夏場の14時~15時」あたりとなっている。
仮にこのまま東京電力の供給不足が続くとなると、
ピークカットのための計画停電が必要となり、関東圏の人々は実に憂鬱な夏を迎えることになる。
ところでこの電力ピークは、主に誰が生み出しているのだろうか。

エネルギー白書2010から部門ごとの電力消費を算出すると、
製造業を中心とした産業部門が電気需要全体の33%、
サービス業やオフィスなどの業務部門が35.8%、
家庭部門は28.7%、
旅客運輸1.8%と推測される。

そのうち家庭部門の電力ピークは「朝7時と夜18時~21時」であり、
逆に14時の電力消費は少ない傾向にあるとされる。
これは朝食・夕食という炊事時間帯が家庭の電力ピークと一致し、また昼間は不在が多いということで説明がつく。

これに電気需要全体における家庭部門のシェアを勘案すると、
ピーク時の家庭の電力消費は、相対的に小さいものと推測される。
よってピークカットにおいては家庭以外、すなわち産業・業務部門の節電努力こそが鍵を握ると考えられる。


☆「ホリスティック・アプローチ」―エネルギーの課題に統合的に取り組む

こういった電気の使い方に加えて、私たちの住む建物やインフラを見直すことでも不便なく省エネを実現することが可能だ。
特に家庭やオフィスの電力消費において、大きな比率を占める冷暖房に関しては、
大きな節電効果を見込むことができる。

例えば建造物を高気密・高断熱とすれば、冷暖房の空調効率が格段に向上する。
とりわけ開口部(窓)は熱や冷気を逃しやすいが、
筆者の知るところでは開口部を壁面積の15%以下に抑えることで高い気密性を保つことができる。

また窓のサッシュによく用いられるアルミは、
熱伝導性が非常に高く、室内温度の保持に適さない。
従ってサッシュを木製にし、更にガラスをペアガラスとすれば、開口部の断熱性は飛躍的に高まる。

スウェーデンにはこの仕組みで、マイナス20度の真冬でも
「人の体温と調理時の熱」だけで部屋を暖められる家がある。


このようにしてエネルギー供給と消費の方法、
そのベースとなる建造物や社会インフラ、更には教育までをも含むあらゆる全てを投じて、
<エネルギー対策に取り組むことを「ホリスティック(全体的)・アプローチ」と呼ぶ。

何かひとつの方法で、電力や省エネの諸問題をクリアすることなどあり得ない。
小さなしずくが無数に落ちてやがて大河を生むように、
1つの目標に向かって多様な取り組みを計画的に行うことが今、求められている。
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


野尻哲也氏の具体的な日常の事例を指摘した上で、社会の総合的な電力システムを提示し、
私は多々教示さた。

たとえば、温水洗浄便座については、
《・・日本の温水洗浄便座の普及率は71.6%であるが、
普及台数は100世帯につき96.7台となるため、家庭用だけで5000万台近くも存在する。

ちなみに原子炉の年間発電量は60~70億kWhなので、
原子炉2基弱はほぼ家庭の便座を温めるためだけという・・》

或いは、LED電球に関しては、
《・・1世帯当たり1個の白熱電球を電球型蛍光灯やLED電球に変えるだけで、
東京電力管轄内において約100万kWの節電となる・・》

そして、現状の日本の電力ピークと節電に関し、
《・・
そのうち家庭部門の電力ピークは「朝7時と夜18時~21時」であり、
逆に14時の電力消費は少ない傾向にあるとされる。
これは朝食・夕食という炊事時間帯が家庭の電力ピークと一致し、また昼間は不在が多いということで説明がつく。

これに電気需要全体における家庭部門のシェアを勘案すると、
ピーク時の家庭の電力消費は、相対的に小さいものと推測される。
よってピークカットにおいては家庭以外、すなわち産業・業務部門の節電努力こそが、鍵を握ると考えられる。
・・》
こうした具体的な指摘は、私はまったく想像以外で、多々教示を受けたりしたのである。

                               《つづく》

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野尻哲也(のじり・てつや)氏の『問われる日本のエネルギー将来像』、私は多々教示され・・。【上】

2011-04-19 10:50:40 | 定年後の思い
『ウォール・ストリート・ジャーナル』に於いて、
野尻哲也(のじり・てつや)氏の『問われる日本のエネルギー将来像』と命題を掲げて、
4月15日、16日、17日の3回に及び寄稿された。

私は原発を含めて電力の全貌に殆ど無知なので、私と同様の知識の方たちと共有致したく、
あえて氏の寄稿文を無断であるが、転載させて頂く。

《・・
           【日本版コラム】問われる日本のエネルギー将来像(1)

                            野尻哲也のアントレプレナー・アイ
                            2011年4月15日 14:30

東日本大震災が発生して、早くも1カ月余りがたつ。
日本の現代史に深く刻まれたこの悲劇は、さらに不幸なことに福島原発の壊滅的な事故を伴った。
この原発事故は国民に大きな衝撃を与えたばかりか、
燃料資源の乏しい我が国のエネルギー問題となって重くのしかかることになる。

しかしながら、希望を捨ててはいけない。
今こそ日本のエネルギーについて国民的議論を深め、その将来像を描く大きな転機とすべきである。


☆現実と向き合い、未来に投資する

原子力発電のリスクを国民が目の当たりにした今、原子炉の更なる増設を語ることは容易ではない。
また事故だけではなく、放射性廃棄物やウランの輸入依存といった難題が、原子力発電には付きまとう。

しかし電力の安定供給という実利は大きく、
原子力発電を「今すぐ全て撤廃するか」、
「更に推進するか」という単純な二項対立は生産的とは言えない。

その上で個人的な考えを述べるなら、
「既存の原子炉の安全性を極力高めつつも、それらへ依存するのではなく、
段階的に原子炉を減らせるよう代替手段の開発と省エネに時間をかけて注力する」
という方向へ、エネルギー政策を転換することが望ましいように思う。


それでは原子力を代替し得る電力をどのように作るのか。

まず当面の現実的な電力供給に関しては、
火力発電がこれまで同様に大きな役割を果たすと見られる。

日本は火力発電に関して先端的な技術を有しており、
発電効率の向上や有害ガスの除去などの更なる高度化を期待したい。

また資源価格が高騰した結果ではあるが、
シェールガスやオイルサンドなど新世代の化石燃料の採掘も進んでいる。
ただし、いずれも枯渇資源には変わりないため、やはり中長期的にこれらに依存するのはリスクが大きい。


そこで新たな選択肢となる、持続可能な自然エネルギーについて考える。
今や自然エネルギーは、驚くほどのスピードで進化している。
とはいえ本格的な普及に向けてはなお発展途上であり、
火力や原子力など既に成熟した電源と比較すると、いまだ効率面で見劣りするのも事実。

しかしこれは大人と子供を比べるようなもので、
自然エネルギーに関してはポテンシャルを見極め、未来に向けて育てていく発想が重要だ。


例えば日本の太陽光発電は、
住宅用のみで75万件ほどが設置済みとみられる。
1件当たりの平均設置容量は約3.7kWであるため、最大出力ではおよそ270万kWの発電を見込むことが出来る。
出力だけを単純比較すると、これは原子炉2.5機分に相当する。
もちろん全ての太陽光パネルが常に好条件で発電できるわけではなく、
設備の経年劣化なども考慮しなければならないため、実際の発電量はもっと少ない(ピーク時で60~70%程度)。

だが普及率は持ち家一戸建てのわずか2.5%に過ぎず、ポテンシャルは相当に大きいと言えるのではないか(※1)。
しかもこの数値には、共同住宅や公共施設、工場・商用施設・遊休地などへの設置は含まれていない。

ただし、太陽光発電は夜間や悪天候時には十分に発電できないため、通年での発電量は原子力や火力に大きく劣る。
それでも特に電力需要の強まるピークタイム(夏季の日中)では太陽光の発電効率も高まるため、
電力供給において大きな役割を果たすことが可能だ。


風力発電のポテンシャルも大きい。
風力発電といえば、総電力の10%を風力で満たすドイツが世界的に有名だ。
またスペインも風力発電大国で、好条件が重なった結果とはいえ、
過去には総電力の40%(約1000万kWh・原子炉10基分)を風力が供給したこともある。

最近ではアメリカや中国も急速に風力発電を推進し、
特に昨年の中国は容量比で日本の75倍もの風力発電を建設した。
風力発電は自然エネルギーの中でも比較的発電コストが安いため、世界中で急速に普及が進んでいる。

その一方で、近年の日本の風力発電は停滞気味だ。
以前は地方自治体を中心に積極的に試されたものの、当時は技術的に未熟で環境アセスメントも無かったことから、
故障や騒音などの問題が多発してしまった。
故障した風車の姿は実に痛々しいこともあって、そのトラウマからなかなか抜け出せないでいる。

しかし近年では設備の高度化はもとより、公害や生態系への影響に配慮した設置ガイドラインが整備され、
問題は解決され続けている。
また、より安定した風を得られ、設置場所の制約も少ない洋上風力発電も欧米で実用化された。


アイスランドの20%の電力を補う地熱発電も、
同様に火山地盤にある日本で期待できる。
現在日本には18か所の地熱発電所があり、合計で原子炉0.5基分ほどの電力を安定供給している。
地熱発電は事故リスクが小さいため、無人で運営される発電所も存在するほどで、
風力と同じく発電コストは安価だ。


水力発電に関しては、
立地制限や生物多様性の観点から、日本で新たに大規模発電所を建設するハードルは高い。
他方、小型水力という新たな選択肢が登場しており、小さな河川でも数kWを安定的に発電することが可能となった。

また、生ゴミや木質ゴミが無尽蔵に廃棄される日本では、バイオマスも大いに期待できる。
なお、地熱、水力、バイオマスは太陽光と風力に比べ、はるかに安定的に発電することが可能だ。


☆日本の資源は「人」にあり

自然エネルギーはこのように大きなポテンシャルを有するものの、現時点では普及への課題も多い。
とりわけ「電力供給の安定性の低さ」、「発電量の少なさ」、「経済性の低さ」が大きなハードルだ。
しかし難問に屈することなく、知恵をもって制する姿勢こそが日本の未来を創ることになる。

課題解決にあたっては、まず技術的進化への更なる注力が必要なのは言うまでもない。
しかしそれと同時に、少数の電源に依存するのではなく、
様々な自然エネルギーと既存電力が互いに補完し合うベストミックスを構築することが重要だ。

特に太陽光や風力は発電の安定性に欠けるため、他の電源で機動的にサポートする仕組みが必要とされる。

加えて電力を効率的に得るためには、
自然エネルギーを適材適所で利用することも大きなポイントとなる。

風通しが良く土地の豊かな北海道では風力、
建物と人口が密集する東京では太陽光とバイオマスといった形で、
地域ごとの環境適性をベストミックスに反映することが好ましい。

エネルギーの地産地消サイクルとも呼ばれるが、
福島原発に見られるような、都市部の電力供給の負担を地方に押し付けるという構造を可能な限り解消したいものだ。


このように自然エネルギーには課題が存在するが、だからと言って思考停止してはいけない。
実際、日本の電力を自然エネルギーに託すことついて、
「そんなことできない」と冷笑する人も少なくない。

しかし実現可能性が高まる一方で、このような後ろ向きの精神性がなお存在するのは非常に残念だ。

そもそも私たち日本人は困難に挑戦してきたからこそ、
小国ながら大きな繁栄を築き上げてきたのではないだろうか。
多くの方が口にするように、私もまた「日本の資源は人にある」と考える。
従ってその人的資源を最大限に活用し、持続可能な自然エネルギーの開発と普及に国を挙げて努めてみてはどうだろうか。

※1 太陽光パネルの設置件数・平均設置容量は経産省補助金事業の申請件数および平成20年住宅・土地統計調査(総務省)より筆者が算出した。
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は原発に関しては、東京電力の福島第1原発事故の発生に伴い、
原発に無知だった私が、初めて新聞・雑誌の記事、そしてテレビのニュースを視聴したりし、
恥ずかしながら、少し解かりかけた状態であり、
最終的には日本の原子力の行政のありかたが根幹の問題である、
と結論づけたりした。

しかしながら、専門家でなく単なる無学の発想であり、
全体像を学びたく、特にこの寄稿文を精読し、多々教示させられたひとりである。


私は過ぎし3月25日に、
【 東京電力の『計画停電』の長期化に伴い、遅ればせながら私は、敗戦後からの電力の歴史を学び・・。】
と題して、このサイトに投稿した。

【・・
今朝の午前中のひととき、電力にも無知な私は、この表を思い浮かべ、
いつのまにか水力発電所はなくなり、火力発電所の一部が稼動停止になったのだろうか、
と原子力発電所のひとつの福島発電所が、東日本大震災に伴い、事故が発生、
その後も相次ぐ事故、そして農作物、水の汚染などを思い重ねていた。

もとより電力は、戦後の日本経済の大躍進の産業基盤を、まぎれなく支えてきた。
私たちが豊かな生活をめざし、それぞれが奮闘した成果のひとつの形として、
家庭の中で、洗濯機、テレビ、掃除機、冷蔵庫、クーラーなどで、
実感し享受してきた。

こうした中で、たえず電力は増加の一途となりながらも、
安定した供給と程ほどの価格が求められる責務のある電力会社は、
それなり時代の変貌と共に、激動の時代を過ごしてきたと思われる。


無念ながら、この程度しか知らない無知な私は、
昼過ぎに、こっそりと敗戦後からの電力の変貌を学びたく、ネットで色々と検索した。

結果として、東京電力のホームページの中に、【東京電力50年史】があったので、
2時間半ばかりで読み、多々教示された。
無断であるが、転載させて頂く。

http://www.tepco.co.jp/company/corp-com/rekishi/50anniver/index-j.html
☆東京電力のホームページ <==【東京電力50年史】☆


私は『50年の歩み』のコーナーに於いて、
1951(昭和26)年に東京電力が創業して以来、大きな7世代の変貌をして、
今日までの歴史を知ったのである。

この後、『発電の50年』、『年表50年』、『データベース』の「最大電力」、「電源構成」などを、
読んだりした後、深くため息をしたりした。
(略)
・・】

こうして私は、日本がやむなく原発を主力にきたのを学んだりし、
その後、少しばかり原発の良悪を学んだ後、
最終的には日本の原子力の行政のありかたが根幹の問題である、
と結論づけたりした。

このような思いは、このサイトに於いて、
【 日本の『原子力行政の組織』、無知な私さえも不可解と感じ、国民より信頼される原発体制の構築を・・。】
と題して、3月30日に投稿した、

【・・
(略)
今回の東電の福島第一原発の大惨事は、
福島第一原発の一部の欠陥を知りながら、なだめるように余りにも長く活用してきたので、
安全性より採算性を優先してきた、と私は確信を深めている。
その上、発生後の『初動ミス』も加わり、
付近の住民は避難された上、農作物、水の汚染まで波及された。
そして、原発の安全神話も崩壊させ、主要国の原発の保有国はもとより、
世界の多くの人たちさえも震撼させた・・。

このような惨事となったのは、特に原子力の活用は安全性が最優先されることであるが、
安全性を軽視し、採算性ばかり配慮し、慢心に陥(おちい)った原子力安全・保安院の上層部と、
東電の首脳部の方たちの罪は重い、と私は感じている。


こうした思いで、再び『原子力行政の組織図』を見ると、
内閣府としての『原子力安全委員会』、そして関係省庁の『原子力安全・保安院』等、
規制・審査されている電力会社の東京電力が、
酷評すれば、全く有機的に動いていない上、安全といわれたきた原発の神話を崩壊させ、
日本の国民はもとより、世界の多くの人たちさえも震撼させた。


今回の大惨事の教訓とし、欧米諸国の原子力行政を謙虚に学び、
抜本的に現在の『原子力行政の組織』を見直し、廃棄させ、
利害のない第三者による原子炉や耐震構造などのエキスパートを結集させた完全独立した機関を新設し、
強い権限により、国民に信頼できる原発体制の構築が急務である、
と原発に無知な私でも、感じ始めている。
・・】

このように私は結論付けたが、
具体的な電力の全般に関して、今日の現状、そして問題点、今後の展望に、
今回の氏の寄稿文で無知に近い私は多々教示したのである。

                          《つづく》

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野尻哲也(のじり・てつや)氏の『問われる日本のエネルギー将来像』、私は多々教示され・・。【序文】

2011-04-18 23:51:11 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ネットでニュースを見ようとして【YAHOO! JAPAN】を開き、
たまたま『政治クローズアップ 』とコーナーに於いて、

《 日本に原発は必要なのか 》

と見出しされたページを見た。

【YAHOO! JAPAN】として、
《 東京電力の福島第1原発事故を機に、
     日本のエネルギー政策が議論されています。識者の見方をまとめました。》
という命題を掲げて、
各界の有識者の寄稿文が掲載されていた。

http://seiji.yahoo.co.jp/close_up/169/detail.html
☆【YAHOO! JAPAN】<==『政治クローズアップ 』<==《 日本に原発は必要なのか 》☆

私は原発に関しては、東京電力の福島第1原発事故の発生に伴い、
原発に無知だった私が、初めて新聞・雑誌の記事、そしてテレビのニュースを視聴したりし、
恥ずかしながら、少し解かりかけた状態であり、
最終的には日本の原子力の行政のありかたが根幹の問題である、
と結論づけたりした。

しかしながら、専門家でなく単なる無学の発想であり、
全体像を学びたく、この掲載されている各界の有識者の寄稿文を読んだりした。

そして、日本の今日までの現状の実態、問題点などが私でも理解しやすく、
今後の具体的な展望を明示されたのは、
野尻哲也(のじり・てつや)氏が 『ウォール・ストリート・ジャーナル』に於いて、
4月15日、16日、17日の3回で掲載された【日本版コラム】の『問われる日本のエネルギー将来像』
と命題された寄稿文である。

http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_222891
☆『ウォール・ストリート・ジャーナル』
     <==野尻哲也氏【日本版コラム】の『問われる日本のエネルギー将来像』☆

私は精読し、日本の電力に関する原発を含めた全般を無学の私でも理解しやすく、
現状の認識、そして今後の展望を多々教示されたのである。

詳細は次回に転載させて頂き、私の思いを付記する。

                            《つづく》

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