夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

鈴木聡美(すずき・さとみ)ちゃん、水泳にも苦手な私でも、瞬時に魅了されて・・。

2012-08-03 10:34:56 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
今朝、いつものようにNHKテレビのニュースを視聴していた時、
ロンドンで開催されているオリンピックの競技の結果が報じられていた。

そして、この中のひとつのニュースで、
《 競泳女子200メートル平泳ぎ決勝が行われ、
  鈴木聡美(山梨学院大)が日本タイ記録の2分20秒72で2位となり、銀メダルを獲得しました 》
と報じられていた。

そして競泳女子200メートル平泳ぎ決勝のレースが放送された後、
鈴木聡美選手は、日本の取材陣のインタビューに応(こた)えた・・。

私の少しボケた記憶であるが、確かこのように発露されたと思う。
《・・
「いい色をとることができて本当によかった」
 
「決勝のペースは150メートルまでソニ選手についていって、
 最後は勝負しようと思って決勝レースに臨んだので、
 本当に一生懸命がんばったし、自己記録を出せたので悔いのない、
 すごく楽しいレースができました」

「一生懸命がんばって泳いだ。
 日本で応援してくださっているみなさんの応援のおかげだと思うので、
 家族にもチームにも日本のみなさんにも感謝します」
・・》
このように笑顔を浮かべながら、真摯な思いを語っていた。

こうしたシーンを視聴していた時、私は瞬時に鈴木聡美選手はに魅了されたのである。


私は水泳に何かと苦手な身であり、若き10代の頃は平泳ぎで全力で泳いでも、
何とか100メートルぐらいで、クロールの真似事で泳ぐと、なぜかしら水を飲んでしまうことの多い、
水泳の劣等生であった。
その後は、近眼のせいか、水泳から遠ざかって50年近くなっている。

こうした恥ずかしい身であるが、今回のロンドンで開催される中、
出場される日本代表選手団の代表選手、コーチ、監督、スタッフの関係者は、
日本の数多くの声援に応え、結果を出さなければならない重責に大変だなぁ、
と思ったりしてきた・・。

今回に選ばれた代表選手は、もとよりスポーツのそれぞれの競技に於いて、
国内で突出した優秀な選手で、国際の競技でも充分対応できる選手が選ばれた、
とテレビのニュースなどで、私は学んできた。

そして、それぞれの競技の中で選手は、たえまなく人一倍練習を重ねてきたと思われるので、
善戦をして下されれば良し、と私は思っているひとりである。

今回の競泳女子200メートル平泳ぎの決勝戦も私は無知であったが、
鈴木聡美(山梨学院大)選手は、日本タイ記録の2分20秒72で2位となり、銀メダルを獲得し、
100メートル平泳ぎで銅メダルを獲得しており、2個目のメダル獲得となった、と知った。
そして、優勝されたのはレベッカ・ソニ(米国)選手で、
2分19秒59の世界新記録をマークした北京五輪金メダリストの最強の方だった、と学んだりした。

私が何よりも鈴木聡美選手に瞬時に魅了されたのは、
大きな舞台のオリンピック競技の決勝戦で、《・・自己記録を出せたので悔いのない・・》、
そして《・・家族にもチームにも日本のみなさんにも感謝します・・》
もとよりこうした栄誉は、鈴木聡美選手のたゆまぬ努力と練習の成果であるが、
重圧の中、自己ベストをだせたのは、鈴木聡美選手の日頃の良き言動を天上の神々が見守っていたかしら、
と私は感じたりし、
やはり一流のスポーツ選手に必要な才能かしら、と思ったりしたのであった。

その上に、謙虚な感謝の言葉に、圧倒的に魅せられたのである。

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猛暑の時、高齢者の私の最良の避暑地は、我が家の居間となり・・。

2012-08-02 14:29:47 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
中小業の民間会社に35年近く勤めて2004年〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった半生だったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、毎日のように最寄のスーパー2店に行ったり、
或いは駅前まで徒歩で15分コースのスーパー6店の中の数店で、買い求めたりしている。
この後は、その日の思うまま自宅から数キロの範囲を適当に散策したりし、季節のうつろいを享受している。

昨今は34度前後の猛暑となり、何よりも暑さに苦手な私は戸惑っている。
そして外出する時の多くは、アウトドア専門メーカーの夏用のストレッチパンズの長ズボンの数種類、
アロハシャツかスポーツシャツの半そで、
いずれも私の都心の時の外出用、或いは旅行に愛用し数年過ぎた品で、
そしてウォーキング・シューズとなっている。

そして夏用の帽子を深めにかぶり、サングラスをして、扇子〈せんす〉を扇〈あお〉ぎながら、
姿勢を正して歩いたりしている。

こうした中で、忘れてならないのは、紳士用の小物入れのバックである。
B5サイズのショルダー式で、確か14年の前頃に会社でハワイ旅行をした際、
肝要のパスポートをはじめ、財布、メモ・ノート、ポールペン、ハンカチ、
煙草、ライター、携帯灰皿などを入れる為に、少し高価であったが購入した。

この旅行中、私は斜め掛けにして、何かと海外の不安さに対処し、
成功体験をしたりした。

定年退職後、日常の散策、買物などで、少しボケても、ひとつのバックに収納でき、
斜め掛けにすれば、これまた安心と愛用してきたのである。
そして、家内からは、
『まるで・・幼稚園生みたい・・』
と言われたりしてきたので、私は秘かに『幼稚園バッグ』と命名したのである。

この幼稚園バッグを斜め掛けにして、私なりに颯爽〈さっそう〉と歩く・・。

暑さの増す昨今、遊歩道の外れの大きな樹の下にあるベンチに座り、
川風を受けたりしながら、ハンドタオルで顔の汗を拭いたりして、
緑陰に身も心も寄せて、ひとときを過ごしたりする。


そして帰宅後、洗面所で顔を洗い、着替え後、
居間のエアコンの冷風に身を寄せるのが、定年後の習〈なら〉わしとなっている。

その後、昼下がりの2時過ぎの頃から、居間の片隅に簡易ベットを敷いて、
横たわりながら本を読んだりしていることが多い。
そして疲れを感じたりすると、寝付いてしまうこともある。

私も現役のサラリーマン時代は、数多くの方たちと同様に多忙で、
睡眠時間を削り、奮戦して勤務していたことが圧倒的に多かったのであった。

このような体験があったので、昼寝ができることは、
天上の神々からの何よりの贈り物として、甘受している。


私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であり、
年金生活になっても、幾たびか夏季旅行もしてきたが、
暑さ、そして人出の多いの中、高齢者の私は何かと疲れることが多くなっている・・。

このような心情となっている昨今、私の最良の避暑地は、我が家の居間かしら、
と微笑んだりしている。

エアコンの冷気の中、簡易ベットを敷いて横たわりながら、
好きな本を読んだりして、眠たくなったら昼寝もでき、
こればかりは貧富にかかわらず、何事にも変えがたいと思ったりしている。

そして 熱中症で救急車にお世話になるのは、高齢者3年生の私でも御免だから、
と微苦笑しながら、このように過ごすことが多くなっている。

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吉岡聖恵(よしおか・ きよえ)ちゃんの『風が吹いている』の唄声に、高齢者の私でも励まされて・・。

2012-08-01 13:59:02 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

過ぎし7月の初め頃、私は居間で新聞、本を読んだりしている時、
家内はテレビを視聴したりしていると、
テレビから吉岡聖恵(よしおか・ きよえ)ちゃんの唄声が聴こえる時が多くなってきた。

その後に気付いたのであるが、第30回夏季オリンピックがイギリスのロンドンで7月27日から開催され、
NHK放送テーマソングとして、いきものがかりの『風が吹いている』が選定されて、
このグループの女性ボーカルの吉岡聖恵ちゃんが唄っていた、と解ったりした。

そして今日まで、我が家は何かとのNHKテレビ放送を視聴することが多く、
オリンピック開催中に伴い、少なくとも一日に数回は、
吉岡聖恵ちゃんの『風が吹いている』の唄声を聴いたりし、
齢ばかり重ねた高齢者の私でも、励まされるような心情となっている。


確か2010〈平成22〉年の5月頃、いつものように私は朝の7時より、
NHKの総合ニュース『おはよう日本』を殆ど視聴していた。
そして家内は、洗濯、掃除に追われているが、
私は家内の茶坊主でコーヒーを淹れたりするくらいで、
ぼんやりとニュースだけは見ることが多い。

そして8時半過ぎまでは、テレビを点(つ)けて、ときおり家内が見るのが、
我が家の習性のようになっている。

こうした時に、いつものように見ていたのであるが、
『特集 いきものがかり』と表示されながら、彼ら三人がインタビューを受けたり、
ライブのシーンがあったりして、
体力の衰えた私でも、思わず微笑を浮かべたりした・・。


この少し前の4月の初めの頃だったか、私はパソコンでこのサイトを8時過ぎに開いていたら、

♪ありがとうって伝えたくて

とテレビから流れて、
私は『聖恵(きよえ)ちゃんの唄声だ・・』
と思わずテレヒの番組を見たのである。

そしてNHKの連続テレビ小説の『ゲゲゲの女房』の主題歌で、
いきものがかりの『ありがとう』の歌だ、と少し判りかけたのである。

そして彼らの吉岡聖恵ちゃんの唄声に魅せられている私は、
肝要のテレビ小説の『ゲゲゲの女房』内容よりも、
殆ど吉岡聖恵ちゃんの唄声を聴き、励まされた・・。


私が偶然にボーカリストの吉岡聖恵ちゃんの唄声に初めて魅せられたのは、
2008〈平成20〉年の私たち夫婦は家内の母を誘い三人で
富山市の郊外にある呉羽山に5泊6日の温泉滞在旅行に観光バスで行く途中であった・・。

高速道路にあるサービス・エリアに休息となり、バスから下り立った時、
お土産売り場の外れのスピーカーから、
徳永英明さんの歌に続いて、未知の歌声が流れてきたのである。
のびのびとした爽(さわ)やかな歌声に、瞬時に魅了されたのである・・。

♪帰りたくなったよ 君が待つ街へ
 大きく手を振ってくれたら 何度でも振り返すから

【『帰りたくなったよ』 作詞、作曲・水野良樹、唄・吉岡聖恵 】

偶然に彼等を知り、たまたまその歌声に魅了され、
後日、水野良樹と山下穂尊、そして同級生の妹・吉岡聖恵によるスリーピース・バンドで、
『いきものがかり』というバンド名で、『帰りたくなったよ』という曲を知ったのである。

私はその後『花は桜 君は美し』、『SAKURA』、『うるわしきひと』等も知り、
ときおり聴いたりしていた。

そして、彼らが無名時代に夢に向かって路上ライブを長年した後、
メジャー・デビューして3年過ぎ、各地のライブ・コンサートは賞賛を受けている、
と後日にNHKのBS2で『いきものがかり ライブ』を視聴して、改めて知ったのである。


私は偶然に、遅ればせながら彼等の音楽を知り得たのであるが、
何かとすれ違うことの多い人生の中で、
この当時の私は63歳の身であったが、夢中にさせてくれたことに感謝をしたりした。

私は彼らが夢に向かって、無名な時に路上ライブを長年し、
何より詞と曲の良さ、そして聖恵ちゃんの特有な伸びのある唄声で、多くのファンを獲得された、
と思ったりした。

尚、私はあるレコード会社の管理畑に35年ばかり勤めた身であるか、
彼ら『いきものがかり』の専属契約先のレコード会社とは関係がないが、
良き音楽作品とアーティストに私が魅了された場合は、
齢も重ねても絶賛する性格なので、綴った次第である。

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