その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

人を裁くということ

2009-08-04 21:19:40 | 暮らし
この夏の日照不足は、我が家の田圃にどのような影響を与えるのでしょう?
これから起こり得ることに脅えていてもしょうがないことですが、穂ばらみ期から出穂期にかけての低温は、障害型の不稔を引き起こします。これだけは、人智の及ばざる世界であり、8月の日照時間と平年気温の回復を天にお願いするしかありません。(まだ、悲観的事態に至っている訳ではありません。)
                     
人智の及ばざる世界といえば、東京地裁で始まった「裁判員裁判制度」 私は、日本に陪審員制度は無かったと思い込んでいたのですが、1943年(昭和18年)まで制度としては存在していたんですねぇ。
果たして人は人を裁くことができるのでしょうか?
罪は罪として裁くために「罪刑法定主義」という原理原則がある。公権力の一方的な解釈によって刑罰の軽・重が左右されてはならない。国民の権利と自由を保障するためには、予め罪に対して対応する罰(量刑)が定められていなければならないのである。
この原則が貫かれていなければ「ひいき」や「偏見」によって、量刑が変節してしまうことになる。予め量刑が定められているのに、何故素人の裁判員が必要なのでしょうか?不思議ですねぇ?
           
私が、大学生として大学の門をくぐった時、ガイダンスで講釈したアロハシャツの助教授は、こんな風なコメントをしました。「みなさんは、このアロハシャツを見てどう感じますか…?軽薄に見えますか?裁判官は何故、黒い装束をするのでしょうか?きっと、自分自身の裁きに自信が持てないのでしょう。自信がないから装束によって権威を保持しなければならない。」
かりそめの世界にあっては「絶対」などと言う価値は存在しないのである。
存在し得ない存在に、法と言うかりそめの価値を当てはめるから綻びができるのである。情状という世界に一般人を引き込めば、さらにブレが大きくなるだけである。少なくとも年収1,000万円以上を稼ぎ出す裁判官が、日当10,000円の庶民の感覚を必要とすること自体が胡散臭い気がします。初っ端から殺人事件の裁判ですか?今回選任された6名の裁判員さん、お疲れ様です。
コメント
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