その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

うどの大木

2009-08-27 16:08:10 | 暮らし
ネットサーフィンに興じながら、今日一日を振り返り「ブログタイトル」をあれやこれやと考えている内に寝てしまいました。日記帳のタイトルにこだわる必要もないのに、何かオチ話に結び付けたいなどと色気を持って考え込んでいると、中々アイディアも浮かばない。こういう状態をオチ着かないというのです。ん~実に下らない。
早朝、本当に効果があるのだろうかなどと疑問を感じながらも二度目のスミチオン(殺虫剤)を散布しました。そう言えば、中々、お目にかかれない水稲の吸汁カメムシ『アカヒメヘリカメムシ』を探すことが、この夏休みの自由研究の課題だったはずですが、残念ながらまだ遭遇しておりません。いや、頻繁に遭遇するようであれば、かなりの被害を覚悟しなければならない訳で、ここに矛盾というかジレンマが生じます。
見えない敵に薬を撒いているのか、自分だけがワザワザ浴びているのか…これが大きな疑問なわけです。
           
お隣さんちの畑の『うど』が花を付け、実(種)が色づいています。「チュッパチャップス」のような「うど」の実の中にはとても小さな種が数多く詰まっています。俄か百姓は、こうしたひとつ、ひとつの発見が、また新たな意欲を誘発してくれるのです。今年の春、実生から株数を増やせないだろうかなどと考えておりましたが、畑の片隅に自然に生えた『うど』がある。これを移植すれば良いだろうと『うど』増殖の野望を成り行きにまかせておりますと、自然発生したはずの『うど』は、残念ながら『タラ』の木の地下茎から芽生えたものであることが分かり、増殖計画は頓挫してしまいました。
梅雨時ならば大丈夫だろうと、分株した『うど』は、何とか植木鉢の中で小さな芽を出しましたので、一株だけは増やせそうです。
こうして、やること為すこと、成り行き任せ、運任せ。それでも何とか小さな結果は残せております。失敗は失敗なりの結果ですから…。
「うどの大木」…春先、生かじりした『うど』は、とてもみずみずしく美味しくいただきましたが、この『うど』に対して、役に立たないものの例えとして「うどの大木」という言葉は、大変失礼なような気もしますが、最近の若い子どもたちは、「うどのオオキ」などと、芸名と間違えて読んでしまうのではないかなどと、また下らない心配をしてしまいました。
コメント
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