旧盆が近づくと、それが夏休みの最盛期であったとしても、今は亡き私の祖母からは、生き物を殺生してはならないと教え込まれました。
優秀な夢屋少年は、夏休みの前半にほとんどの宿題を終えているので、テレビゲームも無く、宿題も無く、夏の家族旅行も無い少年にとって、「ザッコ釣り」が最強の遊びにも関わらず、これを禁じるということは、たまには肝臓を休める必要があるからビールを控えたら…などという、メタボ健診や血液検査では何も憂いのないビール好きの亭主に、「お預け」を命じる妻のようなものであります。
「んじゃ~、殺さねど良いんだべぇ~」…と、祖母の思いとは裏腹に、自己都合で勝手に解釈する子どもが、そのまま大人になってしまいました。
私自身は獣医師でも無く、屠畜処分の場面には、子どもの心を傷つけないようにという大人たちの配慮で、その場に立ち会うことはありませんでしたが、今であれば、ペットとして飼っているニワトリも正月の頃には、貴重なタンパク源として食した経験のある者ですから、人間の生と生き物の生が、ある場面でクロスし、肉体が食品に化すことを正当化せざるを得ない人物であります。
競走馬の薬殺処分についても、疑問を感じつつも正当化し、出てくる言葉は、「さくら子ちゃん、ごめんね…。」でしかありません。(gooひとことで、交流する「さくらの季節さん」へのコメントでありますが…)
我が家の田圃には、無数のクモたちが巣を張り、昆虫を捕えては食物として、そのネットに縛りつけます。「虫って、気色悪い~ぃ」とか、「クモなんか大嫌い…」 はい、結構です。たかだか20aの田圃の中で、野蛮な?殺戮が繰り返され、私自身も無差別殺人兵器である「殺虫剤」を何の躊躇もなく散布しております。虫は嫌いだから殺されて当たり前。馬や牛は人間に役に立つものだから殺してはいけない。ならば、米を食うな…肉を食うな…。
生を生に変えて、人は生きているのです。
私の祖母が言った言葉を、今、そしゃくしてみると、無益な殺生をしてはならないという戒めであったと考えます。
本日のタイトル『世界陸上に参戦』でした。
田圃で見つけた「エンマコオロギ」の幼生の太ももを見て、充分世界記録に通ずる記録を出してくれる国民として評価しておりますが、カメムシ防除のための殺虫剤「スミチオン」を無差別に散布している自分への戒めとして、心の内を吐露してしまいました。
娘たちも帰省して、少々ビールの量が多かったようです。