その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

起きて半畳 寝て一畳

2020-06-18 04:59:34 | 転職

成長点の分化という視点で見ましたが…

きゅうりの『Q三郎』が実をつけて、実から葉が出た!!! 「このキュウリは、間違っている!」小学校の教科書に、こんな画像を載せたら検定者に不合格を付けられそうでありますが、高校生の生物の教科書の副読本として、植物の進化と分化を説明する資料として載せる分には不合格とはならないかも^^;
維管束の先端の成長点が花につながるところを間違えて、途中、葉に分化してしまった。淡々と説明すればそうなるが、植物の進化を考える上では、1930年にチンメルマンという方が「テローム説」なるものを提唱されており、現在もこの説が一部定着しているようであります。こんな物を見つけると、今日一日何か得をした気分になれるから不思議であります。どうか残留放射線の影響だとか、薬剤による奇形だとか、そう言った方向に話を向けないで欲しいなぁ…厄介になるから^^;(味に何の変わりもないキュウリなのだから。)
昨日は、僧侶や政治屋の我欲について書いた…私が大学卒業間際に説話を受けた米沢市林泉寺の老僧は、大学生活で得られなかった進むべき方向性を教示してくれました。「前のめりに生きるは我欲の象徴、踏ん反り返るは傲慢の象徴、右でもなく左でもない。常に背骨を真っ直ぐに生きる。これが仏教における中道である。」とね。(私の大学生活は一体何のためにあったのだろう^^;)


「とんび」かなぁ…雀っ子はビビらないけど^^;

猛禽類を模したものであろうけれど、カラスに追われる輩も居て、「とんび」は結構弱っちい存在であります。事実、無風状態では「雀っ子」は小麦を好き勝手に食べまくり、風が吹いて「とんび」が舞っても、小麦畑の片隅に屯して小麦を失敬していますから^^:(少しは効果はあるようですけれどね。)こんな風に庶民だって生きるためには、少々危険な真似をしでかす。しかし、それは生きるための最小限のお食事であり、他の雀より多くの小麦を得よう(蓄えよう)とはしないようであります。窮乏に備えるのは人間の知恵かもしれませんが、誰よりも多くと思う輩がいるからややこしいことになる。一昨年、我が菩提寺の総本山である「永平寺」を訪れる機会を得ましたが、修業中は、まさに質素倹約を絵に描いたような生活を送っているはずなのに、修行後に俗世に塗れてしまうのは何故だろう?「僧侶」という資格試験を通るためのやせ我慢生活なら意味はないような気もするが…とは言え、総本山でさえ、子寺、孫寺からお金を集める集金システムを持っているのだから、お釈迦様の教えも達磨大師の悟りも道元禅師、瑩山禅師の修行も我々末端の門徒には何も伝わっていないのでありますよ^^;
斯く言う私とて、昨日よりは今日、今日よりは明日とお金を追い求めている。「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半。」そうそう墓場まで持って行けないものを追っておりますけれどね(笑)

コメント
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