「亀の甲より年の功」とも言いますが…
今日から6月…あと5日で『オジSUN』は「還暦」を迎えます^^;
私が子どもの頃の親父(35歳)は、青白く痩せていて、弱かったと言われております。一方、我がお袋はパツンパツンで健康そのもの。田んぼの土手で寝ている親父が見ていられなくて臨月にも拘らず田植えを終わらせ、その翌日に私が生まれたと聞かされている。生まれた時の体重は2,800gあったと言うのだから立派なものだと思うのでありますが、生まれたての私は、骨と皮だけの「サル」のような赤ん坊で、叔父甥の初対面で「サルの子を見ているようで情けなかった。」と回顧する叔父貴も居るほどである。しかし、お袋はガリガリの息子であっても、手の平が異様にに大きいことから「この子は将来何かを掴むに違いない。」と大きな期待を寄せたそうである。(以来、ウ○コを掴んでも、運を掴んだことは無いような気もするが^^;)痩せた赤ん坊は、お袋の母乳だけでは足りず、当時は珍しい粉ミルクを飲んでから太ったとも言われているが残念ながら、パツパツの白黒写真が残っているだけで記憶は無い。「お袋がやつれたのは、お前が母乳を吸い尽くしたからだ。」と何度も叔父貴たちに言われ「お前は、姉が忘れたチンチンを拾ってきた男(泣き虫)」とからかわれては、また泣いた^^;
そんな赤ん坊が、今では真っ黒に日焼けして田んぼに立っている…そして、一週間前に植えた稲の苗が消えた?
まだ同居前の『シロ♀』
なんて事はない。田植機リフトの油圧不良で深植えとなり、折からの「苗枯れ」と深水で酸素不足を起こし、水中で枯れてしまっただけである。(いとも簡単に言っているが、最初に植えた田んぼ1枚だけであり、補植というよりは全面手植えの手直しを行っておりますよ^^;)「泣き虫」だった少年も、勘と経験だけで、結構逞しくなりましたよ。(なんたって還暦ですから。)そして、精神的に図太くなった『夢屋少年』に義兄から電話が入りました。「姉の容態が急変した。」と。自宅で緩和ケアを始めてから、わずか一週間である。まだ意識こそあるが、「死」というものに一歩々々近づいていることは素人の目にも明らかであります。祖母を自宅で見送り、親父を送り、延命治療をしないままお袋を見送った。今、記憶の中にある家族をまた見送る立場となってしまいました。姉とは6学年離れていたから、ひとつ屋根の下で暮らしたのは12年間だけであり、当時の記憶は10年もないのである。親父からの遺言で、「あいつは何をしても無理するから見守ってやってくれ。」と言われたとあれやこれやと注文をつけるのであるが、オッカーは「お姉さんが居なくなったら、お父さんに意見できる人が居なくなる。」と、むしろ実の弟より心を痛めている。「消えた苗」は手植えで何とでも復活できるが、消えゆく命は取り戻すことが出来ない。歳は巡って「赤ん坊」に一度戻り、遂にひとりになってしまう「還暦」の初夏であります。