子どもの頃の大切な「おやつ」
『夢屋農場長』が子どもの頃放映されていた「チャコとケンちゃん」のご家庭は、自営業者の一家という設定であったから、学校から帰ると優しいお母さんが必ず家に居て、「おやつ」が茶だんすの缶に準備されている…そんな光景が理想的な家庭であると信じて疑いませんでした。「おやつ」…なんと気高い響きであることよ!おやつなど存在せず、常に空きっ腹の『夢屋少年』は、赤い実は何でも口に入れてしまう性癖がこの頃から培われたのであります。
「〇×△のばっちゃ~!グミけっちょごや~い。(注:『ける』…あげる 『おごやい』…ください の合成語^^;)」と外から声を掛ければ、返事があっても無くても勝手に食べていた。(さすがに、おうと「さくらんぼ」けっちょごや~い!とは言わなかった^^;)どこの子もそんな状態だから、よくお腹を壊した…下痢ではなく、『糞づまり』いわゆる便秘による腹痛でありますなぁ。だから、立派な大人になった今でも、もう誰も手にしなくなった他所様の庭のグミに手を伸ばし、食べておりますよ。決して身詰まりが起こるほど食べたりはしませんけれどね。
ヒエを抜き終えると「分げつ」が始まっております。
田植えから丁度1ヶ月、分げつ期(新芽が伸びて株が増える頃)となりました。栗の花の香りが漂い…我が親父は「栗の花が咲く頃が、身体が一番疲れている頃だから気を付けろ!」とよく言っていた。田植えを終わらせ、夏野菜の苗の植え込みを終えてさすがに身体が疲れております。丁度、夏至の頃、陽の長さが最も長く、早朝から水見をし、草刈りをして、夕刻は日が暮れるまで働ける。疲労もピークに達する頃でありますよ。
実姉が他界して三七日め…今度は、オッカーの実家の伯父さんが亡くなったとの訃報が入りました。お酒が入ると「たかはた~!」と可愛がってくれた伯父さんであるから、枕花など準備して、何とか施設に入所出来た義父を連れて弔問してまいりました。享年95歳…大往生でありますが、突然の訃報に義父は子どものように泣いていた。義父たちの入所に関して、それまで介護してくれていた義兄と我がオッカーの間に確執が生じてしまい、この3ヶ月ほど断絶しておりました。実姉を失い、これまでとは違う寂しさを感じた私は、夜、久しぶりに義兄の携帯に電話を入れてみた…たった二人きりの兄妹なのだから、オッカーの勝手な行動を許して欲しいと…。義兄はもう怒っていないから、実家にも足を向けてくれと言ってくれましたけれど。夏至のころ、最も身体が疲れる頃に、心まで疲れ果ててしまったのでは堪らない。オッカーには、余計なシャイコ(まね)をしたけれど、兄貴に電話を入れて詫びておいたからとだけ伝えましたけれどね。おやつもない時代を生きた『糞づまりの友』…違った「刎頸の友」かぁ。オッカーとは、良きパートナーであり続けたいから^^;