目玉焼きで隠してもカレーである^^;
手毬唄の童謡「あんたがたどこさ」は、正式には「肥後手まり唄」というらしい。昭和30年代の子どもたちは、すでに手毬はゴムボールだったような気がする。小学校の体育館で、あるいは庭先でボールをついて、途中片足を上げて通し、最後は股の間を通して、後ろ手でボールを取る。そんな単純な遊びだったような気がするが、『おやじぃ』はリズム感が悪いのか、はたまた運動能力が劣るのか出来なかったと思う^^;
手毬がドッチボールに変わり、バスケットボールになっても、ドリブルは付き物だから、子どもの頃の遊びも進化するんだわぁ…「手まり唄」の最後は、煮て焼いて、残った狸の残骸は、木の葉をちょいと被せて隠してしまう。勿体ぶった言い回しではあるけれど、福島第一原発の「処理水」を2年後には海洋放出することを決定したらしい。「汚染水」と「処理水」は違う。「処理水」に含まれる「トリチウム(三重水素)」は体内や水道水にもわずかながら含まれる。風評被害が生じた場合は、東京電力が補償する。オリンピック誘致に際して、「福島原電はアンダーコントロール下にある。」と世界に向けて発信したのは誰だったかなぁ?そもそも、東京電力が補償するお金は電気料金である。「木の葉でちょいと被せる。」結果は、巡りめぐって国民が払うことにあるのだけれど…。
3年で態度もガラリと変わる^^;
田舎にまだ「婦人会」という組織があった頃、亡きお袋も宮城県「女川原発」見学ツアーに出掛けたことがあったという記憶がある。「発電原価は、化石燃料を燃やすよりも最も安く、しかも安全にコントロールされている。」そんなリーフレットと昼飯付きの見学ツアーだったような気もするが、自身が参加した訳ではないから分からない^^;
『おやじぃ』は、決して「原発絶対反対論者」ではない。少なくても資源の乏しい日本では、研究は進めなければならないとは思っている。しかし、福島第1原電事故は、漁業、農業に大きな風評被害をもたらしていることも事実である。「福島のきゅうりはいらない。」なんてことを公然と口に出される方がいることも事実だし、その結果、「山形の夏秋きゅうりが欲しい。」ということで、比較的値段が安定していることも事実である。
「自然界には微量ながら放射線が放出されている。」これもまた事実である。国のトリチウム基準の40分の1にして、放出するのだから心配はないetc.…広報が下手なのか、日本人の放射線アレルギーが根強いのか?何かねぇ…「ちょいとかくせ。」くらいの感覚で物事が進められるから話がややこしくなるような気もするのだけれど。事実の積み上げが、必ずしも真実になるとは限らない。誤魔化しの論理が横行するから国民は背を向けてしまうような気もするのですがねぇ(今朝も笑えない。)