「因果性のジレンマ」と言うらしい^^;
「イジメられるのは、イジメられる側にも原因がある。」「痴漢に遭うのは、『男』を刺激するような恰好をしているからである。」etc. 犯罪行為に対して、道理に合わない言い訳や弁護をしたら袋叩きに合うに違いない。しかし、声には出さないけれど「さもありなん。」と心の中で同調する輩も確実に存在する。「イジメ」は悪(犯罪)である…と教え諭したところで無くならない。ならば、『大人の社会』に「イジメ」は存在しないのか?道理をわきまえたはずの『大人の社会』にも「イジメ」は存在すると断言しても、誰も否定はしないのではないだろうか?
朝ご飯用の「卵」を見ながら、「鶏が先か、卵が先か?」などという子どもの質問に対する答えを探していたら、「脳みそ」が面倒くさいことになって来ましたよ^^; 遺伝学、統計学、神学、哲学etc.と様々な分野でそれぞれの見解があるようですなぁ…。「結果には、必ず原因がある。」という因果性を考えると思考停止してしまうのだそうですよ。「学業成績が振るわないのは努力が足りないからである。」と言う一方で「努力は必ずしも報われるとは限らない。」と言い除けてしまうしたたかさ…『大人の都合』というものは実に理不尽なものであることよ(笑)
「哲学する猫」…何考えているんだか?
仏教には「循環的時間」という概念があるらしい。「時間は永遠に繰り返される。」ならば、最初といわれるものも無ければ、最後というものも無いことになるらしいんですけれど…。『成るべくして、そう成った。』…最近の進化論でもそんな学説があるくらいだからなぁ^^;
はてさて、「善か悪か」といった二元論に落とし込むと、ロシアが悪かウクライナが悪かと言った「原因」をまず探し出し、『旗印』を明確にせよという論議に巻き込まれてしまう。(事実、日本の、いや世界のマスコミの趨勢はロシアの侵攻が悪という論理のようである。)しかしなぁ…日本には「盗人にも三分の理」という諺もある。どんな悪事を働こうとも相応の理屈はあるというところかな?(かと言って、『おやじぃ』はロシアに理解を示しているという訳でもない。)喧嘩の仲裁というものは、当事者以上の力量が無いと、仲裁者が大怪我をしてしまうんだよなぁ…そんなことを言っていると「自衛手段として、核シェアリングの議論をしよう。」なんてどさくさ紛れでねじ込んでくる輩も登場する始末。
#戦争反対 『因果性のジレンマ』…原因を追究していても仕方がない。罪のない子どもたちを巻き込むのは止めようよ。問題解決のために武力を行使するのはもう止めようよ。まずは、停戦しようよ。(今朝の呪文も弱いかなぁ?)