お隣さんも沖縄・北海道のお友だちも同一料金^^;
故)永六輔さんのラジオ番組「誰かとどこかで」を聞いていた気がするのだけれど、平日の午前11時頃に何故聞けたのか不思議である^^;(出張や移動の際のカーラジオから流れる放送を聞いていたのかも知れない。)リスナーの日常生活の投稿が紹介される「七円の唄」は、バックに流れる「アルハンブラの思い出」だけが印象に残り、時にはほっこりしたり、悲しみを共感したりしたはずなのだけれど、市井の人々の日常については残念ながら記憶に残っていないのですよ。同じような経験を重ねてきた結果なのかも知れないけれど…。
昨年はコロナ禍で委託アルバイト先の総会を書面審査による表決に替え、「今年は出来るだろう。」との会長判断で、2年振りで案内状を官製はがきに印刷してみました。今年は年賀状も出さなかったからねぇ…はてさて、「七円の唄」は「六十三円の唄」に変っていた。(官製はがきのお値段は、我が年齢と同じスピードで上がっていくのだろうか^^;)かつては、視聴者のリクエストや懸賞応募など、官製はがきを重宝しておりましたけれど、今ではダイレクトメール、e-メールの世界でありますから、その役割も次第に限定的になってしまったのかしらなどとも考えてしまう。絵手紙など気の利いた葉書なら、あらまぁなどと送り手の才に驚きもしますが、四角四面の総会案内状ではねぇ…e-メールでも充分ですわ^^;(会員のメールアドレスなど登録されていないから仕方がないけれど。)
お昼は「餡かけ焼きそば」で…
「六十三円」でどこまで旅が出来るか…我が自家用車ならば約3㎞、ハイブリッド車なら7㎞といったところですかねぇ?同一料金で日本の隅々まで旅(配達)する訳ですから、安いと言えば安い。そうそう、小学2年生の時にクラスの女の子が東京に転校することになりまして、(父親が誘致企業の役職者として山形に赴任していたに違いない^^;)それぞれにプレゼントをなどという呼び掛けがありましたけれど、我が祖母からは買い物をするためのお小遣いではなく、官製はがき3枚を渡された記憶がある。(包みを開けた同級生の反応はイマイチだった^^;)子ども心には、小洒落た園芸のセット(おもちゃ)を贈りたかった記憶ではあるのだけれど…。今になって考えてみると「転校しても近況を知らせてください。」という大人の知恵があったと思うのだけれど、クラスにも、当然、私個人宛てにも葉書は届かなかったような気がする。(がはは『おやじぃ』の淡い初恋だったかしら…気色悪い^^;)
中坊の頃は、短波放送の「ベリカード」を集めるために、エアメールを出しまくっていた記憶もあるけれど、拙い英語にも関わらず地球の裏側はエクアドル、北京放送、モスクワ放送の日本語放送なんてぇのもあったような気がする。当時は50円ほど(現在は90円のようである。)だった記憶だよなぁ…。
#戦争反対 中坊の声も各国の日本語放送には届いたんだよなぁ…ならば「No War!」と書いた手紙も届くはず。(あて先は分からないけれど^^;)まぁまぁネット社会で、翻訳機能も充実しているから、パソコンから「戦争反対」の呪文は発信することにする。心に届くかどうかは定かでなくても。