今年も春の味覚「山菜汁」です^^;
採れたてを「山菜汁」にしていただきながら、何故か「おむつ」の話題…子どものおむつ交換の夢を見てしまったことがことの始まりでありますけれどね。
小さく生まれた長女の時は、オッカーが育休を取得したこともあったし、我がお袋も義母も、まだまだ「布おむつ」という固定観念があって自宅では「布おむつ」お出掛けは「紙おむつ」という使い分けだった気がするし、二女の場合は、さすがに「紙おむつ」へと移行しましたっけ…。
今さら「紙」と「布」の効果の違いを云々するつもりなど毛頭もなく、はて?「紙おむつ」の使用量はどれだけ伸びているのかなぁなどという疑問が湧きましてね、ググってみたら、「ごみ処理問題」に関して環境省のデータがありまして、さらには国交省の推計資料がありましてね…何で国交省?と新たな疑問が湧いて来た。なるほど、「紙おむつ」処理を下水道で受け入れられないかという検討会のための資料らしい。(少々、納得^^;)さらには、「紙おむつ」を『再利用』(素材の紙パルプ、SAPの再生ですが)を進める自治体の話題も出て来た。少子化が進んでも、しばらくの間は高齢化が進むから、「紙おむつ」の使用量は増加するという推計だから、その処理問題も重要なんだわなぁと感じた次第でありますよ。
こちらは「コゴミ」のおつまみで…
さて、「這えば立て、立てば歩めの親心」などと申しますが、『いつまでもあると思うな親の健康』なんてね、両親とも「自立」している内は良いのだけれど、いつかは『介護』という問題が浮上してきますからねぇ。我が家の場合も、祖母、お袋の介護に少々手を貸しましたけれど、お袋は、最終的には介護施設、病院でお世話になって看取りましたよ。義父母の場合は、諸事情もあって、現在、介護施設にお世話になっておりますが、手を出せることと言えば、面会し、車椅子を押す程度ですかねぇ…。
はてさて、子どもの場合は、「紙おむつ」を外せる時期が少々遅れても、いつかは外せるという『期待』があり、両親の場合は、今まで出来ていたことが次第に出来なくなっていくという『悲観』が漂う…昨夜、最近、『耳鳴り』がするというオッカーが、「自分も着実に成長している。」と絶妙な表現をしましてね…長女は『成長』の意味が分からずポカンとしておりましたけれど、『おやじぃ』は、すかさず「加齢」と言い直してあげましたよ^^;
なるほど、「年を取る」…「歳を重ねる」…『成長する』…粋な言い換えかも知れない。『再生』は無理でも、時と場所によっては『再利用』は可能かも。歳を重ねることも『循環型社会』だもの(笑)