能面は何のためにつける?
今朝も画像はフリーソフトを使わせていただきました。アイスホッケーのフェイスガード、お化粧のパック姿etc.と表情(お面)の画像を探したのは、スタジオジブリの「千と千尋の神隠し」に登場する「カオナシ」について、『おやじぃ』なりのイメージを追い掛けた結果であります。ちなみに、「能」において面をつけるのは、超人間的な存在を演ずる場合なんだとか…「能面のような」という表現もありますが、この場合は喜怒哀楽のない無表情な様子を指すとともに、顔が端麗なさまを表現する際にも用いられるらしい。(しかし、撮影された角度によっては、悲しみの表情や微笑みの表情にも見えてくるから不思議ではある。)
そうそう「カオナシ」でありました。もう何度か「千と千尋…」は地上波放送で観ているはずであり、昨夜もオッカーとコタツに潜り込んで観ていたのでありますが、その存在意味(何者か)が分からない。結局のところ、解説投稿を見ながら「怪物」「孤独」「欲望」etc.というキーワードだけは頂きました。なるほど『顔無し』なのだから、正体が分からなくて良いのかと勝手に納得した次第でありますが、よくよく考えてみますと、いつも途中で寝てしまって最後まで通して観たことがないということに気付いたのでありますよ。(昨夜も途中で寝てしまっていた^^;)これでは理解できる訳がないのでありますよ(笑)
「蕎麦攻め」のち「餅攻め」…
さて、「年越そば」には、金細工職人が「蕎麦団子」で金粉を集めたことから「金運上昇」の縁起物としたとの説もありますが、ようやく大量の「蕎麦攻め」を攻略したと思ったのも束の間…今度は、年末に『取り餅(鏡餅)』をこさえて、残った切り餅を消化するための「餅攻め」が待っていた。結果が『金詰まり』ならば喜ばしい限りでありますが、今朝は、いわゆる『糞詰まり』…強烈な腹痛にみまわれ、朝から脂汗を流して苦しむことになりましたよ。良い歳をして、これを『面目ない』という(笑)
はてさて、出るモノさえ出てしまえば、何ごとも無かったかのようにケロリとしてしまうから、子どもの頃から同じことを繰り返している。もしも『千と千尋の顔隠し』が、子どもたちの自立の世界を描いているとしたら、果たして『おやじぃ』自身が自立した大人としての『顔』を持っているかというと甚だ怪しいところがある。その場、その場面において、色々な『顔』を使い分けているような気もするが…とは言え、生き残るために身に着けたそれぞれの『顔』であるから、それもまた『顔』なのかも知れない。『存在意義』を見失っている人物が「カオナシ」の正体であるとするならば、我が国の『顔』である首相の場合は…『存在意義』がないのに、ことさら『存在』を強調する。災害を支持率Upの材料に使って欲しくないもんだわ…これも最後まで観ないと分からないけれど(笑)