我が家は「納豆汁」で整う^^;
中国故事で「七草粥」に若返りの秘術があるという。ひと口で10歳、七口で70歳なら、貴方は果たして何口食べるのか?『おやじぃ』の場合は、ひと口ほど食べれば、もう少し身体も動きやすくなるに違いないと思うのだけれど、多くの場合、欲をかいて食べ過ぎて、赤ん坊になってしまうのが『若返りの薬』のオチ…30代まで戻って、『ケッツ(尻)逆さまにして』働き回るのも嫌気が差すし、40代で中間管理職として上下に挟まれるのも鬱陶しい。口だけで身体は動かさない50代位まで戻れれば充分である(笑)
「七草粥」には正月の祝膳や祝酒で荒れた胃を整えるという意味合いもあるようだから、若返り効果が無くても、身体には良いのかも知れない。このところの運動不足と野菜不足で便秘に悩まされているから、繊維質の豊富な「納豆汁」も有効かも知れない。しかし、新年会、同級会と酒を呑む機会に恵まれ、今度は胃袋が荒れ気味である。胃に優しい食べ物を食べる前に、酒を控えるのが一番効果があるはずなのだけれど、コップにお口が吸い寄せられるから仕方が無い…これを『卑しい』というのかも知れない。まぁ、頑丈な胃袋は、一日も経てば『再生』する。今朝は『再生』というものを考えてみた^^;
「プラナリア」のイメージ(フリー素材)
さて、高校時代に「プラナリア」なる扁形動物を研究していた同級生がいた。トカゲやイモリは、自らの尾を切って敵から逃げる「自切(じせつ)」することで有名であるけれど、「プラナリア」なる生物は、ズタズタにちょん切っても『再生』するようである。人間だって、少々の切り傷なら見事に治ってしまうから、『再生』すると言えなくもないけれど、「プラナリア」の場合は、尾っぽだけでも完全な個体に『再生』するのだから便利ではある。(しかし、『おやじぃ』の尻から、もう一人の『おやじぃ』が再生するとすれば、この世の中では迷惑かも知れない^^;)
はてさて、もうみんな気付いている『トカゲの尻尾切り』…トカゲの場合は、自分の身(命)を守るために「自切」するのであって、『再生』できない人間の場合は、自分たちよりも力の弱い者を切り捨てて「組織」を守るのでありから「トカゲ」に対して失礼なような気もするが…。「プラナリア」の場合は、100を超える断片からも『再生』可能だったという研究成果もあるらしい。しかし、『不死身のプラナリア』も「咽頭部分」「目の前の組織」からは、「万能細胞」を持たないため『再生』できないんだって…なるほど、『口先』だけの「政治刷新本部」であったり、『目の前』の不都合に蓋をするから、きれいに『再生(刷新)』できない訳だわなぁ。『派閥』というものを『解体(切断)』したところで、お金の亡者は次々と『再生』するに違いない。「未来を担う子どもたちに説明できないことはしない。」という、実に簡単な将来を見据えた「万能細胞」を彼らは持ち合わせていないに違いない(笑)