蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

果てしない旅

2017年09月22日 | 季節の便り・花篇

 庭の片隅に建つカーポートの裏に、見慣れない草の芽が出た。春が深まった頃の出来事である。こんな時は、育ちあがって花が咲くまで見届けて種を同定することにしている。
 異常な暑さをものともせずに、すくすくと育った。気が付けば1メートル近く伸び、草という範疇を超えてむしろ木に近い。車の出し入れに少し邪魔になるが、そのまま放置していた。いつの間にか庭の塀際一面に勢力を拡げていた。
 夏の終わりに美しいピンクの花が咲いた。お昼前に咲き始め、夕方には蕾んでしまい、ピンクの色をすべて包み隠してしまう。
 「萩の花に似てるね。このまま咲かせておこう」と、車の乗り降りの度に可憐な花を楽しんでいた。

 秋が来た。その頃から、車から降りて部屋にはいると、何故かジーパンの裾に草の種子が貼り付くようになった。その頃、久し振りに博物館裏山の「野うさぎの広場」への散策を始めて、ジーパンの腰から下にびっしりとイノコヅチや知らない草の種子を貼り付かせて帰っていた。
 ハッと思い当たって、図鑑を開いた。そこにあったのは、紛れもなくヌスビトハギの花だった。「種子は衣服に貼り付く」とある。小さな山を連ねたように三角形に並ぶ種子には、一面細かい毛が生えている。「マジックテープを持つ、くっつき虫」と書かれていて、妙に納得する。
 可愛い花に似ず、「盗人」の異名、その由来には諸説があるが、定かではない。
 1)実の形が盗人の忍び足に似ている。
 2)実が知らない間にこっそり服に付くのが盗人っぽい。
 このままでは、庭の手入れが大変なことになる。惜しみつつ、種子が熟す前にすべて抜き去り、ごみ袋に収めた。
 今日の法師蝉は皮肉に鳴く。「ツクツクオーシ、ツクヅクオーシ、つくづく惜しい!」

 大自然の智慧の妙、吹き過ぎる風に身を任せる種子、蜂や蝶に運ばれる花粉、鳥に運ばれて糞と共に分布を拡げる木の実や草の種子、そして人の衣服や動物の毛に貼り付いて移動する草の種子……自ら動くことが出来ない樹木や草は、様々な知恵で生存圏を拡げていく。
 昨年の秋に散策から帰っては、運転席に座ったままイノコヅチとヌスビトハギの種子を一つ一つ剥ぎ取った。(因みに、イノコヅチの食い込んだ突起は、洗濯機で回しても落ちない)そして散らばった種子が風で更に拡がり、今年芽生えて一気に庭中に縄張りを確保したのだろう。気が付かなければ、何処まで旅を続けたのだろう?賢く、果てしない旅路である。

 ふと、動物カメラマンであり卓越したエッセイストでもある星野道夫の「旅をする木」の一節を思い出した。アラスカの動物学者ビル・プルーイットの著書の引用である。

 ……早春のある日、一羽のイスカがトウヒの木にとまり、浪費家のこの鳥がついばみながら落としてしまうある幸運なトウヒの種子の物語である。さまざまな偶然をへて川沿いの森に根付いたトウヒの種子は、いつしか一本の大木に成長する。長い歳月の中で、川の浸食は少しずつ森を削っていき、やがてその木が川岸に立つ日がやって来る。ある春の雪解けの洪水にさらわれたトウヒの大木は、ユーコン川を旅し、遂にはベーリング海へと運ばれていく。そして北極海流は、アラスカ内陸部で生まれたトウヒの木を遠い北のツンドラ地帯の海岸へと辿りつかせるのである。打ち上げられた流木は木のないツンドラの世界でひとつのランドマークとなり、一匹のキツネがテリトリーの匂いをつける場所となった。冬のある日、狐の足跡を追っていた一人のエスキモーはそこにワナをしかけるのだ……一本のトウヒの果てしない旅は、原野の家の薪ストーブの中で終わるのだが、燃え尽きた大気の中から、生まれ変わったトウヒの新たな旅が始まっていく……

 人もその他の生き物も、いずれは大地に朽ち、最後は分子に還っていく。やがてその分子は何らかの形となって蘇ってくる。誕生以来46億年、地球の分子数はそれほど変わっていないという。
 壮大な輪廻転生、私たちの旅路には、決して終わりはないのだ。
                  (2017年9月:写真:盗人萩の花と種子)