蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

湯治……レトロな宿で

2018年11月01日 | つれづれに

 5ヶ月振りの温泉だった。入院・手術を経て、湯船で熱中症に罹りそうな苛酷な夏場は見送り、ようやく秋風の中に傷を癒しに出掛けることにした。
 佐賀県武雄温泉。単純温泉・炭酸水素塩泉 であり、ここには、東京駅、日本銀行本店などを設計した、唐津出身の辰野金吾設計による重要文化財の楼門と新館がある。伝説によれば、神功皇后が凱旋の途中、太刀の柄(つか)で岩を一突きしたところ、たちどころに湯が湧き出たと言われており、かつては柄崎温泉と呼ばれていた。また、蓬莱山の麓に湧くことから蓬莱泉とも呼ばれていたという。
 豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には、負傷兵士の湯治場として利用したといわれる。
 江戸時代は街道の宿場町としても栄え、幕末にはシーボルト、吉田松陰など、長崎を往来した勤皇志士や文人らが盛んにこの湯を訪れた。江戸時代初期には伊達政宗、宮本武蔵が入湯したともいわれる。

 佐賀県の温泉と言えば、斐乃上温泉、喜連川温泉と共に「日本三大美肌の湯」に選ばれている嬉野温泉がある。ナトリウム - 炭酸水素塩・塩化物泉で、歴史は非常に古く、此処も神功皇后の西征に遡る。帰途、傷を負った白鶴を見付け心配していたところ、河原に舞い降りて湯浴みをして、再び元気に去っていくのを見て、「あな、うれしや」と感歎された。この語が転訛して「嬉野」という地名になった。嬉野は元々「うれしや」と呼ばれていたとされる(温泉組合では「うれしいの」が嬉野となったと記述されており、由来に諸説があるという)。ここも又、長崎街道の宿場町である。

 いずれも、走れば1時間余りの近場である。武雄温泉の向こうに、嬉野温泉がある。今回は、「美肌の嬉野温泉」ではなく、「傷の武雄温泉」(と、武雄温泉の中居さんが言っていた)を選んだ。選んだ理由がもう一つあるが、それは次回に譲る。
 買い替えて間もない新車が、初めて高速に乗る……少しばかり緊張感しながら、風の中を九州道から長崎道を走った。思った以上にハンドルの安定性が心地よく、久し振りに秋空のドライブを楽しんだ。

 3年半ぶりに訪れたレトロな宿である。佐賀県なのに、何故か「京都屋」という。寝るだけの部屋は畳の根太板があちこち抜けていたが、1泊2食付き¥9,000の優待だから、贅沢は言わない。大浴場でトロトロすべすべの湯質を心ゆくまで満喫した。この湯があれば、もう何もいらない。

 ロビーの傍らに、レトロな喫茶室がある。この宿で一番のお気に入りの場所である。古いオルゴールや電蓄の音色を聴きながら、水出し珈琲の香りに浸る。
 特に、オーク材で作られたラッパの蓄音機が珍しい!昭和16年に売り出されたという童謡[鳩ポッポ」のSPレコードを聴かせてもらいながら、この電蓄の由来を読んだ。
 
  ~REGINAPHONE  Wooden horn Style 150~
      1910年代製造 レジーナ社(アメリカ)製
 「レコードとの過渡期に製造されたオルゴールと蓄音機の兼用タイプ。高音から低音まで音域すべてに渡って音色が美しいのがこの機種の特長です。
 取り付けられたウッドフォン(木のラッパ)は蓄音機のスピーカーの役割をしています。
 本来男性的といわれるオーク材を、曲線的な作りで柔らかく見せている箱の部分には、虎斑(とらふ)と呼ばれる自然のシマ模様。これは材質の密度が高い証拠。
 つまり木のよい部分を使っているということなのです。
 シンプルですが、愛着のわきそうな作品です。」
 
 ベッドの生活に慣れた身体に、畳に敷かれた布団の起き伏しがこたえた。この前来た時には感じなかったのに……3年半の歳月の流れを実感した一夜だった。
 やはり、ベッドで露天ぶろ付きの宿がいい……ささやかな贅沢が許される歳である。

 10月の晦日だった。
                 (2018年10月:写真:レトロな電蓄)