吐口から落ちる湯の音が、深い夜の暗がりに静寂を呼ぶ。湯船に差しかかる紅葉は既に枯葉色。乱高下する温度変化で、今年は目を瞠るような鮮やかな紅葉を見ることはなかった。ようやく季節に気温が追い付き、俄かに冷たい風が吹き始めた。夜気に濃くなった湯気が、湯の上を捩れるように這う。人っ子一人いない露天風呂を、今夜も独り占めして夜が更けた。
宿に着いてすぐに飛び込んだ大浴場は、未就学の姉弟を連れた父親とお爺ちゃんの家族連れに占められていた。吐口の下の半畳ほどの湯船はピリッと熱い。48度の源泉から送る間に少し冷まして、そのままかけ流しているから、多分43度はある。熱めの湯が好きな私にとっても、ちょっと覚悟が要る。
その湯が岩の隙間を通って、4畳くらいの第二の湯船に注ぐ。此処は逆に冷え過ぎて、入ったら出るに出られぬ38度くらいの湯だった。そこを、姉弟が潜ったり泳いだり騒ぎまわり、鼻血まで出して遊んでいた。折角楽しんでいる家族連れである。しぶきを浴びながら、じっと我慢してぬるま湯に浸っていた。一家が露天風呂に移ったのを機に、ようやく熱い湯船に沈んで、術後の股関節を労わった。
術後3ヶ月半の検査と診察を受けた。毎日のストレッチを重ねたお蔭で、左足の筋力は右足並みに回復していた。「7000歩程度の長距離歩行や、坂道、階段、山道の歩行も可能となり、日常生活に殆ど支障ないレベル。ただ、端坐位保持後の起立動作時(要するに、長く椅子に坐った状態から立ち上がったとき)に、鼠蹊部及び股関節外側に軽い疼痛が残る(但し、数歩歩けば、この痛みは消える)」
理学療法士のリハビリ報告書を見て、医師が言う「まだ、痛みが残ってますね。どうします?まだリハビリ継続可能ですから、もう少し頑張ってみましょうか?」(同一病気でのリハビリ治療は、150日が限度)
その言葉に、安心して九州道に乗った。鳥栖JCTを左折して大分道に乗り、我が家から50キロ、1時間足らずで原鶴温泉に着いた。新車の走りが心地よかった。
夕食で飲んだ冷酒の酔いを醒まし、露天風呂を独り占めした。「日本の名湯100選」に選ばれた湯である。「殿の湯」、「姫の湯」の入り口に掲げられたパネルに、こうある。
「アンチエイジングの湯。源泉かけ流しで、加水も加温もしていません。本物の純生の温泉に、どうぞごゆっくりお楽しみください。男性は、いつまでも元気で、逞しく、格好よく、女性はいつまでも若々しく、美しく、しなやかに」
ちょっと手遅れか、と苦笑いしながら……しかし、この肌触りの滑らかさはどうだろう!我が肌ながら、とろりすべすべとして、まるでしなやかな女体に触れているように……夜気が呼んだ、ひとりよがりの妄想だった。
原鶴温泉「やぐるま荘」、部屋数は少ないが、広い敷地に贅沢な空間が広がり、浴室の広さでは原鶴でも1、2を争うとか。
気負わない料理が美味しかった。やたら創作料理風に凝り過ぎた料理を出す温泉宿が増えた中で、素材の味と食感をそのまま生かした素朴な料理がいい。その、真っ向勝負な味が心地よく、「今年訪れた温泉では一番!」とお女将に告げた。化粧塩に飾られて反り返った大振りな鮎の塩焼き。此処は、鵜飼で知られた筑後川の畔、骨を外して舌鼓を打った。
2合の冷酒を二人でもてあまして部屋に戻り、下を向けないほどの満腹感に布団に倒れ込んだ。この宿は、チェックインした時に、既に部屋に布団が敷いてある。
「温泉に入られて、ゆっくり夕飯までおやすみ下さい」
初めて経験した、嬉しい心遣いだった。
帰路は一般道を走る。途中寄った「道の駅・原鶴ファームステーション・バサロ」で旬の富有柿をはじめ、したたかに買い物をした。
「バサロ」とは、方言で「どっさり」、「沢山」を意味するという。その名に恥じず、しかも昨年の7月5日九州北部を襲った記録的な集中豪雨で大きな被害を受けた、朝倉市杷木町の復興に少し貢献したかなと、些細な自己満足に浸りながら帰った道は35キロ。
ナビは、距離より所要時間を優先するものらしい。
帰り着いた家は、たった一夜の留守なのに、しんしんと冷え切っていた。留守の間に、初冬の気配が忍び込んでいた。
(2018年11月・写真:やぐるま荘「殿の湯」)