蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

照之、でかした!

2018年11月08日 | 季節の便り・虫篇

 少雨傾向顕著な秋である。昼夜14度もの温度差に翻弄されながら、ようやく空気の冷たさに馴染み始めたというのに、また1ヶ月季節を戻し、24度を超える異常な暖かさが続く毎日になった。昨日、東京ではミンミンゼミが鳴いたという。
 朝と昼で下着まで替えないと、温度変化に身体がついていけない。それじゃなくても、寒さに過敏に反応し、暑さに鈍くなるのが年寄りである。だから夏は熱中症で倒れ易く、冬は風呂場の脱衣所で亡くなる人が増える。
 「他人ごとじゃないよなぁ!」、とぼやきながら、久し振りに近付く雨の気配に、次第に重くなる空を眺めていた。

 ハナミズキの葉がようやく散りつくし、キブシの落ち葉が盛んになった。気温乱高下の中で、季節は秋から冬への歩みを進めている。
 これから木枯らしの季節にかけて、山道の散策の度に目を凝らして、カマキリの卵塊(卵鞘)を探す。お馴染みの「野うさぎの広場」に向かう途中、博物館に上る89段の階段の左ののり面が、私の格好の狩場である。葉が落ちて茎だけを残す草や木の数十センチ上に、それはある。
 狙うのは、分かりやすいオオカマキリの卵塊。折り取って庭の鉢に挿しておくと、春3月、この卵塊から200匹ほどのちびっこカマキリがワラワラと誕生する。前幼虫という姿で卵塊から這い出るとすぐに脱皮し、一丁前のカマキリの姿になって、斧を振りかざす。ちょっぴり小生意気で、可愛くて、それが見たさに、冬場の卵塊狩りをやめられないのだ。

 200匹ほど生まれても、天敵に襲われたり、共食いしたりで、生き残るのは僅か2~3匹でしかない。交尾しながら、雌が雄を食べてしまうのは有名な話だし、目撃したこともある。残酷と言うのはあくまでも人間目線、動くものは獲物と認識する本能が成せる業であり、産卵に必要な栄養を蓄えるための仕方ない行動なのだ。むしろ、頭から食べられながら交尾を続ける雄の健気さにエールを送るべきだろう。神経系統が異なっているから、こんな器用な真似が出来るらしい。多少、羨ましくもある。

 このところ2年ほど、卵塊を見付けらずにいた。今年も、リハビリの合間を縫って数度この道を辿ったが、まだ発見出来ていない。
 ところが……である。今朝、寝室の窓を開けたら、外に提げた天津簾の裏側に、乾いた泡状のオオカマキリの卵塊が固まっていた。
 退院した日に、洗濯物にしがみ付いて迎えてくれたオオカマキリ……香川照之の「昆虫凄いぜ!」のカマキリの着ぐるみを思い出したものだった。その後、キブシの葉陰でセミを貪り食っていたオオカマキリ。「照之、食い逃げかよ!」と書いた、あの一匹ではないと思うが、ちゃんと私の寝室の窓辺に産み付けてくれたのが、何とも粋で健気ではないか。
 だから今回は、「照之、でかした!」とタイトルをつけることにした。

 卵鞘は、産み付けられたときはふわふわの泡状だが、数時間で固くなる。これから天敵に耐えながら寒い寒い冬を越す。この固くなった卵鞘で、寒さに耐え、衝撃にも耐え、カマキリタマゴカツオブシムシや、オナガアシブトコバチなどの攻撃にも耐えなければならない。生存率の低い幼虫たちは、生まれる前から様々な試練をくぐらなければならないのだ。
 ネットの解説に、こんな一節があった。
 「(交尾中に雄を喰ってしまうという)この行為は、産卵に必要な栄養を補給するためであり、これによってより多くの子孫を残すことができるのです。 どうせ生き延びても冬は越せないので、ある意味で命を有効活用していると言えます。」
 
 カマキリが産卵する高さによって、冬の降雪量を予測できるとの俗説がある 。天津簾に産み付けられた卵塊は、およそ1メートルの高さである。太宰府は「福岡の豪雪地帯」とからかわれることもあるが、まさかここまで積もることはあるまい。あくまでも、雪国での俗説だろう。

 春の楽しみが増えた。歳取るほどに、日々の小さな喜びの発見が貴重になる。明日は、どんな喜びが待っているのだろう。

 島根の、20年前の仕事の取引先から、今年もドライアイスで渋を抜いた西条柿が届いた。11月恒例の贈り物である。リタイアして20年も過ぎたのに、いまだに忘れずいてくれて、家族ぐるみのお付き合いが続いている取引先が、島根、徳島、北九州などにある。40年の会社人生の、かけがえのない財産である。
           (2018年11月:写真:天津簾に産み付けられたオオカマキリの卵塊)