蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

初夏の「お練り」

2017年04月16日 | つれづれに

 数日前まで冬の名残に震えあがっていたのに、春を通り越して一気に初夏が来た。桜吹雪も終焉を迎え、楠若葉がもこもことカリフラワーのように湧きあがる季節である。

 博多座からカミさんに、「よろしかったら……」というお誘いのメールが届いた。6月博多座大歌舞伎「八代目中村芝翫、四代目中村橋之助、三代目中村福之助、四代目中村歌之助襲名披露公演」に先立ち、親子4人が揃って太宰府天満宮に公演成功祈願に訪れ、参道を人力車で「お練り」することになった。博多座大向うの会「飛梅会」の会長が所用で行けないから、掛け声の助っ人をお願いしたいという。
 根っからの歌舞伎贔屓・歌舞伎通のカミさんに異論があろうはずがない。滅多に見られない太宰府での大看板の「お練り」に失礼があってはならないと、少しばかり衣服を整え、汗ばむような初夏の日差しの中を太宰府駅に向かった。
 徒歩10分の我が家から小走りに急ぐ道の先に、2台の人力車が現れた。カミさんがトコトコと駆けだす。昨日名残りの桜見物に親しい友人と出掛け、15,000歩も歩いて疲れている足が縺れないかと、ハラハラしながら見守っていた。4人の同時襲名の「お練り」である。台数不足で応援に駆け付ける人力車だった。

 12時、俄かに拍手が巻き起こり、ご一行が到着した。駆け寄って人力車に乗る芝翫さんに「成駒屋~っ!」と第一声を掛ける。あとはひたすら、声掛け三昧だった。博多座社長が先導し(因みに彼は、私の高校同窓である)、襲名の4人を乗せた縦一列の人力車が、ゆっくりと参道を練っていく。声を掛け、振り向いたところをカメラに撮り、又駆けだして、原色のファッションと色つきミラーサングラスで、ワーチャカワーチャカと傍若無人に騒ぐ姦しいアジア系観光客をかき分け、自撮り棒をかいくぐりながら、先に回り横に付き、「成駒屋っ!」「八代目っ!」「橋之助っ!」「福之助っ!」「歌之助っ!」と声を掛け続けた。羽織袴の爽やかな4人が、声に応えて振り向き、笑顔で手を振りながら、シャッターが落ちるまで目線を合わせていてくれる。いつもの3階席から遠く声を落とすのと違い、手の届く目の前で反応が返って来る……これは無上の快感だった。初夏の日差しに映える役者絵のような4人、声掛けの醍醐味、此処に極まった。

 昇殿して祈願に向かうご一行を太鼓橋の際で見送り、顔なじみの宮司夫人(またまた因みに、宮司ご夫妻は、共に私の小中高の後輩である)が教えてくれた菖蒲池の傍らの献梅の現場で待つことにした。気が付けば全身汗にまみれ、喉はからから、脱水症状を起こしそうなほどの虚脱感だった。既に植え込まれた梅の側に土が盛られ、水桶が置かれ、6本のシャベルが立てられている。巻かれた熨斗には「梅に鶯」の絵と「献梅 六月博多座大歌舞伎 襲名披露公演記念」の文字が書かれていた。

 献梅を終え、天満宮の総檜造りの迎賓館「誠心館」での食事に向かう御一行を見送り、私たちも梅園の中の茶店で遅い昼食を摂った。勿論メニューは「幕の内弁当」。誘いに応じて駆けつけてくれた、カミさんが世話する「たまには歌舞伎を観よう会」100人近い仲間のうちの一人を誘って、興奮冷めやらぬ昼食の寛ぎだった。
 
 食事を済ませた帰り道、思いがけないサプライズが待っていた。(実は密かにに期待していたのだが)
 わざと道を逸れて「誠心館」の横に抜けたとき、博多座の常務と出会った。
 「もうすぐお帰りです。折角だから、一緒にお見送りしましょう」
 私服に着替え現代の若者姿に戻った子供たちは、すっかり襲名前の宗生、国生、宣夫(よしお)に戻っていた。博多座社長と太宰府天満宮宮司夫妻から紹介され、思わず伸ばした手を優しく握ってくれた芝翫さんの掌は、大きく柔らかだった。車に乗り込む4人に、「成駒屋~っ!」と最後の声を掛けて見送った。

 午後から天気が急変し、夜の闇の中を激しい雷鳴を伴って、叩きつけるような雨が襲った。
 「お練りがいいお天気でよかったネ」とカミさんと話しながら、「六月博多座大歌舞伎」への期待が膨らんでいった。
 (最後の因みに、実は私は雷鳴と稲妻が大好きである。大気を切り裂く稲妻の追っかけをしたこともあるし、地軸を轟かせるような雷鳴を聞くとわくわくと心が躍る。)

 初夏の嵐で、散り急いでいた桜はすっかり花を失い、季節は短い春から初夏への歩みを速めていくことだろう。
                          (2017年4月:写真:襲名披露挨拶)

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