久しぶりに琵琶湖に沈む夕日を見た。岐阜からの取材の帰りの電車の中からだった。冬と違い燃えるようによりはぼんやりとしている。心地よい風がふく夕方、1日で咲いてしまった桜がうつくしい。世界がピンク色だ。
今日も取材でお会いした西日本の方たちに「なぜ長浜に?」と質問を受けた。長浜の町が気にいったので という答なのだが、私自身も定かでないこの頃だ。ただ、一番私を動かしたのは、重度の障がい者たちの電動車椅子サッカーの取材だった。そこで感じた「いのち」そのものでぼーっと生きている自分を感じた。そして、琵琶湖に沈む真っ赤で大きな夕日を見た。最後のチャレンジだった気がする。
この頃思う、「かくごなんてできるわけがない」と。長浜に越してくるには、ここで骨を埋める気持ちだった。最期までここで何とか暮らすと。もちろんその気持ちは変わらない。でも、私はなにも覚悟していない自分を感じている。それは、母の突然の死が色濃く影響しているかもしれない。突然大事な人がいなくなったら、泣けばいいとおもう。これ以上泣けないくらい泣けばいいのだと。その日を覚悟する必要なないと。自分のこともそうだ。
ただ今日一日神さまの与えてくださった日を生きるだけ。そう思うとなにか肩に力がはいらないのか、多くのことを受け入れられる。そう、「かくごなんていらないのだし、できるわけがない」