今日は昨日と違ってどんよりした夕方だ。「ゆったり癒しのハープ演奏」などを聞いていると、まどろみそうだ。外へ出ても冷たい風が吹いている。なんとなくさびしい。今朝頂いたメールに、過ごした(大事な方と)土地のこと(時間)を「遺品めいた時間探し」という表現をしてあった。なにかを辿っていくとひも解かれていく時間がある。やはり、それは20代などのことが多いようだ。無意識のうちにも、50歳ごろから、その土地へ気持ちが向いていくのかもしれない。
昨夜のNHKで「毒親」を特集していた。なんともこわい言葉だが、子供に「毒」になるような言動を取る親をいうらしい。そのときの出演者が「愛着」とか「安全地帯」という言葉を使っていた。心理学の言葉だった。やはり、「毒親」の問題も母親と(養育者)子供の幼いときに形成される「愛着行動」からきているらしい。過干渉もネグレクトもその原因になるという。「愛着」が正常ならば、子供は安心して親から離れて行動ができるようになる。つまり、それが「安全地帯」という言葉になる。必ず、親が見守っていてくれるという安心感だ。
15年前くらいに心理学を学んでいたときは「毒親」という言葉はなかった気がする。ただ、子供のころの親子関係が大人になるまで影響するということを学んだ。私自身そうだったからだ。わけのわからない不安感がどこからくるのかが知りたくて心理学を学んだ。無意識に親に心配をかけたのだろう。そうすることで、愛情を得ようとしていた。
心のブラックホールみたいなものだ。でも、このごろは親は親でそれどころでなかったのだろう と思うようになった。親自身も大事なときに保護されなかったり、干渉されて育ったのかもしれない。完璧な親はいない。それでも、だれかから「安心」をもらえれば、いくつからでも癒されて生きていけるのではないだろうか。そう、「安全地帯」があれば。長いくらいトンネルも抜けられる。