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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

ころされてもゆるせるか

2019-05-15 18:49:19 | 日記

夕方6時ごろに仕事が終わった。「すごいじゃない、まちこちゃん」と自画自賛。一つずつ優先順位を決めてしていくので、案外予定通りに終わる。あれもこれもは気ばかりあせっていけない。それに、できなくくてもなんとかなる というお気軽モードになった。だいたい私のすることは命に関わることなんてないのだから。そう、そう、今朝朝ドラでいっていた「人のすることにいいも悪いもない」と。自分で決めていることが多い。よく法に反しない限り と前書きがつくが、キリスト教では「殺されても許すのです」と言われる。三角関係の縺れで人を殺したというは話のとき、シスターが言われたときはびっくり!した。

でも、昨今の痛ましい交通事故をみていると なんともなんともだ。池袋で奥さんとお子さんを亡くされ、再びこのようなことがないようにと写真を公開し、記者会見に臨んだご主人の姿は、涙無しには見られなかった。『これからどう生きたらいいかわからない』という悲壮な叫びに、かける言葉がみつからない。私も5年前に交通事故に遭った。T字路を右折してきた車に横断歩道で撥ねられた。夕方の事故が起こりやすい時間帯だった。運転していたのは主婦で、子供を迎えにいくときだったようだ。軽自動車のフロントガラスに頭を打ち、それから地面に落ちたらしい。幸い、背負っていたリックがクッションになったようだが、事故の検証で車のフロントガラスを見たときは青くなった。あと3センチずれればフレームの金属で頭は切れて大ごとだったろう。

私の体重が3キロ重ければ、フロントガラスに飛ばずに車の下敷きだったろう。下半身不随かもしれない。病院で十字架に付けられたように身動きもできず、どこか悪いに違いないと、痛み止めももらえず何度も血液を採られ3日間を過ごした。それでも、何度も謝る加害者に「私はキリスト者ですので、許します」と言ったことを覚えている。

でも、夫がいたら・・・、子供がいたら・・・、もし、下半身不随になっていたら・・・許せただろうか?長浜は車社会でとても恐い。とくにおばさんドライバーが例の右折をするときは恐くて渡れない。病気とかと違い、あるとき突然の交通事故死などは許せ というのが無理なことだろう。車は走る凶器である と思うことが多いこの頃だ。

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