処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

となかい

2025-02-11 18:06:01 | 身辺雑記

このブログのタイトルは《 となかい 》。あの動物のトナカイを指すのではない。十七回を音読みすると《 じゅうしちかい 》或いは《 じゅうななかい 》。これをさらに捩じって強引に《となかい》となったようだ。1921(大正10)年に創立された神奈川県立平塚女子校が源流。学制改革などで1950(昭和25)年に男女共学となり、この年からの17番目の年に入学した生徒たちの勝手な集まりを名付けたものである。   

        

      平塚江南高校

 

    

   会場のレストランのイタリア館 

 

世にいう団塊の世代は1947年生まれからの3年間。その前年が我らの世代。古希の集まりを最後に同窓会は終了。その後、気の置けない仲間内で続けようと始まったこの《 となかい 》。当初は30人を越す集まりだったが、一人消え二人消え、近時の1月25日には17人が集まったのだった。

年に一度、平塚市内のレストランやスナック、時には中華料理店などで17時から。10年ほど前までは二次会三次会と元気だったが、特にコロナ禍以降は、東京住まいの人もおり、ランチ時間の開催となった。なんといっても御年78歳の面々。「転んだら一大事」との幹事の采配である。

今回の集まりは、仲間の水島藤一郎氏=日本年金機構前理事長=の【 旭日重光章 】受賞の祝賀を兼ねていた。昨秋の受章のニュース時に、この種の褒章にはとんと縁のない身なので「是非どんなものか後生のために見せて欲しい」とせがみ、今回スマホ画像での眼福とさせて貰った。

          

         

特大の賞状は、二個の勲章とともに菊の御紋入りのガラス額に収納されており、とても一人では抱えきれない大きさ。「見せて欲しい」との言い草はなんと世間知らずだったかと一人赤面したのだった。

 

 

 

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劇場版 中島みゆきコンサート 歌会 vol.1

2025-01-12 14:13:40 | 音楽

     

新年正月の二日と三日は恒例の箱根駅伝。
テレビの前で都合10時間余。茶菓・みかんその他もろもろを口にしながら声を枯らして応援。終わってみれば悔しさと安堵の7位。「来年がまた楽しめる」と負け惜しみと期待を残して家人と家を出る。バカバカしいテレビの正月番組はノー・サンキュー。向かった先は、電車で四つ先の駅のモールにあるシネコン《109シネマズ湘南》

  

シアター6の客はシルバー世代が20人ほど。キャパは200位か。これには驚いた。白髪や禿頭でゆっくり動作、転ばないようにお互い手を繋ぐカップルが、皆さん手抜きの正月番組にウンザリした挙句に押しかけているものと予想していたからだ。
近年、オペラや歌舞伎などが、映画館で楽しめる場が増えている。この中島みゆきも《夜会》などで先行してきたように思う。
券種の区別は無く一律3300円。約2時間、好きなミュージシャンの好きな歌を豊富なカメラワークのおかげで遠近自在に満喫できるのだ。

もう一つの驚きは、彼女は20曲くらい歌ったのだろうか。「わかれうた」「悪女」「この空を飛べたら」「しあわせ芝居」など現役時代に仕事相手や同僚たちと盛り場で夜な夜なカラオケをしたあの曲々を中島みゆきは全然歌わなかったことだ。知っている曲はアンコールで歌った『地上の星』の1曲だけであった。「そうか、歌手は進化している生き物なのだ。立ち止まってはいないのだ」ということを痛感したのだった。かつてのあの時代を懐かしむならLPなりCDなりyoutubeで充分果たせるのだ。

  

本編のあと10分ほどの映像はスタッフたちとのメイク映像。ここでの中島みゆきは意外なほどのおばさん。眼鏡でひっつめ髪の中年のおばさん。打ち合わせ、振りの調整、音出し、相づち、談笑など普段着の姿、チームとしての同志感などが伝わって来て好感。

惜しむらくは、リアルのステージでは歌の合間の喋くりが映画ではなかったこと。オーディアンスとの一体感はを楽しむ和やかな場になる。私的な秘話やエピソード、業界の話題などは暖かい清涼剤なのだ。是非今後に期待したい。

終了後出口でデスク・カレンダーを戴いた。

   

    

 

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枯葉 Autumn Leaves

2024-10-27 16:37:33 | 音楽

 2024年はキース・ジャレット Keith Jarett  

                                          Keith Jarret - Autumn Leaves (Tokyo 96)) (Video Clip).mpg

  

 

今年2023年はケニー・ドリュー・トリオ


   

                                                         (静止画像)

   

今年の『枯葉』プラスの一曲は、ジャズでアーマッド・ジャマル。2017年パリでのライブ。
カッコイイ。粋。ラテン風に仕上げていい乗り。あの歴史的な(と言われている)マイルスのとは真逆のプレイ。これでなくちゃあ!
アーマッド・ジャマル


                              2022.10.09

数年前に、この季節になったら、このコーナーに新たな『枯葉』を一曲加えようと思ったことを思い出した。前回はクラプトンをアップした。今年はJazzにしました。

スコット・ハミルトン・トリオ 

若い頃から、ベテランのような円熟の音でビックリしたものだが今や67歳。バラード演奏は追随を許さないが、ブロウの迫力も彼の持ち味の一つ。ノスタルジー溢れた歌心は嬉しく貴重である。

   

                                    21.11.06                      

   △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △

 

この季節になると、『枯葉』を聴く。聴かずにはいられない。まずはスタン・ゲッツ、そしてビル・エバンスとなる。

そして、哀切のメロディ・ラインがイメージを広げて、様々なヴァリエーションの『枯葉』に浸る。

1945年、ジョセフ・コスマがローラン・プティ・バレエ団のステージ『ランデ・ヴー』の伴奏音楽の一曲として作曲したのが原型。、後にジャック・プレヴェールが詞を付けた。翌46年、マルセル・カルネ監督が自作『夜の門』で挿入歌として用いた。

この映画に出演した新人歌手イヴ・モンタンによって歌われたのが歌曲としての「枯葉」のオリジナル。

一番バッターはそのイヴ・モンタンから

 (以下、画像とyoutubeとは関連はありません。youtubeには非動画も含まれます)

   

このバージョンは映画共々ヒットしなかった。しかし、これに続いて当時人気があった知性派の女性シャンソン歌手ジュリエット・グレコが歌ったことで「枯葉」は世に認知されるようになり、1940年代末から1950年代にかけ広まって、シャンソン界のスタンダードとなった。

 

 ジュリエット・グレコ

  

 

シャンソン『枯葉』のアメリカ入りは1949年。キャピタル・レコードが 仏語題『Les Feuilles mortes』を『Autumun Leaves』と英語題に変え、英語歌詞にして発表した。

英語詞作はキャピトル・レコードの創立者でもあったジョニー・マーサー。歌の前説となるヴァースの部分に歌詞を付けず、後半のコーラス部分のみを作詞した。その結果、ポピュラー大国USAではヴァース無しの『枯葉』が普通となった。

 

ナット・キング・コール

   

 

ジョー・スタッフォード

ジョーは、1940~50年アメリカのトップ・シンガー。彼女が歌った『You Belong to Me』(52年)は大ヒットし、いまやジャズのスタンダード・ナンバーとなっている。1960年にグラミー賞受賞。2008年に死去、享年90歳。

    

 さて、いよいよジャズ。

ジャズ・シーンでは、『枯葉』は最もリーリースされている曲の一つ。コード進行がジャズ向きということがその理由にある。名作名演が数多く残されている。マイルス・デイビス、ビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーン、キース・ジャレットと枚挙にいとまがない。

ここでは、ジャズ・ミュージシャンとして最も早く『枯葉』を演奏したスタン・ゲッツ(ts)を挙げる。この繊細さは、日本人の感性にピッタリではなかろうか。

 スタン・ゲッツ

    

 

次もモダン・ジャズから。  

チェット・ベイカー&ポール・デスモンド

チェット・ベイカー(tp)は、50年代半ばまではマイルスを凌ぐ人気トランペッターだったが、ドラッグに溺れて服役もし、ヨーロッパに居を移したが、再び頂点には達し得なかった。1988年アムステルダムのホテルの窓から転落死した。モノセックスの彼のヴォーカルには、今でも多くのファンが付いている。ポール・デスモンド(as)は、デイブ・ブルーベックの『テイク・ファイヴ』が60年代、わが国で一世を風靡した。蛇足ながらポール・デスモンドのアルバム『イージー・リビング』の『ホェン・ジョアンナ・ラヴド・ミー』をご一聴あれ。

     

 

 フランク・シナトラ

次はヴォーカル。超一級のジャズ歌手にこれは無いだろうと言われる向きもあるでしょうが、ストリングスで歌うシナトラ。聴くほどに 胸に沁み入ります。

   

 サラ・ヴォーン

「何これ?枯葉?」の声が聞こえてきます。全曲すべてスキャット。驚くべく『枯葉』。ジャズ史上に残る名唱でしょう。

 1982年パブロ・レーベル。選曲、バックス、ジャケット、タイトル、すべて自身のプロデュースでアルバムをリリース。ギターがジョー・パス、ピアノがローランド・ハナ、ベースがアンディ・シンプキンス、ドラムがハロルド・ジョーンズ。ジャズ・ヴォーカルの王道をいくアルバムと言える。

   

マントバーニ・オーケストラ

 イージー・リスニングからも一曲。他にもパーシー・フェイス101ストリングスポール・モーリアフランク・プールセルシリル・ステイプルトンetc,etc。名曲だけに数限り無し。

  

 エリック・クラプトン

 最後は、現代ロックの最高峰が奏でる『枯葉』。クラプトンの音楽性を表す至福の一曲。素晴らしい!!

  

※このブログは、昨年この時期にアップしたが、ブラッシュ・アップをして再び掲示した。いずれも名演揃い。選曲も画像も満点と自画自賛。

  やはり{枯葉」はいいのだ。 来年もやろう。

 

 

 

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わが人生 縁と恩に有難う

2024-07-13 18:20:06 | 

著者 田中 俊孝

出版 神奈川新聞社

定価 1500円+税

頁数 170頁

 

        

 

 

2023年10月から3カ月間、神奈川新聞に62回に渡り連載された中小企業の社長の自叙伝である。 

自身が経営者として歩んできた人生とは何だったのだろうか。果たして、功成り名を遂げたと言えるのだろうか。人生のターニング・ポイントで去来した思いが、そのまま書名の『縁と恩に有難う』になった。そんな素晴らしく素直な感謝と奮闘の一代記である。

著者とはほぼ同世代。ここで登場する昭和の世相やトレンドやゴシップ、熱気などは殆ど共有できる。ちなみに、私のIDの一つは〈vintage.shonan-boy.1946〉であることを告白しておこう。”右型上がり”やら”護送船団方式”と名付けられ、国際的にも類を見ない”分厚い中間層”が我が国を支えた時代である。自分を信じ仲間との紐帯に意気を感じ、為せば成ると確信に満ちた時代。一実業家の生きざまは、即同時代を生き抜いてきた我々一人ひとりの物語でもある。悪戦苦闘、愛別離苦、慙愧の念、欣喜雀躍みな収まっている。

とりわけ印象深いのは著者の父君への思いであろうか。行間に散見できる。艱難を乗り越えたのは遺訓によるところが少なくない。
そのいくつかを抜粋する。
・同年代と遊んでも得るものは少ない。どうせなら、年上と付き合え。
・お前ひとりが出来ることは高がが知れている。だから、できる人間を使える人間になれ。
・まかぬ種は生えない。
・感謝を忘れるな、礼節を欠くな。
・自分のしたことは必ず自分に返って来る。一流の店に行け、そこには地元の一流の人がいる。
・借金をしたら最後の一円まで返さないと次の成功はない。
・信義を通せ、逃げるな。
・身近な所から商売を始めるな。
・10年頑張れば固定客がつかめる。それまで自分の力を尽くせ。
・相談できる人を持て、人生の宝物になる。そして感謝の気持ちと礼節を忘れるな。
・読書で得た知識が何らかの縁によってよみがえり示唆を与えてくれる。

特別な言説ではない。当たり前のことどもである。しかしこれを素直に実践して苦境を切り拓いてきたところにこ御仁の父君へのリスペクとDNAを感じる。

23年8月に子息に代表権を譲ったとある。ひとまず、衷心より慶祝の辞を贈らせて戴こう。

時は誰人にも平等に流れる。だが、どのような時を刻むかはそれそれの心で決まる。行動で決まる。

 

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さらば、友よ!

2024-07-12 18:34:27 | パイプ

1984年4月に約一か月間、ヨーロッパで仕事をしたことがあった。
回った順にフランス、スイス、オーストリア、ドイツ、スウェーデン、デンマーク、フィンランド。

国際会議への参加と関係する各国の機関や団体への訪問・協議・交流が主な内容である。

           

ジュネーブの国際会議場。ドアを入ったとたんに馥郁たる薫り。初体験の香りである。はて?
同行の国連職員に、「何の匂いか」と尋ねた。「演壇中央に座る議長が銜えているパイプだ」との返事。千人のキャパのにも拘らず、たった一人が放つ芳香にビックリ。この贅沢を自分もやってみたい。

あとで知ったのだが、デンマークもスウェーデンもパイプ愛好者の多い国。この旅でパイプのノウハウを教わり、爾来40年弱楽しんできた。葉の選択、パイプの形状やブランド、手入れ等々、素人も三年続けりゃ立派な玄人。ワイン、ブランデー、TPOにもカッコつけ、自己流の喫煙家を自負してきた。

我が人生もすでに終活期。身の周りの整理の一環で、買取で名の通った業者が東京から出張鑑定するという全国紙広告を目にし試しに持ち込んでみる。

結果、値のついたのはパイプはダンヒルが1万円、シャコムが千円、ライターでダンヒル千円、カルチエ(シルバー)5百円。30年の間に国内外で買い求めた総額からは思いつかない呆れるほどの廉価。嘆きつつも手放したのだった。

実は、3か月年前にはジャズのLPレコード50枚、ドーナツ盤(70~80年代の邦盤)100枚を、これも業界第一とい言われている業者に査定して貰い、結局売ったのだが、その時の衝撃が大きく、お陰で今次の打撃は多少減じたのだった。でも悔しい! 悲しい! 無念! 自身の半生の証が無い! 

この先、そうした思いがすべてに纏わって来る。

「さらば友よ‼」「有難う‼」

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