処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

枯葉 Autumn Leaves

2024-10-27 16:37:33 | 音楽

 2024年はキース・ジャレット Keith Jarett  

                                          Keith Jarret - Autumn Leaves (Tokyo 96)) (Video Clip).mpg

  

 

今年2023年はケニー・ドリュー・トリオ


   

                                                         (静止画像)

   

今年の『枯葉』プラスの一曲は、ジャズでアーマッド・ジャマル。2017年パリでのライブ。
カッコイイ。粋。ラテン風に仕上げていい乗り。あの歴史的な(と言われている)マイルスのとは真逆のプレイ。これでなくちゃあ!
アーマッド・ジャマル


                              2022.10.09

数年前に、この季節になったら、このコーナーに新たな『枯葉』を一曲加えようと思ったことを思い出した。前回はクラプトンをアップした。今年はJazzにしました。

スコット・ハミルトン・トリオ 

若い頃から、ベテランのような円熟の音でビックリしたものだが今や67歳。バラード演奏は追随を許さないが、ブロウの迫力も彼の持ち味の一つ。ノスタルジー溢れた歌心は嬉しく貴重である。

   

                                    21.11.06                      

   △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △

 

この季節になると、『枯葉』を聴く。聴かずにはいられない。まずはスタン・ゲッツ、そしてビル・エバンスとなる。

そして、哀切のメロディ・ラインがイメージを広げて、様々なヴァリエーションの『枯葉』に浸る。

1945年、ジョセフ・コスマがローラン・プティ・バレエ団のステージ『ランデ・ヴー』の伴奏音楽の一曲として作曲したのが原型。、後にジャック・プレヴェールが詞を付けた。翌46年、マルセル・カルネ監督が自作『夜の門』で挿入歌として用いた。

この映画に出演した新人歌手イヴ・モンタンによって歌われたのが歌曲としての「枯葉」のオリジナル。

一番バッターはそのイヴ・モンタンから

 (以下、画像とyoutubeとは関連はありません。youtubeには非動画も含まれます)

   

このバージョンは映画共々ヒットしなかった。しかし、これに続いて当時人気があった知性派の女性シャンソン歌手ジュリエット・グレコが歌ったことで「枯葉」は世に認知されるようになり、1940年代末から1950年代にかけ広まって、シャンソン界のスタンダードとなった。

 

 ジュリエット・グレコ

  

 

シャンソン『枯葉』のアメリカ入りは1949年。キャピタル・レコードが 仏語題『Les Feuilles mortes』を『Autumun Leaves』と英語題に変え、英語歌詞にして発表した。

英語詞作はキャピトル・レコードの創立者でもあったジョニー・マーサー。歌の前説となるヴァースの部分に歌詞を付けず、後半のコーラス部分のみを作詞した。その結果、ポピュラー大国USAではヴァース無しの『枯葉』が普通となった。

 

ナット・キング・コール

   

 

ジョー・スタッフォード

ジョーは、1940~50年アメリカのトップ・シンガー。彼女が歌った『You Belong to Me』(52年)は大ヒットし、いまやジャズのスタンダード・ナンバーとなっている。1960年にグラミー賞受賞。2008年に死去、享年90歳。

    

 さて、いよいよジャズ。

ジャズ・シーンでは、『枯葉』は最もリーリースされている曲の一つ。コード進行がジャズ向きということがその理由にある。名作名演が数多く残されている。マイルス・デイビス、ビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーン、キース・ジャレットと枚挙にいとまがない。

ここでは、ジャズ・ミュージシャンとして最も早く『枯葉』を演奏したスタン・ゲッツ(ts)を挙げる。この繊細さは、日本人の感性にピッタリではなかろうか。

 スタン・ゲッツ

    

 

次もモダン・ジャズから。  

チェット・ベイカー&ポール・デスモンド

チェット・ベイカー(tp)は、50年代半ばまではマイルスを凌ぐ人気トランペッターだったが、ドラッグに溺れて服役もし、ヨーロッパに居を移したが、再び頂点には達し得なかった。1988年アムステルダムのホテルの窓から転落死した。モノセックスの彼のヴォーカルには、今でも多くのファンが付いている。ポール・デスモンド(as)は、デイブ・ブルーベックの『テイク・ファイヴ』が60年代、わが国で一世を風靡した。蛇足ながらポール・デスモンドのアルバム『イージー・リビング』の『ホェン・ジョアンナ・ラヴド・ミー』をご一聴あれ。

     

 

 フランク・シナトラ

次はヴォーカル。超一級のジャズ歌手にこれは無いだろうと言われる向きもあるでしょうが、ストリングスで歌うシナトラ。聴くほどに 胸に沁み入ります。

   

 サラ・ヴォーン

「何これ?枯葉?」の声が聞こえてきます。全曲すべてスキャット。驚くべく『枯葉』。ジャズ史上に残る名唱でしょう。

 1982年パブロ・レーベル。選曲、バックス、ジャケット、タイトル、すべて自身のプロデュースでアルバムをリリース。ギターがジョー・パス、ピアノがローランド・ハナ、ベースがアンディ・シンプキンス、ドラムがハロルド・ジョーンズ。ジャズ・ヴォーカルの王道をいくアルバムと言える。

   

マントバーニ・オーケストラ

 イージー・リスニングからも一曲。他にもパーシー・フェイス101ストリングスポール・モーリアフランク・プールセルシリル・ステイプルトンetc,etc。名曲だけに数限り無し。

  

 エリック・クラプトン

 最後は、現代ロックの最高峰が奏でる『枯葉』。クラプトンの音楽性を表す至福の一曲。素晴らしい!!

  

※このブログは、昨年この時期にアップしたが、ブラッシュ・アップをして再び掲示した。いずれも名演揃い。選曲も画像も満点と自画自賛。

  やはり{枯葉」はいいのだ。 来年もやろう。

 

 

 

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わが人生 縁と恩に有難う

2024-07-13 18:20:06 | 

著者 田中 俊孝

出版 神奈川新聞社

定価 1500円+税

頁数 170頁

 

        

 

 

2023年10月から3カ月間、神奈川新聞に62回に渡り連載された中小企業の社長の自叙伝である。 

自身が経営者として歩んできた人生とは何だったのだろうか。果たして、功成り名を遂げたと言えるのだろうか。人生のターニング・ポイントで去来した思いが、そのまま書名の『縁と恩に有難う』になった。そんな素晴らしく素直な感謝と奮闘の一代記である。

著者とはほぼ同世代。ここで登場する昭和の世相やトレンドやゴシップ、熱気などは殆ど共有できる。ちなみに、私のIDの一つは〈vintage.shonan-boy.1946〉であることを告白しておこう。”右型上がり”やら”護送船団方式”と名付けられ、国際的にも類を見ない”分厚い中間層”が我が国を支えた時代である。自分を信じ仲間との紐帯に意気を感じ、為せば成ると確信に満ちた時代。一実業家の生きざまは、即同時代を生き抜いてきた我々一人ひとりの物語でもある。悪戦苦闘、愛別離苦、慙愧の念、欣喜雀躍みな収まっている。

とりわけ印象深いのは著者の父君への思いであろうか。行間に散見できる。艱難を乗り越えたのは遺訓によるところが少なくない。
そのいくつかを抜粋する。
・同年代と遊んでも得るものは少ない。どうせなら、年上と付き合え。
・お前ひとりが出来ることは高がが知れている。だから、できる人間を使える人間になれ。
・まかぬ種は生えない。
・感謝を忘れるな、礼節を欠くな。
・自分のしたことは必ず自分に返って来る。一流の店に行け、そこには地元の一流の人がいる。
・借金をしたら最後の一円まで返さないと次の成功はない。
・信義を通せ、逃げるな。
・身近な所から商売を始めるな。
・10年頑張れば固定客がつかめる。それまで自分の力を尽くせ。
・相談できる人を持て、人生の宝物になる。そして感謝の気持ちと礼節を忘れるな。
・読書で得た知識が何らかの縁によってよみがえり示唆を与えてくれる。

特別な言説ではない。当たり前のことどもである。しかしこれを素直に実践して苦境を切り拓いてきたところにこ御仁の父君へのリスペクとDNAを感じる。

23年8月に子息に代表権を譲ったとある。ひとまず、衷心より慶祝の辞を贈らせて戴こう。

時は誰人にも平等に流れる。だが、どのような時を刻むかはそれそれの心で決まる。行動で決まる。

 

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さらば、友よ!

2024-07-12 18:34:27 | パイプ

1984年4月に約一か月間、ヨーロッパで仕事をしたことがあった。
回った順にフランス、スイス、オーストリア、ドイツ、スウェーデン、デンマーク、フィンランド。

国際会議への参加と関係する各国の機関や団体への訪問・協議・交流が主な内容である。

           

ジュネーブの国際会議場。ドアを入ったとたんに馥郁たる薫り。初体験の香りである。はて?
同行の国連職員に、「何の匂いか」と尋ねた。「演壇中央に座る議長が銜えているパイプだ」との返事。千人のキャパのにも拘らず、たった一人が放つ芳香にビックリ。この贅沢を自分もやってみたい。

あとで知ったのだが、デンマークもスウェーデンもパイプ愛好者の多い国。この旅でパイプのノウハウを教わり、爾来40年弱楽しんできた。葉の選択、パイプの形状やブランド、手入れ等々、素人も三年続けりゃ立派な玄人。ワイン、ブランデー、TPOにもカッコつけ、自己流の喫煙家を自負してきた。

我が人生もすでに終活期。身の周りの整理の一環で、買取で名の通った業者が東京から出張鑑定するという全国紙広告を目にし試しに持ち込んでみる。

結果、値のついたのはパイプはダンヒルが1万円、シャコムが千円、ライターでダンヒル千円、カルチエ(シルバー)5百円。30年の間に国内外で買い求めた総額からは思いつかない呆れるほどの廉価。嘆きつつも手放したのだった。

実は、3か月年前にはジャズのLPレコード50枚、ドーナツ盤(70~80年代の邦盤)100枚を、これも業界第一とい言われている業者に査定して貰い、結局売ったのだが、その時の衝撃が大きく、お陰で今次の打撃は多少減じたのだった。でも悔しい! 悲しい! 無念! 自身の半生の証が無い! 

この先、そうした思いがすべてに纏わって来る。

「さらば友よ‼」「有難う‼」

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小松亮太タンゴ・アンサンブル with 国府弘子

2024-06-23 10:25:52 | 音楽

一年半ぶりのライブである。前回は河口湖畔での辻井伸行/加古隆/山下洋輔のジョイント。ついでにちょっと足をの延ばしての二泊三日の行程だった。
今回は電車で20分の大和駅から徒歩6分のシリウスの文化芸術大ホール。心身共に安心・安全、楽々の往復であった。身体は正直ですね。

     

なかなかにエキサイティングなコンサートだった。それは構成に依るところが大きい。一・二部形式。間に20分の休憩を入れ都合2時間半。
第一部はおなじみの有名曲。観客は高齢者が殆ど。若かりし頃、或いは両親が口ずさんでいたタンゴが世界を席巻した時代のナンバーである。
タンゴを辿って世界を回る旅に出ましょうとMC(小松自身が務める)。「まず日本から」と場内に呼びかける。誰しも〔日本のタンゴ?]と。演奏が始まる。『夜のプラットホーム』。服部良一作と紹介される。ドイツ➡イギリス➡アメリカ➡ウルグアイ➡アルゼンチン。

         

タンゴ特有の楽器の特徴や基本となる4種のリズムの解説など、オーディエンスに分かり易く解説する姿は好感度大。

二部は小松自身の作編曲中心の作品。国府とのコラボもここで登場する。タンゴがこれほど編曲が自由だとは知らなかった。自作曲も実に堂々としたもので、聴く人にタンゴへの愛情を感じるさせるものだった。何よりタンゴの維持・発展そして野心が垣間見えた。このくらいの熱と汗が無ければ、タンゴ世界は維持できなかろう。

彼とこの仲間がいればタンゴの将来は案ずることは無い。そんな思いが去来する一夜であった。

終演後の食事は、大和駅近の大乃寿司。家族で行ったり来たりしてきた40年来の友人夫妻の奥様が働いていた寿司店。
その後館山に転居されて逝去された。もう4年前になろうか。一人館山に住むご主人に、リニューアルの模様などを語り、追善などしようと思う。

 

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箱根 ハイランドホテル

2024-04-03 10:41:03 | 温泉

齢40歳頃からだったろうか。年に一度の割りあいで金曜日に職場を抜け出しては箱根の温泉に浸かりに行ったものだった。 
行く先は箱根仙石原のハイランドホテル。新宿のハルク前から始発の小田急の直通バス。17時半発。ホテルには19時半からの最終夕食に間に合わせるという算段。     

    

箱根湯本方面から一号線を走ると、仙石原高原への入り口に位置した傾斜地に建つ低層の建物。白亜の壁と赤い屋根が碧空に映える文字通りのカジュアルホテル。いつかは利用したいとの思いを遂げてから約10年は箱根の定宿として通ったろうか。

    

当時,《オールドワイン》という名のレストラン・バーが食事処。そこでのお好みチーズとデザートの各種プチケーキが食べ放題が最高の贅沢。ストレス雲散霧消・勤労意欲再生の原動力であった。※上記画像は《オールドワイン》ではない。

     

ある時期には、森の奥深くにロッジ風の別棟の離れが設けられたことあった。勿論露天風呂付き。※上記画像は今回の居室
夜の静寂と早朝の鳥のさえずりを満喫したものだった。

         

近年は、ランチか時間調整での立ち寄りが殆どだったが、偶には変わり様を知りたいこともあり一泊を試みたのだった。
夕食のメニュー

     

浴場の更衣室の脱衣の収納はスチールのロッカー。衣服脱着のスペースが狭く、着替えに利用できる椅子は無し。当方の利用が遠のいたのはホテルのリニューアルによって使い勝手が悪くなったのが原因だったが、高齢者が多くなった現在も改良はされていなかったのは残念としか言いようがない。今後利用することは無かろう。

蛇足になるが、この日車で走って来た西湘バイパスは海が風雨で大荒れ、箱根に入ってからも視界10~20mのガス状態だったことも記しておこう。

     




 

    

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