処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

わが人生 縁と恩に有難う

2024-07-13 18:20:06 | 

著者 田中 俊孝

出版 神奈川新聞社

定価 1500円+税

頁数 170頁

 

        

 

 

2023年10月から3カ月間、神奈川新聞に62回に渡り連載された中小企業の社長の自叙伝である。 

自身が経営者として歩んできた人生とは何だったのだろうか。果たして、功成り名を遂げたと言えるのだろうか。人生のターニング・ポイントで去来した思いが、そのまま書名の『縁と恩に有難う』になった。そんな素晴らしく素直な感謝と奮闘の一代記である。

著者とはほぼ同世代。ここで登場する昭和の世相やトレンドやゴシップ、熱気などは殆ど共有できる。ちなみに、私のIDの一つは〈vintage.shonan-boy.1946〉であることを告白しておこう。”右型上がり”やら”護送船団方式”と名付けられ、国際的にも類を見ない”分厚い中間層”が我が国を支えた時代である。自分を信じ仲間との紐帯に意気を感じ、為せば成ると確信に満ちた時代。一実業家の生きざまは、即同時代を生き抜いてきた我々一人ひとりの物語でもある。悪戦苦闘、愛別離苦、慙愧の念、欣喜雀躍みな収まっている。

とりわけ印象深いのは著者の父君への思いであろうか。行間に散見できる。艱難を乗り越えたのは遺訓によるところが少なくない。
そのいくつかを抜粋する。
・同年代と遊んでも得るものは少ない。どうせなら、年上と付き合え。
・お前ひとりが出来ることは高がが知れている。だから、できる人間を使える人間になれ。
・まかぬ種は生えない。
・感謝を忘れるな、礼節を欠くな。
・自分のしたことは必ず自分に返って来る。一流の店に行け、そこには地元の一流の人がいる。
・借金をしたら最後の一円まで返さないと次の成功はない。
・信義を通せ、逃げるな。
・身近な所から商売を始めるな。
・10年頑張れば固定客がつかめる。それまで自分の力を尽くせ。
・相談できる人を持て、人生の宝物になる。そして感謝の気持ちと礼節を忘れるな。
・読書で得た知識が何らかの縁によってよみがえり示唆を与えてくれる。

特別な言説ではない。当たり前のことどもである。しかしこれを素直に実践して苦境を切り拓いてきたところにこ御仁の父君へのリスペクとDNAを感じる。

23年8月に子息に代表権を譲ったとある。ひとまず、衷心より慶祝の辞を贈らせて戴こう。

時は誰人にも平等に流れる。だが、どのような時を刻むかはそれそれの心で決まる。行動で決まる。

 

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さらば、友よ!

2024-07-12 18:34:27 | パイプ

1984年4月に約一か月間、ヨーロッパで仕事をしたことがあった。
回った順にフランス、スイス、オーストリア、ドイツ、スウェーデン、デンマーク、フィンランド。

国際会議への参加と関係する各国の機関や団体への訪問・協議・交流が主な内容である。

           

ジュネーブの国際会議場。ドアを入ったとたんに馥郁たる薫り。初体験の香りである。はて?
同行の国連職員に、「何の匂いか」と尋ねた。「演壇中央に座る議長が銜えているパイプだ」との返事。千人のキャパのにも拘らず、たった一人が放つ芳香にビックリ。この贅沢を自分もやってみたい。

あとで知ったのだが、デンマークもスウェーデンもパイプ愛好者の多い国。この旅でパイプのノウハウを教わり、爾来40年弱楽しんできた。葉の選択、パイプの形状やブランド、手入れ等々、素人も三年続けりゃ立派な玄人。ワイン、ブランデー、TPOにもカッコつけ、自己流の喫煙家を自負してきた。

我が人生もすでに終活期。身の周りの整理の一環で、買取で名の通った業者が東京から出張鑑定するという全国紙広告を目にし試しに持ち込んでみる。

結果、値のついたのはパイプはダンヒルが1万円、シャコムが千円、ライターでダンヒル千円、カルチエ(シルバー)5百円。30年の間に国内外で買い求めた総額からは思いつかない呆れるほどの廉価。嘆きつつも手放したのだった。

実は、3か月年前にはジャズのLPレコード50枚、ドーナツ盤(70~80年代の邦盤)100枚を、これも業界第一とい言われている業者に査定して貰い、結局売ったのだが、その時の衝撃が大きく、お陰で今次の打撃は多少減じたのだった。でも悔しい! 悲しい! 無念! 自身の半生の証が無い! 

この先、そうした思いがすべてに纏わって来る。

「さらば友よ‼」「有難う‼」

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小松亮太タンゴ・アンサンブル with 国府弘子

2024-06-23 10:25:52 | 音楽

一年半ぶりのライブである。前回は河口湖畔での辻井伸行/加古隆/山下洋輔のジョイント。ついでにちょっと足をの延ばしての二泊三日の行程だった。
今回は電車で20分の大和駅から徒歩6分のシリウスの文化芸術大ホール。心身共に安心・安全、楽々の往復であった。身体は正直ですね。

     

なかなかにエキサイティングなコンサートだった。それは構成に依るところが大きい。一・二部形式。間に20分の休憩を入れ都合2時間半。
第一部はおなじみの有名曲。観客は高齢者が殆ど。若かりし頃、或いは両親が口ずさんでいたタンゴが世界を席巻した時代のナンバーである。
タンゴを辿って世界を回る旅に出ましょうとMC(小松自身が務める)。「まず日本から」と場内に呼びかける。誰しも〔日本のタンゴ?]と。演奏が始まる。『夜のプラットホーム』。服部良一作と紹介される。ドイツ➡イギリス➡アメリカ➡ウルグアイ➡アルゼンチン。

         

タンゴ特有の楽器の特徴や基本となる4種のリズムの解説など、オーディエンスに分かり易く解説する姿は好感度大。

二部は小松自身の作編曲中心の作品。国府とのコラボもここで登場する。タンゴがこれほど編曲が自由だとは知らなかった。自作曲も実に堂々としたもので、聴く人にタンゴへの愛情を感じるさせるものだった。何よりタンゴの維持・発展そして野心が垣間見えた。このくらいの熱と汗が無ければ、タンゴ世界は維持できなかろう。

彼とこの仲間がいればタンゴの将来は案ずることは無い。そんな思いが去来する一夜であった。

終演後の食事は、大和駅近の大乃寿司。家族で行ったり来たりしてきた40年来の友人夫妻の奥様が働いていた寿司店。
その後館山に転居されて逝去された。もう4年前になろうか。一人館山に住むご主人に、リニューアルの模様などを語り、追善などしようと思う。

 

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箱根 ハイランドホテル

2024-04-03 10:41:03 | 温泉

齢40歳頃からだったろうか。年に一度の割りあいで金曜日に職場を抜け出しては箱根の温泉に浸かりに行ったものだった。 
行く先は箱根仙石原のハイランドホテル。新宿のハルク前から始発の小田急の直通バス。17時半発。ホテルには19時半からの最終夕食に間に合わせるという算段。     

    

箱根湯本方面から一号線を走ると、仙石原高原への入り口に位置した傾斜地に建つ低層の建物。白亜の壁と赤い屋根が碧空に映える文字通りのカジュアルホテル。いつかは利用したいとの思いを遂げてから約10年は箱根の定宿として通ったろうか。

    

当時,《オールドワイン》という名のレストラン・バーが食事処。そこでのお好みチーズとデザートの各種プチケーキが食べ放題が最高の贅沢。ストレス雲散霧消・勤労意欲再生の原動力であった。※上記画像は《オールドワイン》ではない。

     

ある時期には、森の奥深くにロッジ風の別棟の離れが設けられたことあった。勿論露天風呂付き。※上記画像は今回の居室
夜の静寂と早朝の鳥のさえずりを満喫したものだった。

         

近年は、ランチか時間調整での立ち寄りが殆どだったが、偶には変わり様を知りたいこともあり一泊を試みたのだった。
夕食のメニュー

     

浴場の更衣室の脱衣の収納はスチールのロッカー。衣服脱着のスペースが狭く、着替えに利用できる椅子は無し。当方の利用が遠のいたのはホテルのリニューアルによって使い勝手が悪くなったのが原因だったが、高齢者が多くなった現在も改良はされていなかったのは残念としか言いようがない。今後利用することは無かろう。

蛇足になるが、この日車で走って来た西湘バイパスは海が風雨で大荒れ、箱根に入ってからも視界10~20mのガス状態だったことも記しておこう。

     




 

    

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ボランティア初体験

2024-03-15 22:20:09 | 身辺雑記

恥ずかしながら、これまでボランティアなるものをしたことが無かった。この《ボランティア》という呼称も活動も、我が青春時代には聞いたことも見たことも無かった。似たようなものが《手助け》《助け合い》であったか。歳末に街角で楽器を奏でては協力を呼びかけるキリスト教系の社会活動を目にしていた程度だった。
それが阪神淡路以降、各地の災害救援活動に身を挺する若者の姿が目に見えて増加し、今では行政や国を救援に引っ張り出す大きな民衆勢力となってるのだから恐れ入る。正直なところ、身体が動いていた時代は時間も経済的余裕が無く今はその逆。あの「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」と宣うたスーパー・ボランティア小畠春夫氏の一世風靡からこのかた自然災害が報じられるたびにイジケては肩身の狭い思いをして来た。
ところが縁あって、生涯で初めてボランティア活動をすることになったのである。私にでも出来るボランティアの話が突如舞い込んで来たのだ。普段、街路樹保護運動をしている知人が、その運動仲間の「ボランティアが集まらない」とのぼやきを耳にし「暇を持て余しているのがいるから聞いてみる?」となり、働くのは2日間の午前中だけという条件に、「ならなんとか耐えられるだろう」と初挑戦になった次第である。
活動の場所は我が家から車で30分の ”遠藤笹窪谷公園” 。2年前に開園した浅い谷状の湿地・樹林・草地の生物多様性公園である。作業の中身は湿生畑地の草取りと石拾い。
初日、所定より30分早く現地着。9時前に 三々五々"仲間”が集まり、件の中心者より「今日から一緒にお願いします」と紹介される。男性6人女性1人。どうやら皆さんはお互いをよく知るボラン仲間のよう。どうやら60~70歳代。「無理はしない」「マイペース」「休み休みでいいから」「ひとのやり方を見て同じように」と大事かつ丁寧な訓示を戴く。作業道具は、用途に合ったのを勝手に使っていいと。まあ、腰痛持ちとしては、そのカヴァーに気遣わざるを得ず、肝心の作業の達成感より大過なく終えたことが何よりだった。
2日目、最終日。男性4人女性1人。前日とは違う皆さん。年齢域は同じくらい。作業衣・作業の腰つき・会話内容など相当のベテランか以前こうした仕事をしていたような頼もしい男衆。この日は石拾い。拾ってはプラバケツに入れていくのだが、土中から頭出しの石を掘り起こす作業はその石の大きさが判らず、結構な重労働。この日は婦人のボラン仲間からチョコレートを2片戴き、そのお礼に当方からは飴玉1つ。11時20分作業終了。
この両日の作業に当たったメンバーは《花菖蒲班》というらしく、この次の作業のピークは花が咲く6月頃のようで、貴重な戦力しとして登録され、招集の員数に入ったようだ。登録済みのボランティア。今後は如何なる災害救援ニュースにも怖じることなく、頭を挙げ胸を張り社会貢献の最前線を我がこととして創意工夫に励んでいこう。


        

    

 

          

    

    

遠藤笹窪谷公園(遠藤健康の森)HP

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