不思議な内容の本というのが率直な感想。尤も、すべての本は、著者の勝手な想像力の詰め物であるからして、いわゆる本である。でも変わった本である。数年前、著者と親交のある友人から「傑作だから読んでみたら」と頂戴したのがこの著者との初めての出会い。『神南備山のほほとぎす--私の新古今和歌集』なる本。和歌に門外漢の身では敢え無くアウト。親切にも此の度もその友人からの賜わりもの。
この書名に一瞬デジャブに包まれた。何しろタイトルにマルクスですから。おさおさ警戒に怠りなかったが、やがてこれが愛犬の名前であることを知るや力みが取れた。その叙述部分が面白い。以下の通りだ。”マルクス・アウレリウス、通称マル。私がこの名前を提案したのには、ちょいとしたわけがあった。というのは、大学時代の友人江島正啓の家で飼われていた犬がディオニソッスというギリシャ神話由来の名前だった。みんなからディオと呼ばれて可愛がられていた。私もディオのような魅力的な犬を飼いたいと密かに願っていたのだ。そのディオニソッスに対抗しての賢帝マルクス・アウレリウスだったのだ”という下りだ。
ことほどさように至る所で著者の嗜好の強さと博識ぶりが伺える。例えばクラシック音楽。モーツアルトのレコード『レクイエム』を聴く。指揮はカール・リヒター、ファゴットとバセット・ホルンが響き始める。悲しいとき辛いときに聴いてきた私のためのミサ曲という。学生時代は煙草銭に事欠いてもモーツアルトを聴いてきた。ある時はバッハを聴くためにスカイライン2000GTを諦めた、などとある。
日常を切り取ると、パジャマでキッチン、珈琲豆を挽く間にトーストを焼き母造りのサラダを冷蔵庫から出しローズマリーの蜂蜜垂らしのトーストを食し、まず朝刊のスポーツ欄と読書欄で本を物色。午後は音楽をBGMに読書・うたたね、遅い午後に町に出、レコードと本を漁る。この日は白水社のアルフレッド・ジャリの『超男性』が発売されてるかも知れないと胸躍らせるという具合。いつも四冊を並行して読書している。此処で揚げているのは、ガルシア・マルケス『百年の孤独』、ファーブル『昆虫記』 、中国の『孫子・呉子』、天野清『量子力学史』。
愛犬マルと生きるこの物語の主人公は、著者自身の投影であろう。というより半生記と言うべきか。ググると一目瞭然。工業大学経歴の電気店主と著作業を両立しているのだから畏れ入る。第8章”旅路の果て”に、著者の居住環境の詳細が出てくる。ビールの比較に始まり、学生暮らし、彼女との出会い、小学校の教育指導への反発、大学院拒否と哲学への転身、文庫・新書・全集・辞典類、『Newsweek』、ヌーボ・ロマン、サミュエル・ベケット著作集、アルセール。カミユ全集、中南米作家のたちの作品群、和漢の古典、クラシック音楽の愛好と造詣も尋常ではない。
小学生のときからズボンの右ポケットに入っている肥後守に共感し、雷鳴の中マルクスを埋葬するシーンの語りかけに圧倒された不思議な本であった。かてて加えてこの本、手にした時に丁寧に作られている印象が強かったことを特筆しておこう。。
著者 諸井 学
発行 ほおずき書籍
発売 星雲社
初版 2024年1月31日 288頁
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