まったく注文が多い人達なんだなあと思う場面を多くみる。
日本でも、カフェなどでは、注文したものに自分の好みをオーダーする人がいるかもしれないけど、ここではそれは当たり前のこと。
先日、ピザ屋に行ったら、前にいた人が細かく注文をつけていた。
その人が選んだのは、アーティチョークとモツァレラチーズとキノコのピザなのだが、
「アーティチョークは抜いて、モツァレラは他のチーズに変えられる?それからペペロニを少し入れて」
アーティチョークを抜いて、モツァレラを抜いたら、それはアーティチョークとモツァレラチーズとキノコのピザじゃなくなっちゃうじゃないか!
それなら、その隣りにあるペペロニのピザにしたらどうか。
と後ろで聞いていた私は思ったが、店員は嫌な顔をせずにキッチンにオーダーを出す。
メニューにあるものを、そのまま買ってゆく人ももちろんいるけれど、果たしてその割合はどのぐらいだろう?
レストランでも、玉ねぎは抜いて、ドレッシングはかけないで横に付けて、海老はちゃんと火を通して、オリーブは黒だけ入れて、等々。
自分ちのキッチンのように、言いたい放題である。
売っているものを、そのまま買うことに慣れていて、注文をつけることが申し訳ないように感じてしまう私には、
堂々と、欲しいものはこれだと主張できる人達がまぶしいように見えるし、
また、それを当然のように受け入れてくれる文化があることに驚く。
私が言えることといったら、お寿司はサビ抜きでとか、飲み物は食事の後で、ぐらいのものだ。
それは私が日本人というよりも、育った環境のせいかもしれなくて、
なぜなら故郷の静岡県のあたりは、品物を値切るとかいった自己主張をすることは良くないという文化があるのだと聞いたことがある。
一般に日本では、少なくとも私が子供の頃は、人と違うことをたしなめられるような風潮があったし、自己主張するよりは察してもらうほうが良いとされた。
余談だが、アメリカ人と話していて、ただの政治ニュースでも、
「じゃあシロはそのことについてどう思う?」と聞かれて、何の意見もなかったとドキっとすることがある。
自己主張=自分の意見をはっきり持つ、ということでもあるのだろう。
せっかく買うのだから、ほんとうに欲しいものを手に入れたほうが幸せだ、と私も思う。
それは人生全般にも言えることで、もう年だから、あれがこうだから、これがああだから仕方がないと理由をつけて、本当に欲しいわけではないものでいいにしてしまうとしたら、自分はそれだけの価値なのだと自分で決めているようなものだ。
謙虚と妥協は、まったく違うもの。
それに私だって人生においては、本当に欲しいものをリクエストしたからこそ、今があるんじゃないか。
そこで私も、レストランで本当に欲しいものに挑戦してみた。
注文したあと、「ライスは少なめにして、生の玉ねぎがあったらそれは入れないでください」と言ってみた。
「シュア!(がってん!)エニスィング エルス?(他になにかありますか?)」
「いえ、それだけ。いつもライスが多くて残しちゃうんですよねー」
つい、言い訳のようなことを言ってしまうのが気の弱いところ。
いつだったか、私が使っているバスタオルの端が少しほつれてきたのを夫の母が見て、
「4月に買ったばかりなのに、こんなの納得できないわ」
と言って、レシートもないのに買った店に行き、見事に新しいものに替えてきてくれた。
ここまでできるようになるまで、どのぐらいかかるだろう・・・(意外とすぐだったりして)
日本でも、カフェなどでは、注文したものに自分の好みをオーダーする人がいるかもしれないけど、ここではそれは当たり前のこと。
先日、ピザ屋に行ったら、前にいた人が細かく注文をつけていた。
その人が選んだのは、アーティチョークとモツァレラチーズとキノコのピザなのだが、
「アーティチョークは抜いて、モツァレラは他のチーズに変えられる?それからペペロニを少し入れて」
アーティチョークを抜いて、モツァレラを抜いたら、それはアーティチョークとモツァレラチーズとキノコのピザじゃなくなっちゃうじゃないか!
それなら、その隣りにあるペペロニのピザにしたらどうか。
と後ろで聞いていた私は思ったが、店員は嫌な顔をせずにキッチンにオーダーを出す。
メニューにあるものを、そのまま買ってゆく人ももちろんいるけれど、果たしてその割合はどのぐらいだろう?
レストランでも、玉ねぎは抜いて、ドレッシングはかけないで横に付けて、海老はちゃんと火を通して、オリーブは黒だけ入れて、等々。
自分ちのキッチンのように、言いたい放題である。
売っているものを、そのまま買うことに慣れていて、注文をつけることが申し訳ないように感じてしまう私には、
堂々と、欲しいものはこれだと主張できる人達がまぶしいように見えるし、
また、それを当然のように受け入れてくれる文化があることに驚く。
私が言えることといったら、お寿司はサビ抜きでとか、飲み物は食事の後で、ぐらいのものだ。
それは私が日本人というよりも、育った環境のせいかもしれなくて、
なぜなら故郷の静岡県のあたりは、品物を値切るとかいった自己主張をすることは良くないという文化があるのだと聞いたことがある。
一般に日本では、少なくとも私が子供の頃は、人と違うことをたしなめられるような風潮があったし、自己主張するよりは察してもらうほうが良いとされた。
余談だが、アメリカ人と話していて、ただの政治ニュースでも、
「じゃあシロはそのことについてどう思う?」と聞かれて、何の意見もなかったとドキっとすることがある。
自己主張=自分の意見をはっきり持つ、ということでもあるのだろう。
せっかく買うのだから、ほんとうに欲しいものを手に入れたほうが幸せだ、と私も思う。
それは人生全般にも言えることで、もう年だから、あれがこうだから、これがああだから仕方がないと理由をつけて、本当に欲しいわけではないものでいいにしてしまうとしたら、自分はそれだけの価値なのだと自分で決めているようなものだ。
謙虚と妥協は、まったく違うもの。
それに私だって人生においては、本当に欲しいものをリクエストしたからこそ、今があるんじゃないか。
そこで私も、レストランで本当に欲しいものに挑戦してみた。
注文したあと、「ライスは少なめにして、生の玉ねぎがあったらそれは入れないでください」と言ってみた。
「シュア!(がってん!)エニスィング エルス?(他になにかありますか?)」
「いえ、それだけ。いつもライスが多くて残しちゃうんですよねー」
つい、言い訳のようなことを言ってしまうのが気の弱いところ。
いつだったか、私が使っているバスタオルの端が少しほつれてきたのを夫の母が見て、
「4月に買ったばかりなのに、こんなの納得できないわ」
と言って、レシートもないのに買った店に行き、見事に新しいものに替えてきてくれた。
ここまでできるようになるまで、どのぐらいかかるだろう・・・(意外とすぐだったりして)