私は小学校時代が一番どろどろして、苦しくて、仲のいい友達もいたけれど、同じ顔ぶれで中学に行きたくない一心で私立中学を受験したようなものだが、
あとになって思えば、後の私の人生にとって重大なことは、ほぼ小学校時代にあったと思う。
小学校の6年間と、中学高校の6年間を比べた時、その重さは断然小学校のほうが重い。
5年生の時、同じクラスになった おハギ と仲良くなった。
おハギは、今までにないタイプの友達だった。
ちょっとぽっちゃりしていて、目がすごく大きくて、睫毛が長く、よく笑った。
今でこそ、ランドセルはカラフルになっているようだけれど、当時は女子は赤、男子は黒と決まっていた。
でも、おハギだけは濃いピンクのランドセルで、学年の中でただ一人、バス通学をしていた。
歩いて行ける距離に、おばあさんの家があって、私が遊びに行くのは必ずそこだった。
バス通学はしない範囲の生徒しか入れない公立小学校だったし、おハギは家族の話を一切しなかったから、
複雑な家庭の事情があるのだと子供心にも感じたけど、おハギは何も言わないし、私も聞くことはなかった。
おハギは読書の虫だった。
読書感想文を書かせれば、いつだって賞をもらっていた。
彼女が書く文章は、とても5年生とは思えないもので、『・・・・という彼の行動は、結局彼の精一杯の抵抗だったのかもしれない』と締めくくられたりする。
本は苦手で、読書感想文の宿題は、なるべく短いものを選び、中身はほぼあらすじに近いものをチャッチャと仕上げておしまいの私は、
自分が書いた感想文を朗読するおハギを、口をあけたまま眺めていた。
私が本好きになったのは、彼女の影響だ。
どの本がこんなふうに良かったとか、目を輝かせて話してくれるおハギを見て、彼女と同じものを共有したいと心から思った。
彼女はませていて、人が知らないことを知っていた。
どうやって子供が生まれるか、という秘密をそっと教えてくれたのもおハギだった。
誰とも群れず、女子が夢中になったきれいな色紙や、紙せっけんや、香りのする鉛筆集めにも絶対に加わらなかった。
かといって誰かを中傷することも、自己主張することもなく、少し距離を置いた場所にいるのが心地よい、というふうだった。
私は色紙も鉛筆も紙せっけんも集めていたし、友達同士で交換したりする平凡な女子だったが、不思議と私達はウマがあった。
おハギは『ムーミン』が好きで、大人になったらムーミンの生まれた国へ行くのだと言っていた。
おばあさんの家に遊びに行くと、トイレの手を洗う所に、正方形にカットして端をかがった清潔なタオルが、たくさん重ねられて箱に入っていた。
おやつには、目にも鮮やかなグリーンのミントゼリーが出た。
ムーミンも、たくさんの正方形のタオルも、ミントゼリーも、ピンクのランドセルも、バス通学も、全部がいちいちおハギそのものだった。
別々の中学に進学し、しばらくは文通をしていたけれど、それぞれに新しい生活に忙しくなって、自然と手紙も途絶えた。
おハギを忘れたことはなかったが、普段は記憶の一番奥のほうにあって、取り出さないまま時が流れた。
二十代の半ば頃、ドラッグストアでおハギらしき人を見かけた。
私はすごくドキドキして、でも声をかけずに店を出た。
普通の二十代のおハギだったらどうしよう、と怖かった。
おハギに私の夢を乗せて、ずっと不思議な子のままいてほしい、と思う私は勝手なものだ。
おハギはムーミンの生まれた国へは行ったのだろうか。
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あとになって思えば、後の私の人生にとって重大なことは、ほぼ小学校時代にあったと思う。
小学校の6年間と、中学高校の6年間を比べた時、その重さは断然小学校のほうが重い。
5年生の時、同じクラスになった おハギ と仲良くなった。
おハギは、今までにないタイプの友達だった。
ちょっとぽっちゃりしていて、目がすごく大きくて、睫毛が長く、よく笑った。
今でこそ、ランドセルはカラフルになっているようだけれど、当時は女子は赤、男子は黒と決まっていた。
でも、おハギだけは濃いピンクのランドセルで、学年の中でただ一人、バス通学をしていた。
歩いて行ける距離に、おばあさんの家があって、私が遊びに行くのは必ずそこだった。
バス通学はしない範囲の生徒しか入れない公立小学校だったし、おハギは家族の話を一切しなかったから、
複雑な家庭の事情があるのだと子供心にも感じたけど、おハギは何も言わないし、私も聞くことはなかった。
おハギは読書の虫だった。
読書感想文を書かせれば、いつだって賞をもらっていた。
彼女が書く文章は、とても5年生とは思えないもので、『・・・・という彼の行動は、結局彼の精一杯の抵抗だったのかもしれない』と締めくくられたりする。
本は苦手で、読書感想文の宿題は、なるべく短いものを選び、中身はほぼあらすじに近いものをチャッチャと仕上げておしまいの私は、
自分が書いた感想文を朗読するおハギを、口をあけたまま眺めていた。
私が本好きになったのは、彼女の影響だ。
どの本がこんなふうに良かったとか、目を輝かせて話してくれるおハギを見て、彼女と同じものを共有したいと心から思った。
彼女はませていて、人が知らないことを知っていた。
どうやって子供が生まれるか、という秘密をそっと教えてくれたのもおハギだった。
誰とも群れず、女子が夢中になったきれいな色紙や、紙せっけんや、香りのする鉛筆集めにも絶対に加わらなかった。
かといって誰かを中傷することも、自己主張することもなく、少し距離を置いた場所にいるのが心地よい、というふうだった。
私は色紙も鉛筆も紙せっけんも集めていたし、友達同士で交換したりする平凡な女子だったが、不思議と私達はウマがあった。
おハギは『ムーミン』が好きで、大人になったらムーミンの生まれた国へ行くのだと言っていた。
おばあさんの家に遊びに行くと、トイレの手を洗う所に、正方形にカットして端をかがった清潔なタオルが、たくさん重ねられて箱に入っていた。
おやつには、目にも鮮やかなグリーンのミントゼリーが出た。
ムーミンも、たくさんの正方形のタオルも、ミントゼリーも、ピンクのランドセルも、バス通学も、全部がいちいちおハギそのものだった。
別々の中学に進学し、しばらくは文通をしていたけれど、それぞれに新しい生活に忙しくなって、自然と手紙も途絶えた。
おハギを忘れたことはなかったが、普段は記憶の一番奥のほうにあって、取り出さないまま時が流れた。
二十代の半ば頃、ドラッグストアでおハギらしき人を見かけた。
私はすごくドキドキして、でも声をかけずに店を出た。
普通の二十代のおハギだったらどうしよう、と怖かった。
おハギに私の夢を乗せて、ずっと不思議な子のままいてほしい、と思う私は勝手なものだ。
おハギはムーミンの生まれた国へは行ったのだろうか。
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