中学・高校は女子校で、カトリック系のお堅い進学校だった。
同じ学校に通っていた3歳違いの姉が、
「あんた、入学式の日には三つ折りソックスを、アキレス腱が見えるぐらいキリキリ丸めて履かないといけないんだよ」
と言うのでその通りにしていったら、みんなソックタッチでソックスを止めており、アキレス腱を見せているのは私だけであった。
そんな悔しい洗礼を受けて始まった学校生活は、驚きの連続だった。
私がかつて知らなかった人種『おじょうさま』達が一杯いたのである。
まだ名前と顔が一致しない人同士で、「あなたの髪、とっても素敵」「ううん、あなたの天然カールが羨ましいわ」などと褒めあうのを見て、私は椅子から落ちそうになった。
ガサツで粗野な小学校で揉まれてきた私は、彼女らにとっては野人であったろう。
体育の時間に倒立前転をやったら、おじょうさま達からため息とも歓声ともつかぬ声が聞こえる。
私が通っていた小学校は体育のモデル校で、やたら要求される運動レベルが厳しかったから、倒立前転ができるのは当たり前。
おじょうさま達は、倒立は問題外、前転してもベタっとカエルのように伸びたままで、起き上がれない。小学校では体育についてゆくのが精一杯だった運動オンチの私が、最初の授業でスポーツの女王並みの扱いを受けてしまった。
最初はとんでもないところに来てしまったと思ったが、
しばらくすると、どうやらココにはおじょうさまと、おじょうさま以外の人と両方いるのだということがわかってきた。
それもそのはず。あの、妹を陥れる意地悪な姉が、同じ小学校で揉まれた、あの姉が、おじょうさまなはずがないのである。
おじょうさま達は、あまり人の陰口を言わず、徒党も組まず、時間がなくても急がず、スカートを長くしたり、鞄を薄くしたりしない。
一緒に遊んでいて楽しいのは、おじょうさま以外の友達だったけれど、おじょうさま達はいつも、私に新鮮な驚きと、変わらぬ安らぎをくれた。
あれは高校の修学旅行の準備をしていた時のことだった。グループごとの自由行動をどうするか決めていたときに、
「このお寺からバスに乗って・・」とリーダーが言うと、一人のおじょうさまが「エッ!」と短い声をあげた。
「バスに乗るの?子供だけで?」
子供・・・・って。17歳は子供か? 皆、口を開けたままおじょうさまの次の言葉を待っていた。
するとおじょうさまは、すうっと眉をひそめて心配顔になり、
「私、一人でバスに乗ったことがないの」と言うではないか。
「でもあなた、毎日○○駅から電車で通ってるじゃん。電車は一人で乗れるんでしょ?」
彼女によれば、朝はお父さんかお兄さんが一緒に電車に乗り、帰りは誰かが迎えに来て、一緒に電車に乗って帰るのだそうだ。
「誰かって、誰よ?」
「えーと・・・頼んでる人がいるんだけど」
娘が一人で電車に乗らなくて済むように、というだけの為に人を雇うということが、世の中にはあるんだ。ということが驚きであった。
とにかく、『子供だけでバスに乗る』と親に言うと、付き添いをつけてよこしかねないので、言わないと約束させて修学旅行に行った。
おじょうさまは、お寺より何より、バスや電車を子供だけで乗り継いだのが大変楽しかったらしく、旅行から帰っても、何度もその話をした。
おじょうさま達は、今どんなふうに暮らしているんだろう、と思うことがある。
同窓会が何回かあったけど、同窓会嫌いな私は1度も行った事がない。
でも、おじょうさま達のことは気になったりしているのである。
にほんブログ村
同じ学校に通っていた3歳違いの姉が、
「あんた、入学式の日には三つ折りソックスを、アキレス腱が見えるぐらいキリキリ丸めて履かないといけないんだよ」
と言うのでその通りにしていったら、みんなソックタッチでソックスを止めており、アキレス腱を見せているのは私だけであった。
そんな悔しい洗礼を受けて始まった学校生活は、驚きの連続だった。
私がかつて知らなかった人種『おじょうさま』達が一杯いたのである。
まだ名前と顔が一致しない人同士で、「あなたの髪、とっても素敵」「ううん、あなたの天然カールが羨ましいわ」などと褒めあうのを見て、私は椅子から落ちそうになった。
ガサツで粗野な小学校で揉まれてきた私は、彼女らにとっては野人であったろう。
体育の時間に倒立前転をやったら、おじょうさま達からため息とも歓声ともつかぬ声が聞こえる。
私が通っていた小学校は体育のモデル校で、やたら要求される運動レベルが厳しかったから、倒立前転ができるのは当たり前。
おじょうさま達は、倒立は問題外、前転してもベタっとカエルのように伸びたままで、起き上がれない。小学校では体育についてゆくのが精一杯だった運動オンチの私が、最初の授業でスポーツの女王並みの扱いを受けてしまった。
最初はとんでもないところに来てしまったと思ったが、
しばらくすると、どうやらココにはおじょうさまと、おじょうさま以外の人と両方いるのだということがわかってきた。
それもそのはず。あの、妹を陥れる意地悪な姉が、同じ小学校で揉まれた、あの姉が、おじょうさまなはずがないのである。
おじょうさま達は、あまり人の陰口を言わず、徒党も組まず、時間がなくても急がず、スカートを長くしたり、鞄を薄くしたりしない。
一緒に遊んでいて楽しいのは、おじょうさま以外の友達だったけれど、おじょうさま達はいつも、私に新鮮な驚きと、変わらぬ安らぎをくれた。
あれは高校の修学旅行の準備をしていた時のことだった。グループごとの自由行動をどうするか決めていたときに、
「このお寺からバスに乗って・・」とリーダーが言うと、一人のおじょうさまが「エッ!」と短い声をあげた。
「バスに乗るの?子供だけで?」
子供・・・・って。17歳は子供か? 皆、口を開けたままおじょうさまの次の言葉を待っていた。
するとおじょうさまは、すうっと眉をひそめて心配顔になり、
「私、一人でバスに乗ったことがないの」と言うではないか。
「でもあなた、毎日○○駅から電車で通ってるじゃん。電車は一人で乗れるんでしょ?」
彼女によれば、朝はお父さんかお兄さんが一緒に電車に乗り、帰りは誰かが迎えに来て、一緒に電車に乗って帰るのだそうだ。
「誰かって、誰よ?」
「えーと・・・頼んでる人がいるんだけど」
娘が一人で電車に乗らなくて済むように、というだけの為に人を雇うということが、世の中にはあるんだ。ということが驚きであった。
とにかく、『子供だけでバスに乗る』と親に言うと、付き添いをつけてよこしかねないので、言わないと約束させて修学旅行に行った。
おじょうさまは、お寺より何より、バスや電車を子供だけで乗り継いだのが大変楽しかったらしく、旅行から帰っても、何度もその話をした。
おじょうさま達は、今どんなふうに暮らしているんだろう、と思うことがある。
同窓会が何回かあったけど、同窓会嫌いな私は1度も行った事がない。
でも、おじょうさま達のことは気になったりしているのである。
にほんブログ村