太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

フーセン

2012-02-22 10:17:55 | 食べ物とか
私にとって懐かしいお菓子といえば、

チューブに入ったチョコレートや、メロンの形をした入れ物に入ったアイスクリーム、だるまの形のお砂糖のお菓子、アポロチョコレートや、クッピーラムネ。

絵が切り抜きになっているガムもあったし、お米に圧力をかけて膨らませて、砂糖をからめたのもあった。

親に、食べてはいけないと言われていた、イカの燻製なんてのもあったっけ。

太陽がじりじり照りつける夏場の、クーラーなんかない駄菓子屋の店先で、イカの燻製はカビることもなく毎日同じ場所にあった。

もし今、それらを見かけたら、きっと買ってしまうと思う。



時々、夫がフーセンガムを買ってくる。



こういうの。

ハワイには、日本人や日系の人たちがたくさん住んでいるので、日本のお菓子やアニメで夫は育った。

紙芝居もあったというし、お菓子を売りに来る車もあった。

放課後は、近所の日本人の友達の家で「キカイダー」や「仮面ライダー」を見たり、おまんじゅうや、あまーいチョコファッジといった、

自分の家では食べられないお菓子をいただいたりしたそうだ。

厳しかった両親が子供に与えるおやつといえば、リンゴやにんじん、バナナなどで、甘いお菓子は特別なときしか食べられなかったらしい。



夫が『フーセン』と呼ぶ、このフーセンガムも、そんな懐かしいお菓子のひとつ。



夫の兄も大好きで、誕生日やクリスマスプレゼントには、必ずフーセンと、「磯ピーナツ」(ピーナッツをおせんべいでくるんだもの)をオマケで付ける。

僕らが食べる前に、ダディは全部隠して食べてしまうんだと、いつか甥が文句を言っていた。




包み紙の裏側に、怪獣の絵が描いてあり、

腕や脚を水で濡らしてから、これを貼り付け、しばらくたってはがすと、即席タトゥの出来上がり。

本物のタトゥがある今になっても、夫はたまにこの怪獣を手首に写してニヤニヤしている。


バリバリやり手ビジネスマンの義兄も、そっと一人で怪獣を写しているのかもなァー。

想像すると、ちょっと笑える。







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動機

2012-02-22 10:06:36 | 日記
車の路上試験に落ちまくっていた頃。


「ハワイの車の免許がなくたって、日本の免許があるんだからいいじゃん」

凹んでいる私に、夫はそう言った。

「入国してから1年以内は、日本の免許で運転できるけど、それを過ぎたらできないんだよ?」

「1年過ぎたかどうかなんて、誰にもわからないよ」

夫には、そういううユルユルなところがあり、私はそれができない四角四面なところがある。



そもそも、今は私専用の車もないのに、なぜ車の免許が欲しいのかという話になり(もっともな話だが)、私は昔を思い出した。



私が日本で車の免許を取ったのは二十歳の時だった。

まわりの友人達は、高校3年の春休みとか、大学時代にさっさと免許を取っていたが、私はそれほど興味がなかった。

ある時、職場の人達と映画を観に行った。

題名は忘れたけれど、かなり怖いホラー映画だった。

若者のグループが古い館に行ってパーティをしていたら、なぜか一人ずつ殺されて消えてゆくというお決まりのストーリーだ。

一人の女の子が、殺人鬼がいる館から命からがら外へ出ることができ、門の外に停めてある車に辿りついてエンジンをかけるのだが、

キュルキュルと空回りするだけで、なかなかエンジンがかからない。殺人鬼は追ってくる。

焦りと恐怖でパニックになりながらも、何度もセルを回してようやくエンジンがかかって、彼女は逃げることができた。




私が車の教習所の予約をしたのは、その翌日だ。




もし、私が彼女だったら。

もし、あの状況で私が車を運転できなかったら。




この理由を人に言うと、必ずあきれた顔をされる。

そんな理由で免許を取った人、はじめて見た、と言われたこともある。

でも私は真剣に、運転できることで身を助ける日が来るかもしれない、と思ったのだ。


晴れて免許を手にして、車も買って、毎日乗るようになったら、

もうそんなことはすっかり忘れてしまい、車を運転することは特別なことではなく、まるでご飯を食べるように日常のことになっていった。

ハワイに来て、それができなくなるかも、という所に立たされて、

私を教習所に駆り立てた、あの恐怖を懐かしく思い出したのである。








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