太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

年を重ねてわかること

2012-05-03 10:40:45 | 人生で出会った人々
アメリカに住んでいると、年齢を聞かれることも、年齢を書く機会もほとんどない。

だから、知らないうちに年齢がすごいことになっている、という驚きもひとしおである。

何歳になっても、イメージしていた年齢と自分とのギャップに戸惑う。

60になっても70になっても、そういうものなのかもしれないけれど。



カフェで順番を待っていたら、後ろにいた高校生らしき二人組の会話が聞こえてきた。

「なんかもう、人生半分終わったーという気分よ、こんなことで悩むなんて昔は想像できなかった」

ふーむ。

なにがあったか知らないが、その気持ちもわかるし、いやそうじゃないよと言いたい気持ちも両方私にはある。




社会人になったばかりの頃、私は遠距離恋愛している相手がいて、あまり会えないのが寂しかった。

恋愛も、いつまで続くのかも不安だったし、そんな話をお昼休みにしていたら、先輩が言った。


「21歳でしょ?だーいじょぶよ、21歳なんて、なにがあったって大丈夫なんだから。あははー!」


彼女は当時、三十代半ばといったところか。



また、ある時、私が可愛いスタンプを買って、それを見せていたら(わたしも子供っぽかったなあ)

「そういうのって、衝動的に買うけど、ほとんど使わないのよね」

と一刀両断されたことがあった。



恋愛は私の人生において、ものすごく大きな問題だと思っていたから、彼女の言ってくれたことに反発した。

そんなことないもん、もし別れることになったらどうにかなっちゃうもん、と真剣に思っていた。


遠距離恋愛は、結局それから半年足らずで終わり、スタンプも殆ど使わないままどこかにいってしまった。

恋愛が終わっても私はどうにかならなかった。

スタンプを欲しかったことも、なくしたことも忘れた。



元気だった先輩はまもなく、病であっけなく他界してしまった。

気がつくと、私は彼女が亡くなった年をとうに過ぎていて、あの時笑った彼女の気持ちに共感することができるようになった。

辛辣だけど、正直でまっすぐな彼女が、私は好きだった。

悩みを抱えている時、彼女が生きていたら、何と言っただろうかと思うことがたびたびあった。



「○○でしょ?ばかねぇー、○○歳なんてなーにがあってもダイジョブよぉ」


そう言って笑ってほしいと思うことがある。

言われたら、やっぱりカチンときて、反発するんだけれど、あとになって、それが真実だということがわかるのだ。

そしてヤケに深刻になっていた自分が、かわいくも、おかしくも思える。




あの頃は、私は子供すぎたけれど、今なら、彼女と対等に話ができるような気がする。

彼女がどんな人生を歩み、なにを考えているのか知りたかったと、今になってしみじみ思うのだ。

「○○さんの言ったこと、ほんとだったよ」

私は誰もいない宙に向かって、そう言ってみる。





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