最近、一人のお昼ご飯に、オムライスを作ることがある。
ケチャップのかけかたに、何のセンスも感じられん
子供だった私がはじめて一人で作ったメニューは、ケチャップご飯だった。
その日、大好きな叔母が遊びに来ていて、私は母と叔母にケチャップご飯を作ろうと思い立った。
奮闘してできたものは、ご飯がベタっとして、けして美味しいとはいえなかったけれど、叔母は「おいしい、おいしい」と言ってたいらげた。
夏休みのたびに、叔母の家に泊まった。
叔母の家では鶏を飼っていて、朝、産みたての、まだぬくもりの残る卵で、よくオムレツを作ってくれた。
形はオムレツでも、食べるとほんのり甘くて、それは卵焼きなのだった。
あの卵焼きも、叔母に作ってあげようと思ったのだが、うまくできなくて、炒り卵になってしまった。
しかも塩を入れなかったから、ぼやけた味の炒り卵。
それも叔母は、「おいしい、おいしい」と言って全部食べた。
もう80歳ほどになるであろう叔母は、今も健在だ。
こうして、むしょうにケチャップご飯や、卵焼きが食べたくなって作るのは、
私も正しくホームシックになっている、ということなのだろうか。
レストランで、オムライスを見かけたことはなく、ケチャップ味のご飯もない。
でも、もしあったとしても、私が食べたいのはプロが作るようなチキンライスではなく、
「ふわとろ」の、中身がとろーっと出てくるオムライスの卵でもなく、
しっかり出汁をひいて焼いた卵焼きでもなく、
いかにも家で作りましたという、安っぽいものだ。
たぶん今日のお昼もオムライス。
私の中にいる、小さかった頃の私が、「オムライスが食べたい」と言い、
それを食べると、「おいしい、おいしい」と言って食べてくれた叔母の顔が、
鶏の鳴き声で目覚めた、叔母の家で過ごした夏の日が、なつかしく思い出されるのである。
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ケチャップのかけかたに、何のセンスも感じられん
子供だった私がはじめて一人で作ったメニューは、ケチャップご飯だった。
その日、大好きな叔母が遊びに来ていて、私は母と叔母にケチャップご飯を作ろうと思い立った。
奮闘してできたものは、ご飯がベタっとして、けして美味しいとはいえなかったけれど、叔母は「おいしい、おいしい」と言ってたいらげた。
夏休みのたびに、叔母の家に泊まった。
叔母の家では鶏を飼っていて、朝、産みたての、まだぬくもりの残る卵で、よくオムレツを作ってくれた。
形はオムレツでも、食べるとほんのり甘くて、それは卵焼きなのだった。
あの卵焼きも、叔母に作ってあげようと思ったのだが、うまくできなくて、炒り卵になってしまった。
しかも塩を入れなかったから、ぼやけた味の炒り卵。
それも叔母は、「おいしい、おいしい」と言って全部食べた。
もう80歳ほどになるであろう叔母は、今も健在だ。
こうして、むしょうにケチャップご飯や、卵焼きが食べたくなって作るのは、
私も正しくホームシックになっている、ということなのだろうか。
レストランで、オムライスを見かけたことはなく、ケチャップ味のご飯もない。
でも、もしあったとしても、私が食べたいのはプロが作るようなチキンライスではなく、
「ふわとろ」の、中身がとろーっと出てくるオムライスの卵でもなく、
しっかり出汁をひいて焼いた卵焼きでもなく、
いかにも家で作りましたという、安っぽいものだ。
たぶん今日のお昼もオムライス。
私の中にいる、小さかった頃の私が、「オムライスが食べたい」と言い、
それを食べると、「おいしい、おいしい」と言って食べてくれた叔母の顔が、
鶏の鳴き声で目覚めた、叔母の家で過ごした夏の日が、なつかしく思い出されるのである。
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