不思議系のドキュメンタリー番組を観ていたら、夫が
「バリ島に行ったときにさ」
と話し出した。
夫は最初の結婚後、ユタ州で暮らしていたが、数年後に離婚してハワイに戻ってきた。
その端境期に、人生2度目のバックパッカー的な旅をして、バリ島には一月ほど滞在したらしい。
このバリ島で、夫はいくつか不思議体験をしている。
そこで出会って友人になった人が宇宙人説とか(その辺の記事はコチラ「ゲッディは宇宙人説」)
泊まった宿で寝ていたら、バリの神様が現れたとか、そういう話。
その宇宙人疑惑のゲッディが、地元のお祭りに連れて行ってくれたそうだ。
人が輪になってマントラを唱えながら踊る、儀式のようなお祭りで、
それを見ていたら、突然涙がダーダー溢れてきたのだという。
感動しているわけでもなく、気持ちの上では普通なのに、涙だけが勝手に溢れて止まらない。
立ったまま号泣しているノッポの白人を、人はジロジロと見ているが
ゲッディは何も言わずにただ横に立っていただけ。
涙が止まると、突然、言いようもないヨロコビに包まれた。
「うまく説明できないんだけど、つまづいたこともうれしかったことも、あーなんかどうでもよかったんだ!という気持ち。
僕が僕だと思っている存在は、僕が思っていたよりずーーーっと大きくて、
広くて、この世界すべてが自分だったんだ、っていう・・・
なんか変なんだけどさー」
祭りが終わっても、その至福感はずっとあって、
すれ違う人全員が、とっても大事に見えて仕方がなく、全員に挨拶しながら宿に戻った。
その時は、それが何だったのかわからなかったけれど、
翌日、お昼を食べに入った店で、1冊の本を手にした。
バックパッカーたちが集まる店には、読み終わった本を次の誰かのために置いていく。
それもそんな本のうちのひとつで、スピリチュアルな本だった。
それまでスピリチュアルな本など読んだこともなかったが、なぜか夢中で読み進めていったら、
前日のあの体験が ニルヴァーナ と呼ばれる境地だったことがわかった。
一種の悟り、というのだろうか。
ニルヴァーナなんか行ったこともない私は、夫が羨ましい。
「でもさ、すぐに元の僕に戻っちゃって、あれはなんだったんだよ?」
まあ、確かにそうだ。
感情のコントロールが不安定になる持病はそのままだし、
些細なことで上がったり下がったり、三次元的な価値観でいう世の中を
渡りにくいタイプだろう。
「ニルヴァーナに行ったきりじゃ、もう肉体をもって生きてる意味ないじゃん?」
「そうなのかなあ」
「私達、ニルヴァーナからここにやってきたんだよ。あっちは退屈だから、わざわざ来たんじゃないのかね?」
悟りを見たあとでも、普通に嫌なこともいいことも起きる。
そういうことにジタバタすることこそが、人間として生きる、ということで、
そのドタバタ劇は、あっちから見れば最高にエキサイティングでおもしろいことにみえるのではないだろうか。
それでも、たった1日でもいいから私もニルヴァーナを垣間見たいものである。