太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

今日のワイキキ

2021-03-22 14:28:32 | 日記
今日は思い切ってワイキキに出かけた。
何日も前から、月曜日はワイキキに行くぞ、という心づもりをしないと腰が上がらないのだ。
ワイキキでは、2か所のギャラリーに私の作品をおいてあり、
そのインベントリー(在庫チェック)のために、月に1度は行く。
もう一つのギャラリーはカハラにあって、それは週末に夫の運転で行ってもらうことが多い。
1度にカハラもワイキキも、では私には荷が重い。

カラカウア通り

春休みで、目に見えて旅行者が多い。
パンデミック前には及ばないにしても、ロックダウン後の、ゴーストタウンのようなワイキキでは、もうない。
黄金期のワイキキが渋谷の交差点だとすると、今は吉祥寺の駅前といったところか(どういう比喩だ?)

クヒオ通りもカラカウア通りも通らずに、フリーウェイをおりたらカパフル通りをまわって
動物園の駐車場に車をとめる。
なるべくワイキキ繁華街の中に車で入りたくない私は、歩くことをいとわない。
キャスター付きのスーツケースに作品を詰めれば、ゴロゴロと引っ張ってゆくだけでいいし、運動にもなる。




1時間分しかパーキングチケットを買わなかったので、ギャラリーで話し込むと時間が足りなくなる。
残り5分というところで、速足で車に向かう私は日本人。
夫も含め、ハワイの人はこういうときに焦らず、のんびりしている。
路上のコインパーキングでも同じだ。
「だーいじょうぶだよぅ」
と呑気にしている夫をしりめに、今にも駐車時間をチェックする人が私の車に近づいているような気がして気が気ではない。
実際、マイクとランチをしたあと、急いでヨットハーバーの駐車場に戻ったら、
チェック係の女性が私の車の前にいて、なにかを書き込んでいたことがあった。
「今戻ったところーーー!!!」
叫びながら走ってゆくと
「チケット、買ってないよねえ?」
と言う。
「買いましたよ!ほら!」
チケットのレシートを、グラブコンパートメントの上に出しておいたのだが
日よけのカバーの下になっていて見えなくなっていた。
私が行かなければ、無料で停めたことになっていたところだった。


人々の表情は明るく、マスクを外せば、以前となんら変わりはない。
ワイキキビーチにも、けっこうな人が出ていた。
ワイキキは好きじゃないけど、やっぱりある程度は賑やかなほうが街が元気に見える。




老親をみまもる

2021-03-22 08:38:40 | 日記
実家の近所のグループホームにいる母が入院したのは、3月の初め頃だ。
肺に水が溜まったとかで、持ち直してはいるが、原因を調べてみようということになった。
数年来の持病であるパーキンソン病は、薬のおかげでそれほど進行していないようだけれど、
軽い脳梗塞がみつかった。
その影響で、うまく飲み込むことができず、日頃から聞き取りにくかった言葉も、さらに聞き取れなくなった。

救急車で運ばれて、病院で目が覚めた時
「あれ、戻ってきちゃったのかね」
と母が言ったそうで、三途の川のほとりまで行ったのかも。




私の母は、自分の母親を幼いときに亡くしたので、子供のために長生きしたいのだと言っていた。
こんなときにお母さんがいてくれたら、と何度も思いながら生きてきたのだと思う。
実際、私はずっと母を頼りにしてきた。
何人かの友人たちが親を見送っても、私は「お香典いくら包んだらいい?」といった些細なことでも母に聞いていた。

ある時を境にして、頼りにする側とされる側が入れ替わる。
離れている私より、一緒に暮らしている姉のやりきれなさ、負担は想像にあまりある。
加速度的に、ひとつひとつ、物事ができなくなってゆく親を見守る切なさは、
そこまで老いる前に親を亡くした人にはわからない。
けれども、頼りたいときに親がいなかった寂しさは、私達にはわからない。

姉が言う。
「ずっと頼って、子供でいたかった、と思うけど、それでも長生きしてくれてるのはありがたいことだよね」


私の世代は、親が健在ならば介護世代ど真ん中。
手に負えなくなって施設に親を入れたけれど泣きたくなっているとか、義理の親までみている人もいる。
老親をキーワードに、見知らぬ人とも気持ちが通じることがある。
日本でレンタカーを借りた時の受付の女性は、
独り暮らしの父親を老人病院に入れたのだけど、遠いのでなかなか行けないことも、
行っても悲しくなるばかりなのも辛いのだと、涙を浮かべて言った。




母がいるのは、姉が勤務している病院だ。
姉いわく、
「私とTさん(姉の夫)でお母さんのリハビリをしようとしても、やりたくないのか、ボーっとして知らん顔のくせに、
リハビリの若くてハンサムな先生が来たら、顔がパーっと明るくなって、
妙にハキハキしちゃってさぁ。呆れちゃったよ」

今のところ、母は大丈夫なようである。