2か月ぶりでマイクに会ってお昼を食べた。
マイクは元教師であり、アーティストでもあり、ハングライダーを愛し、
3回結婚して、今は独りで、
長く生きているという以上に、話のネタが豊富な人だ。
一晩中でも話が尽きないと思う。
今日も3時間あまりも喋りまくった中で、マイクが言った。
「長く生きてきて、学んだことは数知れないけど、1番大事なことは『NO』と言えることかもしれないなあ」
「アメリカ人は、いとも簡単にNOと言えるのかと思ってたけど?」
「そういう人もいるだろうけど、人種にかかわらず、育った環境とかによるんじゃないかな」
マイクの両親は二人とも教師で、わりと厳しく育てられた。
私は、昭和一桁の親の多くがそうするようなやり方で育てられた。
人に迷惑をかけてはいけない、
どんな仕打ちをされた人にも、後足で砂をかけるようなことをしてはいけない、
相手の気持ちになって考える、
我慢するのは美徳、等々。
まさに前日、緊急呼び出しで職場に行ったはいいが、道路が冠水寸前の大雨で、
無理を言って帰ってきてしまったばかりで、
勇気を出して本音を言ったはいいが、そのあとでウジウジしていたところである。
自分以外を優先したほうが、丸く収まるし、ウケもいいような気がする。
自分の評価だって上がるように思う。
でも本音の私にやさしくしてあげられるのは、私しかいないのも確か。
マイクが言う。
「NOと言ったら、嫌われるかもしれないって怖いんだけど、恐る恐る言ってみたら、なんだか人生がシンプルになってきたんだ。
嫌われてケッコウ、こっちだって嫌いだよ、ってうそぶける図々しさも育ってきたのは年の功だろうね」
当然ながら、アメリカ人だって相手の気持ちをおもんばかる人はたくさんいる。
私の夫も、私にしてみたらずいぶんNOと言える人だけれど、即答はしないことが多い。(時間をおいて、NOと言う)
時間をおいても、かえって時間をおいたらなおさらNoと言いづらい私が、
仕事もせずに帰ってきたのは快挙といえる。
その快挙を友人に報告したら、友人が職場での話をした。
「あなたは言えるからいいよね、あの人は言えないから気の毒だ、と同僚から言われたことあるんだけど、私だって勇気を振り絞って言ってるんだよね」
本音を言うことが、どうしてこんなに難しいと感じるんだろう。
言わない人は言いたくないから言わないのだから、それがどうして気の毒であろうか。
私はそっち側の人間だったから、わかる。
言う重責よりも、言わない忍耐のほうを選んでいるだけだ。
Noと言ったことで、失うものがあるとすれば、それは失ってもかまわないものなのだと思う。
そうでも思わないと、私はずっと「言わない忍耐」を選び続け、
その見返りを求め続けて、見返りが得られなくて地団太踏んだりするのだ。
それでいいならいいけれど、それがいやなら行動を起こすしかないのである。