太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

NOと言う

2021-03-11 09:04:18 | 日記
2か月ぶりでマイクに会ってお昼を食べた。
マイクは元教師であり、アーティストでもあり、ハングライダーを愛し、
3回結婚して、今は独りで、
長く生きているという以上に、話のネタが豊富な人だ。
一晩中でも話が尽きないと思う。

今日も3時間あまりも喋りまくった中で、マイクが言った。

「長く生きてきて、学んだことは数知れないけど、1番大事なことは『NO』と言えることかもしれないなあ」

「アメリカ人は、いとも簡単にNOと言えるのかと思ってたけど?」

「そういう人もいるだろうけど、人種にかかわらず、育った環境とかによるんじゃないかな」

マイクの両親は二人とも教師で、わりと厳しく育てられた。
私は、昭和一桁の親の多くがそうするようなやり方で育てられた。
人に迷惑をかけてはいけない、
どんな仕打ちをされた人にも、後足で砂をかけるようなことをしてはいけない、
相手の気持ちになって考える、
我慢するのは美徳、等々。

まさに前日、緊急呼び出しで職場に行ったはいいが、道路が冠水寸前の大雨で、
無理を言って帰ってきてしまったばかりで、
勇気を出して本音を言ったはいいが、そのあとでウジウジしていたところである。


自分以外を優先したほうが、丸く収まるし、ウケもいいような気がする。
自分の評価だって上がるように思う。
でも本音の私にやさしくしてあげられるのは、私しかいないのも確か。


マイクが言う。
「NOと言ったら、嫌われるかもしれないって怖いんだけど、恐る恐る言ってみたら、なんだか人生がシンプルになってきたんだ。
嫌われてケッコウ、こっちだって嫌いだよ、ってうそぶける図々しさも育ってきたのは年の功だろうね」


当然ながら、アメリカ人だって相手の気持ちをおもんばかる人はたくさんいる。
私の夫も、私にしてみたらずいぶんNOと言える人だけれど、即答はしないことが多い。(時間をおいて、NOと言う)
時間をおいても、かえって時間をおいたらなおさらNoと言いづらい私が、
仕事もせずに帰ってきたのは快挙といえる。


その快挙を友人に報告したら、友人が職場での話をした。

「あなたは言えるからいいよね、あの人は言えないから気の毒だ、と同僚から言われたことあるんだけど、私だって勇気を振り絞って言ってるんだよね」


本音を言うことが、どうしてこんなに難しいと感じるんだろう。
言わない人は言いたくないから言わないのだから、それがどうして気の毒であろうか。
私はそっち側の人間だったから、わかる。
言う重責よりも、言わない忍耐のほうを選んでいるだけだ。


Noと言ったことで、失うものがあるとすれば、それは失ってもかまわないものなのだと思う。
そうでも思わないと、私はずっと「言わない忍耐」を選び続け、
その見返りを求め続けて、見返りが得られなくて地団太踏んだりするのだ。
それでいいならいいけれど、それがいやなら行動を起こすしかないのである。