太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

思いがけず役にたったもの

2021-03-13 19:17:04 | 日記
幸せなことに、この1年近く、せせらぎを見ていない。

注)せせらぎとはゴのつく、あの虫のこと。名前も書きたくないので、伊坂幸太郎氏の小説から引用。
えぐい表現は出てこないケド、苦手な人はスルーしてください




何の虫が嫌いといって、あんなに嫌いなものはない。
アレに比べれば、毛虫などかわいいものだ。

ついさっきのことである。
階段を降りようとしたら、独特の気配を感じた。
この、誰かが見ているような気がする、というのが、私のせせらぎセンサーで
知らなければ済んでしまうものを、なぜか私は見つけてしまう。

視線を追えば、壁にせせらぎがいた。
それも、けっこうデカいやつ。
こんなとき、悲鳴なんか出ない。ただ息をのむ。

頼みの綱の夫は、休日なので夕方からお酒を飲んで、早々とベッドで高いびき。
さすがにそれを起こすのは気が引ける。
かといって、このまま見過ごすわけにもいかない。
殺虫剤はないし、食器洗剤だとあとの掃除が大変だ。まして階段はカーペットなのだ。
見たくはないが、視線をそらすと奴は動き出す。
視線はそのまま、猫が爪とぎをするのを防ぐために階段においてあったタオルを手さぐりでつかみ、
その端をしっかり持って、手首のスナップを思い切りきかせて一撃をくらわした。
これは長年かけて私が編み出した(おおげさな)、瞬殺!脳震盪の技である。
洗剤や殺虫剤で家が汚れることもなく、ヤツに近づかずに済む。

せせらぎは私の一撃でころりと階段の隅に落ちた。
さて、実はこれからが問題。
これをどうするのか。
ティッシュでつまんで捨てられるぐらいなら困りはしない。
どんなにティッシュを重ねても、ヤツの感触が指に伝わってきそうで鳥肌がたつ。
ティッシュをかぶせて、明日の朝、夫に頼もうとも思ったが、
夜中に猫たちが見つけないとも限らない。
厚手のゴム手袋をして、ティッシュ30枚ぐらい重ねようかと思ったが、
それにしても腕の長さしか離れていないので、腰が引ける。

そこで、ふと思い出した。
先日、ダイソーに行ったときに買った、なんでもピッカーを。


職場で、地面に落ちているゴミを拾うのにいいかと思って買って、
実はまだ使わないで、車の中に置いたままにしてあったのだ。
ハンドルを握るだけで、先っぽでものをつまめるようになっている。
私はそれを持って来て、ティッシュの束と、一撃したタオルをかぶせたヤツをつまんだ。
うまくつまめて、そのまま庭に出て、ジャングルの中に捨てた。
使ったタオルは、もったいないけど捨てた。
家に入ってドアを閉めたら、ドッと疲れた。


せせらぎなんてバッタと同じ、と思っている夫や義両親には、これがどれだけ重荷なのかわからないだろう。

なんでもピッカーがなかったら、私はいったいどうやってこの場を切り抜けただろうか。
これを買った自分に感謝。
ダイソーに感謝。


かくしてなんでもピッカーは、階段下の物入れが定位置となったのである。