私のことを、前向き志向だとか楽天家だとかいう人がいる。
それは並々ならぬ努力があって、かろうじてそう見えるというだけで、実際はとんでもない話である。
私の妄想ジェットコースターの、下りの勢いと傾斜角度といったら、回転するのも含めて富士急ハイランド以上だと思う。
たとえば昨日、昼休みに夫と電話で話をした。
これは私が家にいるようになってから始まった日課で、夫が毎日電話をかけてくる。
私が仕事の日でも、同じだ。
夫の声に、元気がなかった。
「How are you?」と聞いて、「Good」は良くて、「Fine」はまあまあ、「OK」とくれば、それはかなり悪い。
夫が「OK」と言った途端、私の妄想コースターは ガッチャン と角度を変えて、一気に加速度をつけつつ下り始める。
それは次のような経路をたどる。
腰痛がひどいのか(最近、昔痛めた腰がぶり返している)
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職場で嫌なことがあったのか(うまくいかない人たちがいる)
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まさかまた仕事を辞めるとか言い出すのでは
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この時期に仕事を探すのは大変
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いや、もしそうなっても、それは大局的に見て良いことだからに違いない
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そうは言っても、正直なところ転職なんかもう御免
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まあでも病気や怪我で働けなくなるより、いいか・・・・
急降下で、たった10秒でここまで落ちる。
底をつくまで落ちたら、電話を切ったあと、えっちらおっちらと登るのだ。
落ち込む気持ちをなだめすかし、不安をあおる妄想を根気よく書き換え、
家に帰ればにこにことしている夫を思い描き、
10秒で下ったのを盛り返すのに、何時間もかかる。
帰宅すると、夫はにこにこはしていないが、そう淀んでもいなかった。
「ランチを食べようとしたらさ、ランチボックスごと地面に落としちゃって
今日は何も食べられなかったんだ」
なんだ、そんなことかー・・・・・
電話をしたとき、それを言ってくれればよかったのに。
電波が悪くて、ほんの少ししか話さなかったんだけど。
「何か自分にとって重要なことがあるとき、最悪の事態を想定しておくの、そうすれば落胆が少なくなるから」
そう言っていた友達がいる。
私の場合、わざわざ想定などしなくても、瞬時に最悪の事態まで勝手に行ってしまうのだ。
それどころか、最悪の事態まで行った「あとの」想定や、慰めまで含まれている。
私のこの妄想コースターは、母から刷り込まれたのではと思っている。
母は、私がシュノーケルに行くと言ったら
「あんた、このまえどこかでシュノーケルで死んだ人いたよ、大丈夫なのかね」と言い、
メールで知り合った友達の話をすれば、
「メールで出会って殺されたり犯罪に巻き込まれる人が多いんだってよ」
と言わずにおれない人なのだ。
一方、父は事が起きた時の騒ぎは大げさで、悲観的なことを言い立てるのだけれど、
割とすぐに切り替えて、明るい面をみつけてケロリとしている。
母の場合、切り替え地点というものはなく、諦めることでやり過ごす。
私は母の、じっとりとした暗い部分と、
父の切り替えの速さを両方受け継いでいて、ようやくバランスをとっている。
この妄想コースター、我ながら辟易としてしまうのだが、
妄想コースターに乗っていることも気づかずに、ただ振り回されていた頃を思えば、
少しは成長しているのではないかと思うようにしている。
嫌ならコースターを降りればいい、それだけのことができない私の言い訳。