太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

船旅。「オホホ」の人達

2021-01-16 15:04:55 | 日記
高峰秀子さんのエッセイの中に、使わずに放っておいた5年分の夫婦の年金を
パーっと使おうということになり、イタリアから大きな客船に乗ったという話がある。
旅程は10日間。
船賃を10日で割れば、1日分は東京都下の2DKのマンションの家賃を軽く超えるという。


私はもともと、船旅にはまったく興味がない。
フィットネスや映画館やプールやエステや美容院などが充実していて、
船内での食事は船賃込み。
まるで海に浮かぶリゾートタウン。
年をとったら、移動しなくてよくてサービスのいい船旅がいい、という人も多い。

しかし、同じ顔触れが何日間も同じ場所にいるのが、まず嫌だ。
一度挨拶したら、次に会ったらまた挨拶しなきゃならない、と思うのも面倒。
たとえダダ広いとしても、そこ以外行く場所がないというのも、窮屈だ。
なにより、見栄張り大会になりそうなのが耐えられない。



高峰秀子さんによれば、私の恐れは見事に当たっていた。


10日間のクルーズで必要な服は、ディナー用が10着、昼間用が10着、
ティータイムなど用にも10着、それに合わせた靴やバッグ、それに水着。
ダンナさんの松山氏など、あつらえたイタリア製のタキシードを着るのに、
まずシルクの靴下とエナメルの靴から履く。
最後に靴を履くと、かがんだ際に腹巻状の布やズボンに皺が寄ったり、
サスペンダーにゆるみが出たりするからで、
そうして、そろりそろりと歩くのだそうだ。


着せ替え人形のように着飾るのも船旅の醍醐味という人達もいるらしいが、
そういう「オホホ」の人種と私のような庶民は決定的に違う。
だいたい、タキシードなど日本人の体型で着こなすこと自体、無理がある。
胸板が厚くて上背のある外国人のために作られた服なのだから、
どんなにアジア人が頑張っても、あの人たちの前では七五三。
女性だって、どういうわけか、ふくよかでもドレスが似合う。
存在自体の、迫力が全然違う。
日本人なら、着物で通すのが1番いいように思う。


着飾って、社交笑いに包まれた会話から、自分の優位を探し出そうとするような、
幸せごっこ、金持ちごっこみたいで(実際金持ちなんだろうけど)
ああ、もう考えただけで背中がぞわぞわしてくる。

かといって、若い子連れの家族が乗って来るような船旅も、なんだか興ざめな感じがする。


高峰秀子さんは、べらんめえの江戸っ子で、
ダンナさんのエナメルの靴は、用が済んだら雨の日用の靴にして、濡れたら布でサッと拭けて便利、という人だから
読んでいて、ふっと親近感がわく。



コロナウィルス騒ぎで、客船クルーズも夢の話になってしまったが
ハワイからだとアラスカに行くクルーズが人気があった。
旅をするなら、往復のチケットだけがある行き当たりばったりがいい私は、
生涯クルーズには縁がないと確信を深めている。










新人食器と古株たち

2021-01-15 13:19:33 | 日記
気に入って一度に買いそろえた食器類は、思ったよりも使う頻度が少ないことが多い。
あとから買い足していったもののほうが、よほどよく使っている。


洋食器文化の義両親家では、同じ柄の大皿と小皿が30枚ずつあって、
それを10年単位ぐらいで買い替えている。
私は日本人だからなのか、大皿も中皿も小皿も、深めの大小のボウルも欲しい。
そしてそれらが同じ柄というのは、つまらないと思ってしまう。
日本では、陶芸家である友人の作品をコツコツ集めて大事に使っていた。
それら全部を手荷物でハワイに持ってくることもかなわず、
郵送して壊れてしまうよりは、と、泣く泣く親友にあげてきてしまった。
ハワイに持ってきたのは、一輪挿しと小皿といった小物ばかり。
物を大事にしてくれる人なので安心しているが、あの足つきの小鉢は良かったなあ、などと懐かしく思う。


先日、食器が入っている戸棚を整理していたとき
思い立って、買ってから数えるほどしか使っていないお皿を処分した。
それは家を建てたときに揃えた食器のひとつで、正方形の角皿。
それが、大きさも形も半端で使いにくい。
そのあとシアトルで、手描きのポーランドの18センチの丸皿を買ったら
それが便利で使いよく、朝食に、デザートに、と毎日使っている。
正方形の角皿は、戸棚の中ですっかりお茶をひいている。

その角皿と同時に買った、同じ柄の5つのボウルは普通に使い易かったけれど、
あとから買った深めのボウル達にとってかわられてしまった。

だいたい、同じ柄のボウルが5個は多すぎだ。
人を招いて食事をする家じゃなし、必要なら義両親側から借りてくればすむ。
そのボウル達も、今日あたりたぶん処分する箱行きになるだろう。




そんなとき、ガラスのコップのセットをいただいた。

うちじゃ、あまりガラスのコップは登場しない。
保冷できるメタルのカップか、横着して寸胴のプラスティックのカップで済ませてしまうからなのだが、
普段は使わないコップですら、6年もたつと飽きてくる。

新しいコップ

いただいたそのコップは、水面に流したような青もみずみずしく、
私のコップの条件である、底までしっかり洗って磨ける深さというのも満たしている。
このタイミングでお皿だけでなく、コップにも代替わりがきたのである。

古株のコップは、同じデザインの大小で5個ずつある。
飽きてはいるものの、これはこれでピカピカに磨くと素敵なので、小さい方は処分し、
大きなほうだけ残した。
何しろ、我が家の収納には限りがある。
コップ類を入れておく棚は、この狭さで4段しかなく、上の2段は私が踏み台に乗っても届かない高さときている。

二段目が古株、下段が新人



新しい古株の食器たちが、新人の食器の出現によって追いやられるのは忍びない気持ちはおおいにある。
苦しい時代に支えた糟糠の妻を袖にして若い女に走る男、とまではいわずとも
「気に入ったから買ってくれたんじゃなかったのー」
という声が聞こえるような気がするのだ。

でも、戸棚の奥で出番もなく、新人たちが忙しく出入りするのを眺めているよりも、
どこかの誰かが使ってくれるとしたら、そのほうがいいんじゃないか、とも思う。
古株たちを丁寧に紙で包んで、「ありがとね」と言いつつ箱に入れる。






再び揺れる女心、スキンタグ

2021-01-14 07:58:44 | スキンタグの話
スキンタグ、
まあ、お迎えイボ、といったほうがいいんだろうけど、
それについてはカテゴリーにしているほど過去がある。

できかかったのを無理に引きちぎってみたり(痛いし出血するが、有効)
ダクトテープを貼って、窒息させようと試みたり、
強いオイルを塗ろうとして、先に塗った夫が火傷状態になったのを見てやめたり。

その後、ではお迎えイボはどうなったかといえば、健在である。
育ってもいないが、後退してもおらず、鎖骨の上のほうに当たり前のような顔をして、いる。
ひとつだけなので、普段は忘れている。

ところが久々、揺れた。
CMを見てしまったのだ。



ENDtag


そのまんまのネーミングで、小林製薬かと思った。
スキンタグ騒動の最初の方で、CMに釣られて買った類似商品は、まったく効き目がなかった。
そのことを忘れたわけじゃないのに、なんでこんなに心が揺れる。

「ほうら、こんなイボが」
と言いつつ、首筋のイボ群に刷毛でひと塗り。
「ワオ!!信じられないわ、こんなに滑らかに!」
次の画面で、滑らかになった肌が大写し。

信じられないのはコッチだよ。
どうせ、最初の画面のイボは、セメダインを丸めたのをくっつけただけじゃん。
わかってんだよ。
お見通しだよ。

定価50ドルが、今なら29.99ドル。
しかももう1本ついてくる。

ますます怪しい。

あー。それなのに、なぜに心が揺れる。
こちらの心理をお見通しなのは、敵なのである。


うっかり試してしまったら、報告する。




お肌のお手入れ

2021-01-13 11:04:57 | 美容とか
お肌のお手入れに余念がない。
私ではなく、夫が、である。
夫は、着るものや持ち物には淡泊なのだが、肌のコンディションには敏感。
バスルームには、何本ものスクラブ入りのソープや洗顔剤が並び、
何種類ものボディソープや石鹸が常にある。
それらは全部、夫が買ってきたもので、私はそれを拝借している。

シャワーを使う時間も、夫はたっぷり10分以上かかり、
私はシャンプーするとき以外は、ものの2分もかからず終了。
普通は逆だろう。

私だって、まったく手入れをしないわけじゃない。
オートミールとアロエとベーキングソーダで作る、韓国発のパックだってやってる。(韓国発の秘密のパックの記事はコチラ
まあ、それだけだけども・・・・

洗顔するのも体を洗うのも同じものでいいし、
化粧水はローズウォーターで、
あとは夫が買って来るものを、勧められるままに付けているというていたらく。

最近、夫がはまっているもの。


OLAYのRegegeristシリーズ。
「ね、いいでしょ、いいでしょ?」
正直言って、なんかどれも適度に潤うし、私には同じなんだけど
「うん、すごくイイ!」
と言っておく。
「今度はナンとかフォーミュラの入ったのにしようと思ってるんだー」


夫は私にしきりにエステを勧めてきたときがあった。
面倒だし、興味もないのでうやむやにしていたが、あまりに勧めるので
日本にいたときに数回、ハワイで2回ほど行ったことがある。
気持ちがいいことはいいし、その時は肌が良くなった感じはある。
週に何回か、せめて週に1度は続けたら、そりゃ変わるかもしれないと思う。
が、いかんせんめんどくさい。
美容院にだってあまり行きたくない私が、続くはずがない。

何年か前、日本人の友人が(彼女は私よりも前から夫と友人だった人)
夫からエステサロンのギフトカードを誕生日のプレゼントにもらったそうだ。
「私の肌ってそんなに荒れてるん?」
「いやいや、もっときれいになってほしいだけだよ」
せっかくなので、エステを受けたそうだけど、
「毎週のようにやったらいいんやろうけど、まあ、続かへんな」
私と同じことを言っていた。



努力の甲斐あって、年齢の割には夫は肌がきれい。
まわりの女子にもきれいになってほしい、という気持ちはありがたいが、
まったく張り合いのない連中なのである。






不幸なシナリオ作りが得意

2021-01-12 15:31:21 | 日記
この家を建てるまで、義両親のゲストルームで寝起きをしていた。
当時は義両親とも仕事をしていたので、顔をつきあわせる時間はそれほどなかったけれど、
私は心休まるときがあまりなかった。

私の英語力の低さもある。
夫が、仕事のストレスに潰されかけていたのもある。
義両親の人と成りが、まだわからなかったのもある。
仕事を探す前で、家の中にしか目を向けるところがなかったのもある。
どうする当てもない水彩画などを描いていたが、心はいつも重かった。

47年住み慣れた日本を離れ、いくらかの不安とともに意気揚々とハワイに来たはずが、
人生の第3幕は、そんなブルーな気持ちで始まった。


家は広くとも、キッチンはひとつ。
義両親は外食が好きだし、シュートメは夕食を食べない日もあり、
今夜はどうするのか、何か作る予定はあるのか、そういったやりとりをするのに、ものすごく神経を使った。
シュートメは元々男脳で、当時はストレスにさらされていたこともあって常にキリキリしていた。
私にとって、シュートメは怖い風紀の教師のような存在。


私がこう言ったら、言わなかったら、どう思うか。
こうしなかったら、こうしたら、どう思うか。


私はそんなことばかりを気にして暮らしていた。
たとえば、シュートメが出かけたあとで洗濯機が終了した。
乾燥機に移しておくべきか、それとも放っておくほうがいいのか、で悩む。
勝手に乾燥機に入れた、と思われるのではないか。
家にいるなら乾燥機に入れるぐらいしたっていいのに、と思うのではないか、というわけだ。

一事が万事、そんなふうで、私は文字通りヘトヘトだった。
そのうち、シュートメが、私達の部屋の収納にアレコレ言うようになった。
夫が職場がつらくてウツなりかけなのは、整理整頓にも原因がある、と思ったらしいのだが、
バスルームの戸棚まで開けさせて、「あれはなに?これは?」と、立ったまま指図する。


そのとき、私の中で「プチ」と音がした。


夫には、家の中の愚痴は言うまいと決めていた。
いくら夫でも、母親の悪口は聞きたくないだろう。
けれど私はもういっぱいいっぱいで、その夜、私は思い切って言った。

「お義母さんの前だと全くリラックスできないよ」

すると夫は言ったのだ。

「僕もー」

「え、ほんと?」

「ぜーんぜんできない、誰もできないと思うよ」

なーんだ、息子でもそうなんだ。
それは夫の思いやりだったかもしれないが、どれだけ気が楽になったことかしれない。


そのあと、家を建てるまでにはまだ2年あまりかかったのだったが、
私が仕事を始め、コラージュと出会って、自分に忙しくなると、いろんなことを「見ないふり」ができるようになった。
つまり、自分では解決できないこと、答えが出ないことにしがみついているのに気づくと、それを断ち切ることができるようになったのだ。


私がこうしたら、しなかったら、相手がどう思うかなんて
寝ずに考えたってわかりっこない。
それを、自作の脚本をシミュレーションし、おろおろする。
監督も役者も私なら、見ているのも私で、コメディにも深刻劇にもできるのに、
なぜか私は深刻劇ばかり作るのが好きみたいで。



家を建てて、義両親ともリタイアして丸くなって、ずいぶん気楽になった。
相手がどう思うかを忖度する癖はまだあるけど、
「やりたきゃそうすればいい、やりたくなきゃ、しなきゃいい」
「好きなように思え」
という立ち位置に戻れるようになった。


相変わらず、ああなったらどうしよう、という不幸なシナリオを即座に作るのも大得意。
でも、しばらく深刻になったあと、そのことに気づけるようになった。
違うシナリオに差し替えればいいのだ。


ハワイに来て、今年で10年。
私はちょっとばかりチャレンジな生き方を選んだかもしれないけど、
年をくっていた割には、まあまあよくやってきたほうだ、と自分を褒めてあげたい。