杉田水脈氏は、選択的夫婦別姓について「それなら(夫婦同姓が嫌なら)結婚しなくていい」というヤジを飛ばした件(2020年1月22日衆院代表質問)で、その後、頑なに公に対して沈黙を続け、自己の発言である事を認めようとしなかった。それに対して安倍首相は1月27日の衆院予算委員会では「調査する立場にない。一般論では、議事進行を妨げる不規則発言はお互いに慎まなければならない。国会対策委員会に対応をゆだねたい」と言及を避け、自身の判断も主権者国民に対し明確にして来ていない。
ところが野党関係者によると、玉木氏の質問後、杉田氏は玉木氏に「玉木氏がひどい事を言うから」と、ヤジ発言を認める発言をすでにしていた事が明らかになっている。
それにもかかわらず、27日、衆院予算会で安倍首相も、衆院議員運営委員会の理事会で自民党も再度「確認していない」と回答した。さらに自民党幹部は「国対としては『ヤジは確認できなかった。与野党がお互い気をつけていこう』という事で収める予定だ」と述べている。自民党の国対関係者も「不規則発言の特定は難しい」という発言を繰り返してきた。
そして2月4日、高木毅(自民党)議運委員長が、与野党は衆院議員運営委員会の理事会で、発言者を特定せず(自民党は改めて「確認する事を拒否」)、審議に影響するような不規則発言(自民党が野党側にも不規則発言があると指摘)は今後注意する、議員の品位を傷つけないよう互いに慎む事で合意したと発表した。この合意は、杉田氏の「ヤジ発言」を認めようとしないだけでなく、「ヤジ発言」の内容を「アホ馬鹿」的な一般的「不規則発言」の一つとして取り扱い、「議員の品位」の問題にスリカエ、だから「お互い様」だから「気をつけよう」とするものである。
ところでこれでは、この「ヤジ発言」をなぜ主権者国民が大きな問題として捉え、批判の声を上げているのかという事にまったく応えようとしていない。つまり、「見て見ぬふりをする」「臭いものに蓋」という処理方法を選択したという事である。もちろんこれは安倍首相と自民党が本音を隠して、持てる権力を背景にしてそのような処理を押し付け、野党に飲ませたという事である。「合意」という言葉を使っていても、それは真の「合意」ではない事を見抜いておかなければならない。
政治の場で、あってはならない事が平気で行われているという事である。自民党が私利私欲(党利党欲)を守るために公明正大であるべきという政治の姿を壊しているのである。自民党にとっては政治は公明正大である事よりも、党利党欲(私利私欲)を守るためにはどんな手段を使っても良いという事こそが重要なモラル価値観なのである。そのモラル価値観は、これまで主権者国民の多くが当たり前としてきたものとは正反対のものである。しかし、自民党としては正しい対応なのである。その意味では安倍首相は選択的夫婦別姓の価値観を間違ったものとして破壊し、安倍首相が大切にする夫婦同姓のモラル価値観を主権者国民に対し正当なものとして位置づけ直そうとしていると考えて良い。主権者国民の価値観の転換逆転を妨害しようとしているのである。だから、その先兵として活躍していると見做している杉田氏をかばおうとしているのである。
杉田水脈氏の「それなら結婚しなくていい」という、結婚しようとするものは夫婦同姓でなければならないとする価値観を根拠とする「ヤジ発言」を、発言者自身が質問者玉木氏に名乗り出ている事実が存在するにもかかわらず、安倍首相や自民党が「見て見ぬふりをする」のは、杉田氏の発言に同意している事を自ら暴露しているのである。また、「ヤジ発言」を杉田氏であると特定した場合、安倍首相も自民党も、主権者国民に対して、「夫婦同姓」や「選択的夫婦別姓」についての明確な説明と党の方針態度を示さなければならなくなるため、それを回避するために、上記のような「合意」に持ち込んだという事である。「合意」は杉田氏発言の問題解決を目的としたものではないのである。このような手法とる理由は、安倍自民党が自浄能力を「有しているか否か」というレベルの問題ではなく、安倍自民党が民主主義、人権尊重の憲法を尊重する主権者国民の価値観とは正反対のファシズム的価値観を押し付け慣れさせようとようとしている事を見抜いておかねばならない。
(2020年3月28日投稿)