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竹内菜緒さん、なぜ君が代独唱が被災地や選手を勇気づけると思ったのですか

2017-04-03 21:35:43 | スポーツ

 2017年高校野球開会式で、不来方の竹内菜緒さんが、「野球部や宮古はもちろん被災地を勇気づけたい」と思って、君が代を独唱したという。本番のあと「選手全員に力を出してもらえるよう声に願いを込めました」との事。

 彼女は昨年の全日本学生音楽コンクール全国大会声楽部門1位に輝いたという。

 しかし、なぜ、開会式で「君が代」を独唱する事を決めたのだろう。

 1位に輝いた歌唱力を役立てたいという思いがあったからだろうか。しかし、君が代全国大会で歌われる歌とは全く異質な歌です。極めて偏向した思想的な歌と言ってよいでしょう。大日本帝国の国歌だったからです。

 歌唱力が高く評価されたからという事だけで「君が代」を歌ったのであれば、それはあまりにも浅はかな考えだったと思う。その歌唱力はもっと別の歌や場所で生かすべきであったろう。その事に気が付かなかったのだろうか。

 たぶん、あなたが独唱を決めた背景には、あなたの浅はかさを利用した高野連などの仕掛け人がおり、あなたは彼らの思惑を見抜けずうまく利用されたという事ででしょう。そうだと思いたいが。

 君が代は、大日本帝国下の学校教育においてどのように子どもたちに教えられていたか。それは、「君が代の歌は、天皇陛下の御治めになる御代は、千年も万年もつづいて、おさかえになりますように」という意味で、「国民が心からお祝い申し上げる歌であります」とされていたのです。つまり、天皇個人を賛美する歌だったのであり、今日において、強制する法的根拠もないままに(国旗国歌法は存在するが掲揚斉唱を強制する内容ではない)、自民党政権やその補完政党が教師やさらに子どもたちに歌う事を強制している歌なのです。

 あなたは、君が代を歌う事によって、どうして被災地に勇気を持ってもらう事ができると思うのですか。どうして選手たちに力を出してもらう事ができると思うのですか。勇気を持ってもらったり、力を出してもらえる歌はもっと別にあると思いませんか。もっと別の相応しい歌があると思いませんか。間違いなくあります。そう考えると、あなたは「君が代」がどのような内容の歌なのかよく理解していないとしか思えない。そのために、その歌を独唱する事が、被災地や選手全員を励ます事になると単純に考えたとしか思えない。

 歌を歌う事が上手だからどんな歌でも歌います、というような生き方はしない方が良いと思います。そのような人は歌う技術(歌唱力)が高いだけで機械のようなもので価値はありません。歌を歌う事は歌う人の心の思いを相手に伝える事です。つまり、歌う人が心の思いを相手に「うったえる」行為なのです。「うったえる」中身を理解せずに歌ってはいけません。

 どんな歌を歌うかによってその人の人格(ものの見方考え方)が表れます。

 最後に、朝日新聞は、この件についての自身のコメントを載せていないけれど、評価は読者に任せるという事では、あまりにも無責任な記事ではないだろうか。

(2017年4月3日投稿) 

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4月2日(日)のつぶやき

2017-04-03 02:11:44 | 報道/ニュース
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