日本軍「慰安婦」被害者の中で最高齢だったイ・スンドクさんが、2017年4月4日に亡くなった。享年100歳。1918年に全羅北道金堤(キムジェ)で生まれた。1934年、17歳の時に「米の飯と良い服を与えるという日本人の言葉に騙されて」日本軍に連れて行かれ、満州と上海を転々とし、1945年の解放後、韓国に帰ってきた。アジア太平洋戦争の犠牲者遺族会の会員を通じて被害者申告を受け付けている事を知り、遺族会を通じて過去を申告し、世界各地を回り、証言活動をしてきた。日本政府を相手に起こした「関釜裁判」の原告で、1998年から5年5カ月間の法廷闘争を行った。1審では勝訴を勝ち取った。
彼女は、麻浦区にある「慰安婦」被害者の共同施設「平和の我が家」(ウリチブ)で暮らしていたが、2014年6月から高齢のため近くの療養病院に入院していた。彼女の死去により、韓国政府に登録されている「慰安婦」被害者238人のうち、生存者は38人となった。
4月10日には、元参議院副議長・本岡昭次さんが死去した。享年86歳。彼は、1990年、国会で日本軍「慰安婦」問題について質問し、翌年も再度質問し、当時の宮沢首相から「民間業者が勝手にやった事」という回答を引き出し、それ以後、世界の日本軍「慰安婦」被害者が名乗り出て真実を証言するきっかけを作った。