※2017年6月7日に投稿したものを加筆修正して再投稿しました。
特例法により、皇太子は新しい天皇に即位する事になるようであるが、即位に際し、皇太子は「三種の神器」や「宮中三殿」などを引き継ぐという事である。
しかし、「天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づく」と憲法に定める主権者である国民はここで改めて考えるべき事がある。それは、現代において、天皇の即位の条件に「三種の神器」や「宮中三殿」の継承が必要なのだろうかという事である。
なぜなら、これらは敗戦までの天皇政府が国教として日本国民に対し信じる事を強制した記紀神話に基づく「国家神道」の核としたものであり、国民の支配に強烈な威力を発揮したものであったからだ。現御神天皇による国民支配を正統化する(天皇政府の荒唐無稽の作り話であるが)アイテム以外の何物でもないものであったからである。
三種の神器……記紀神話に基づく皇位のしるし
宮中三殿……賢所、皇霊殿、神殿。賢所は記紀神話で皇祖とされる天照大神を祀る伊勢神宮内宮の代宮で、明治政府によってつくられた国家神道では、神宮を本宗と定めたのに対応して、神宮と一体であった賢所は皇居内の宮中祭祀の最高神殿と定めた。皇霊殿は、学問上荒唐無稽の作り話であるというのが定説である「神武天皇」(記紀神話には初代天皇としている)を中心に天皇家の祖霊を祀っている。神殿は天神地祇八百万神を祀っている。
しかし、今日の天皇家や皇室について言えば、日本国憲法(国民主権)によって、またその憲法下の皇室典範に基づいて天皇家や皇室の存在を認め規定するようになったわけであるから、上記のようなアイテムを敗戦までのように現在も必要としなければならない理由は喪失していると考えるべきである。つまり、そのような「記紀神話信仰」やそれに基づいた「しきたり」への固執をやめ廃止するのが憲法に則った筋の通った考え方であるといえるだろう。また、現在も、敗戦までの国家神道組織がそのままの形で存在し活動を続けている実態を考えれば、安倍政権が、また、安倍政権と価値観を同じくする政権が国家神道を再び政治の表舞台へ復活させ、国民を支配する(国民の自由を奪う)アイテムとして利用する可能性があるのである。それは、自民党の改憲草案に明確にみられる。国民主権人権尊重を大切する国民にとっては非常に迷惑なのである。「森友学園」に端を発した「教育勅語」を安倍政権が肯定する理由は「教育勅語」が「国家神道」の教典であったという事なのであるし、君が代斉唱不起立に対して行政が処分しそれを司法が合憲とする理由も、安倍政権閣僚が伊勢神宮や靖国神社に参拝(真榊奉納も含めて)する理由もすべて同じ「国家神道」にかかわる事であるからなのである。
しかし、上記を継承するという事は、残念ながら天皇家や皇室、皇太子(次期天皇)も、依然として、記紀神話に固執した生活を続けていくという事を表明したという事を意味する。そして、その事はあわせて、天皇家や皇室も自らの生活を律しなくてはならない憲法第99条「憲法尊重擁護義務」の規定についても正しく理解し、義務を負う意思はない(国民の理解とは異なっている。ここが問題なのであるが)という事も表明した事でもある。
現行憲法に基づいて、国民が、真に「主権者」の地位に立つためには、天皇家や皇室に対して、彼らのあるべき姿を明確に提示し形作っていく努力が必要である。現在のままでは、「国民主権」は言葉だけの「絵に描いた餅」なのである。明治憲法で「法律の範囲内」において天皇が国民に恩恵として人権を与えたように。
※ついでながら、現在の天皇を125代目とし、次期天皇を126代目とする「記紀神話」の内容を既成の事実のように、皇室はもちろん政府もメディアも、そして国民の多くもがまったく疑う事もせず受け入れているような状況であるが、学問的研究の定説では10代目までの存在の信憑性はゼロ(当然、天照大神など神々の存在やその子孫とされている神武天皇の存在は否定される)であるとしている事こそ国民の共通認識として皇室や政府が進んで明確にする姿勢を示すべきである。現状では大日本帝国時代と同様に、皇室や政府が意図的に歴史を自己に都合よく捏造し、メディアがそれに翼賛し、国民を欺瞞で洗脳しうまく支配していると解釈できる。
※天皇家・皇室について、主権者国民として考えなければならないと思われる事を、ほかにもたくさん投稿していますのであわせて読んでいただければその全体像を描くうえで参考にしていただけると思います。