財務省の福田純一事務次官の発言が、30代の女性記者に対し、「胸触っていい?」などとセクハラ発言を繰り返した事に対しての麻生財務相の発言は、国内国外の今日の政治家にとって常識とされる価値観を有せず、偏向した特異な価値観を有している事実を暴露した。麻生氏の発言が自身の本心であれ、意図的なものであれ、このような発言をする人物をトップとする安倍自公政権をこれ以上存続させる事は、これまで国民が培ってきた価値観を否定し破壊しようとする事を目論むものであると決めつけてもよいものである。
麻生氏の問題とすべき発言は、2018年4月12日参院財政金融委員会では「十分な反省があった」「緊張感を持って対応するように訓戒を述べた事で十分だと思っている」とし、13日の閣議後会見では「本人の長い間の実績等々を踏まえれば、能力に欠けるとは判断していない」とした点である。
「セクハラ発言」をした事と「これまで実績」がある事とを一緒に並べて判断するべきではない。「これまで実績」があれば、「セクハラ発言」も許されるべきだとする価値観(を通用させようとする目論見がある。その点に麻生氏の価値観の欠陥が存在するのである。今日の国内国外の価値観は、「これまで実績」が存在しようと、それによって「セクハラ発言」が不問にされたり許されたりするものではないのである。「これまでの実績」と「セクハラ発言」とは別に判断すべきものなのである。麻生氏はこのような今日の普遍的な価値観の広まりを、故意に過去の日本の価値観(実績があればセクハラ発言などは些細な事として不問とされた。酒の上での事、酔った上での事などというのも同根)で持ち出し国民に認めさせ解決させようとしており、また、日本の政治家や国民の価値観を過去へ逆戻りさせようとしていると決めつけてよいものである。そして、その事によって自己の腹心を守る事を狙っているのである。
国民は断じて麻生氏の価値観や目論見を黙許してはならない。
(2018年4月15日投稿)