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天皇家が伝えていくべき戦争の歴史は戦争最高指導者としての発言について国民に懺悔し謝罪する事から

2018-09-12 16:34:56 | 皇室

 今夏、天皇家の色々な人々が、「戦争の歴史を学ぶ」事が「目的」であるとして、様々な場所へ足を運んだ事が、新聞などメディアにより伝えられた。

 8月8日には、秋篠宮夫妻が悠仁さん連れて、東京都内のホテルで開催された「沖縄戦を考えるつどい」に出席し沖縄戦の体験談を聞いたり、10日には紀子さんが悠仁さんを連れて広島の平和祈念公園を訪れ原爆死没者慰霊碑に参拝するとともに、平和祈念資料館を参観した。加えて被爆者から体験談も聞いたという。皇太子夫妻も愛子さんを伴って、東京都内でも催された「戦中・戦後の暮らしぶり」を学ぶ特別展「伝えたい あの日、あの時の記憶」に足を運び、会場で鹿児島大空襲の体験者と懇談したという。

 このような天皇家一族の行動について、メディアは高く評価する(讃えているように)とともに、天皇家が今まで以上に国民から好感を得られる事を狙って、その行動を精力的に伝えているように見えた。しかし、メディアの考え方は間違っており、国民を欺くものである。それは、天皇家の人々の行動は、国民と同様の位置に立ったものであるからだ。つまり、かつて天皇天皇家は侵略戦争の最高指導者であったのであるから、それを継承する天皇家の人々は、侵略戦争の最高指導者の子孫として、かつての戦争指導の誤りを学び、二度と繰り返さないためにどのような事を教訓としなければならないのかを学ぶ事が大切なのである。そして、かつての侵略戦争で被害を被った被害国民はもちろんの事、日本の国民に対しても謝罪すべき姿勢を見せなければならないのである。

 たとえば、昭和天皇が生前発していた下記のような言葉に対して今日の天皇家の人々が責任を負い、自らがどのように考えているのかを各人が表明し謝罪(謝罪で済む事ではないが)してこそ自らの立場を自覚した歴史を学んだ事になり意味があるのである。それ以外はすべて戦争責任を回避するために国民を欺くパフォーマンスに過ぎない。戦争最高指導者天皇家の侵略戦争における罪科を書き換え隠滅するための。つまり、歴史修正主義に基づく行動なのである。メディアも取り立てて讃美すべき行動ではないだけでなく批判すべきものなのである。

 1944年10月のレイテ沖海戦で第1航空隊司令官大西中将が開戦2日の25日、敷島隊に特攻攻撃を命令した。これに対し昭和天皇は「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった」と述べた。

 1945年5月19日の梅津参謀総長が沖縄の皇軍に伝えた昭和天皇の言葉は「第三十二軍(沖縄戦の主力部隊)が来攻する優勢なる敵を迎え、軍司令官を核心とし挙軍力戦連日よく陣地を確保し敵に多大の出血を強要しあるはまことに満足に思う」であった。

 同年6月18日、第32軍牛島司令官からの訣別の電報に対しての言葉は「第32軍は長い間、非常に優勢なる敵に対し孤軍奮闘し敵に大なる損害を与え大層よく奮闘す。しかし最後まで立派にやって国軍のためになるように」であった。

 1975年の日本記者クラブとの会見で戦争責任についてどう考えるかを問われて「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」であった。同じく米国の原爆投下について問われて「原子爆弾が投下された事に対しては遺憾に思ってますが、こういう戦争中である事ですから、どうも広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ない事と思ってます」であった。

 1964年には、本土空襲や原爆投下を指揮した米国空軍の総司令官であったカーチス・ルメイ大将に、最高位の勲章「勲一等旭日大綬章」を授与していた。

(2018年9月12日投稿)

 

 

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