朝日新聞「日曜に想う」が、中国で発明された「木版印刷」や朱子学の創始者「朱熹」について触れていた。
中国の歴史では、宋(960~1127)の時代にその後の世界の社会文化の発展に大きな影響を与える「3大発明」(木版印刷術、火薬の製造法、羅針盤。後漢に蔡倫が発明した紙を含めて4大発明とも)が行われた。木版印刷技術は唐代に始まり、宋代以後普及した。唐代には主に仏典・暦本・字書などが印刷された。経書(儒教)は五代になって出版された。仏典では宋の建国者太祖が大蔵経(一切経ともいう。経〈釈迦の教え〉・律〈生活規範〉・論〈経の解釈〉からなる「三蔵」の経典とその注釈書・史書などの仏教聖典を集大成した叢書)を成都で刊行させ文化の普及を促す事となった。この印刷術はマルコ・ポーロによりイタリアへ伝えられ、さらにヨーロッパへ広まった。ちなみに、現存するアジア最古の印刷物は日本の奈良法隆寺に伝わり称徳天皇に由来する「百万塔陀羅尼経」であるといわれる。
火薬の製造法については、北宋仁宗(位1022~63)の頃、硝石・硫黄・木炭を混合した黒色火薬が発明された。火薬が兵器として初めて実戦に使用されたのは唐末10世紀の始めで、宋代になると火薬が次第に発達し、色々な火器が作られた(『武経総要』1044年)。12世紀中頃、南京近くの采石の戦い(1161)で南宋軍がこれを初めて、南下する金軍(第4代海陵王、位1149~61)に対し使用した。モンゴル軍は鎌倉時代の日本で「てつほう」を使用した事が『蒙古襲来絵詞』(元寇1274、1281)に描かれている。ヨーロッパには13世紀頃、イスラム諸国に出征した十字軍により伝えられた。
羅針盤は、北宋の末11世紀から12世紀にかけて航海に利用(朱彧『萍洲可談』)されるようになり、アラビア商船(イスラム商人)にも使用されヨーロッパに伝えられた。
最後に、北宋時代より、「纏足」の風習が始まるが、朱熹は「男女の距離」を教える手段として南福建に普及させる事に熱心であった事を付け加えておこう。
(2024年3月25日投稿)