2018年9月5日、麻生太郎副首相兼財務相は、盛岡市内での「安倍晋三自民党総裁を応援する会」で、「G7の国の中で、我々は唯一の有色人種であり、アジア人で出ているのは日本だけ」、「今日までその地位を確実にして、世界から関心が集まっている」と述べたという。
11日の閣議後会見では、その発言について、「問題と言うんだったら(有色人種)をアジア人に書き直してもらってもいい」と発言した。そして、発言の趣旨については、「第1回のサミット以来、チャーター(設立)メンバーでずっといる国はアジア代表で日本だけだと言った」「(有色人種を)アジア人って言ったっていい」などと述べた。
そして、「その程度の話」であり、問題などないという意味に受け取れる発言もした。
さて、このような説明でメディアは納得したのか。その動向をうかがっているのであるがこれで納得したのであれば、日本のメディアは廃業した方が国民のために良いだろう。
さて、「日本」の事を、「有色人種」の国と定義し、G7の中で唯一の「有色人種」であると表現しているのであるが、「有色人種」という言葉は、元々「(いわゆる)白人が自分たちを意味する白人以外の他の人間人種に対して用いた言葉」である。そしてその言葉は人間を優劣で評価するためのものであり、「白人優位」の思想を含んでいるのである。つまり、「白人」がその他の人間人種を劣等視し差別的に扱うための言葉なのである。
そのように考えると麻生氏の発言が本人の自覚があろうとなかろうと、どのような思想に基づいたものであるかが見えてくるであろう。
それはこういう事になる。「我々は白人より劣っている有色人種であるが、白人と並んでG7に参加している。それはアジアの有色人種の中で他になく唯一我々だけで、日本国にとっては誇るべき事だ」と。強いて言えば「中国人なんか大した事ない」という事を言いたいのだろう(断っておくが私は中国人ではありません)。
この麻生氏の思想は、人間をいわゆる「皮膚の色」で優劣をつけ評価するものであり、科学的根拠のない独善的で偏狭な思想であると言って良い。まるで日露戦争以後西欧帝国主義国の仲間入りをした事を「誇らしげ」にするのと同様の思想である。また、今日の国家は、一つの人種で一つの国家を形成しているのではない。様々な人種民族によって形成されている。その点においても非現実的思考様式である。意図的なフェイクと言って良い。この思想は人間に平等の権利を認めないものでもある。麻生氏が言い訳をすればするほど問題視すべき思想であり人物である事がわかる。南アのアパルトヘイト政策や米国のKKK団の行動からも何も学んでいないのである。国際連合憲章第1条3項「……人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励する事について、国際協力を達成する事」という趣旨にも背くものであり、自ら己の無知と差別的体質を暴露したという事である。
そして、問題とすべきは、麻生氏が言う「こんな程度の問題」、つまり、何の問題もない、という認識しか持っていないという事だけでは済まされない、このような思想を持つ人間が安倍自公政権の中核として日本国の政治権力を握り、国民を統治(支配と言っても良い)している事である。すでにこれまでの麻生氏の発言や態度を振り返れれば納得できるのではないか。あらためて、やはり安倍自公政権は、自己のファミリーやワールドの利益利害だけを重視する政権であり、国民の生命と財産を守る事は二の次であるという事を実証するものだ。
(2018年9月16日投稿)