オバマ大統領の「広島と長崎への原爆投下の決定について再び議論はしない」という言葉は、2015年8月14日の安倍内閣総理大臣談話のなかの「あの戦争には何ら関わりあいのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません。」という言葉と共通する主義主張価値観にもとづいたものであり、日本国民にとっても米国民にとっても、その将来に不幸をもたらす非常に重大な問題を含んでいる。つまり、両国政府は、戦争の歴史についての現在までの歴史学者の研究成果を認めないという事を意味しており、また、それぞれの国民に対しては戦争の真実や原子爆弾投下に至るまでの当時の両国政府の動向の真相を究明しないとともに国民に対して明確にしないということを意味しているからである。しかし、このような歴史に対する姿勢からは、安倍の言う「歴史の教訓の中から未来への知恵を学ぶ」という重要な「教訓」を得ることや、オバマの言う「私たちは学び、選ぶことができます」という「学び、選ぶこと」は不可能なのである。それこそが国民にとって最も重要な事であるにもかかわらず。しかし、安倍政権とオバマ政権にとってはその方が都合が良いという事なのである。それはその事により当時の両国政府を擁護できる事とそれとつながるそれぞれの今日までの政権と自己の政策を正当化する事ができ推進しやすいからである。
オバマ大統領と安倍首相の広島演説に対してメディアの報道は、安倍首相のいう「広島の人々のみならず、すべての日本国民が待ち望んだこの歴史的な訪問を心から歓迎したいと思います」「日米両国の和解、そして信頼と友情の歴史に新たなページを刻むオバマ大統領の決断と勇気に対して心からみなさまとともに敬意を表したいと思います」という言葉に沿うように大勢としては「国民にとって喜ぶべき事」として受け止めなければならないかのようにムード作りをして取り上げていた。しかし、国民は単純に手放しで同調してはいけない。
安倍首相の広島演説の狙いは、オバマ大統領と結託して、戦争中の原爆開発や原爆投下前後の神聖天皇主権大日本帝国政府(オバマ大統領は米国政府)の政策決定経過の真相を隠蔽する狙いと、戦後から今日に至る対米国従属(両政府間の利害の一致)を続ける自民党政治の「正当化」と、なかでも安保条約に基づく米国政府との軍事同盟の「正当化」を日本国民にアピールしたものである。「正当化」はその反面で憲法理念の実現を阻害し空洞化して国民の人権を軽視するとともに国民が自由に幸福に生き平和を求める思いを抑圧してきたのであり、踏みにじってきたのであり現在はその傾向をさらに強化加速している。
安倍は、「71年前、広島そして長崎ではたった1発の原子爆弾によって、何の罪もないたくさんの市井の人々が、そして子どもたちが無残にも犠牲となりました。一人一人にそれぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみ締める時、ただただ断腸の念を禁じ得ません」」ともっともな事を言うが、首相としては極めて第三者的な無責任な言葉である。なぜなら、完成はしなかったが日本政府も原爆開発を行っていた事、原爆投下前後の神聖天皇主権大日本帝国政府の政策決定経過の真相については、ポツダム宣言を「黙殺」した事、広島に投下された時には最高戦争指導会議も閣議も開催していない事、長崎に投下された後も天皇や為政者は「国体(天皇主権)護持」できるか否かのみを心配していた事、そのために国民の悲劇が増大した事。また、講和条約においては原子爆弾による被害の賠償を放棄した事。戦後一貫して戦前回帰の憲法を理想として全面改悪を目指している事。昭和天皇が後に「しかたのない事」と発言した事、それについて現天皇(平成)が否定する意思を示す発言をしない事。安倍自民党政権はこの事実について自己の姿勢を明確に表明していない。国民に対し「政府見解」として明らかにすべきであり謝罪すべきであり損害賠償すべきである。そうでないかぎり、安倍は国民を欺く偽善者である。
安倍は言う、「今なお被爆によって大変な苦痛を受けておられる方々もいらっしゃいます。71年前、まさにこの地において想像を絶するような悲惨な経験をした方々の思い、それは筆舌に尽くしがたいものであります。」と。しかし、これは口先だけの言葉である。それは被爆者に対する冷酷な姿勢をみれば明白である。それは空襲被害者についても同様である。原爆症認定の姿勢では「受忍論」を主張し認定は数%に過ぎない事、ビキニ被爆事件は「原発」を導入するために政治的幕引きをし被曝調査資料の存在も否定してきた事、「原水爆禁止運動」には関心を示さず自民党にはこの種の団体はない事、政府は三菱重工業など軍需生産企業には軍需省から前渡金を与え利潤を保障したし、職業軍人などには高額な手厚い恩給を与えているが、空襲被害者や被爆者への補償は「受忍論」を盾に門前払いをしている。
安倍は言う、「この70年間、和解のために力を尽くしてくれた日米両国全ての人々に感謝と尊敬の念を表しました。熾烈に戦い合った敵は70年の時を経て、心の紐帯を結ぶ友となり、深い信頼と友情によって結ばれる同盟国となりました。」と。しかし、「和解に感謝尊敬」「信頼友情に結ばれた同盟」などは、一見美しい言葉であるが、換言すれば「両政府間の利害が一致」した結果の「同盟」締結であり、為政者レベルの「和解」であり国民を取り込むための「演出」なのである。国民が「敬意」を表さなければならないものではない。また、これらは国民が望んでいるものではないため無理矢理に「賛同」へ誘導するための演出なのである。だから国民を熾烈に戦わせたのは時の政府に責任がある事に触れようとしないのである。それゆえ、安倍の言う、「広島のみならず、すべての日本国民が待ち望んだこの歴史的な訪問を心から歓迎したいと思います」とか「日米両国の和解、そして信頼と友情の歴史に新たなページを刻むオバマ大統領の決断と勇気に対して心からみなさまとともに敬意を表したいと思います。」という言葉は独善的で傲慢であり国民を欺いており同意できない。
そして、日米軍事同盟(安保法制)の役割について安倍は「今を生きる私たちの責任であります」として、「世界中のどこであろうとも、再びこのような悲惨な経験を決して繰り返させてはならない。」「核兵器のない世界を必ず実現する。」「世界の平和と繁栄に力を尽くす。」「日本と米国が力を合わせて世界の人々に希望を生み出す灯火となる。」と言うが、このような主張は、今日までの自民党(系)政治や安倍政治の実態と正反対であることを欺くものであり、国民を欺く「歴史修正主義者」の「歴史観」である。それは、安倍政府は米国の「核の傘」を堅持している事、核兵器禁止条約には条約成立阻止のために屁理屈をこねて単に攪乱分断しているだけである事、安倍政府は「憲法は核兵器の保有や使用を禁止しない」と表明した事、福島原発事故処理状況について東京オリンピック誘致のために皇族も動員し「ダウンコントロール」と世界に平気で「ウソ」をつき、福島原発の事故処理が進んでいない事を隠した、国民の反対を無視して原発廃止を翻し再稼働させるとともに、海外に原発を輸出しようとしている事、県民の声を無視して沖縄県の辺野古移設を恣意的に補助金制度を改悪して実行しようとしている事、沖縄基地への核持ち込みの密約を隠していた事、民主主義を否定し憲法を全面改悪しようとしている事、などにあらわれている。
そして、「(日米が力を合わせて世界の人々に希望を生み出す灯火となる)事が広島、長崎で、原子爆弾の犠牲となったあまたの御霊の思いに応える唯一の道である。」と言うのは自己に都合よく解釈をし、日米軍事同盟の集団的自衛権の行使こそ平和を実現する唯一の道であると「スリカエ」をしているのであり、自らの立場を美化し正当化しているのである。大日本帝国政府が国民を戦争に駆り立てアジア諸国を侵略した責任、被爆した国民に対する責任には触れようとしないのである。
その他のこれまでの自民党政治は、
○朝鮮戦争やヴェトナム戦争では沖縄県の米軍基地を兵站基地とし、米軍を支援し「死の商人」として戦争特需で経済復興した。
○日米安保条約は昭和天皇や吉田茂により国民の声を聞かず締結され、60年には岸政権が強行採決をした。また1960年代に米国の「核の傘」に入った。
○日米首脳会談についての共同記者会見で安倍首相は「米軍再編は沖縄の皆さんの気持ちに真に寄り添う事ができなければ前に進められない」と言いながら、日米地位協定の改定を提起せず運用見直しで済ませようとしている。沖縄県民は何人の「人柱」を立てなければ差別(人権侵害)から解放されるのであろうか。
※オバマ政権と米国民とは利害が異なるという事、また、安倍政権と日本国民の利害は異なるという事を見抜かなければならない。
※オバマ大統領の広島訪問はかつてのマッカーサーの来日時のようであったが、オバマ大統領の政策はマッカーサーが占領政策を変質させた(逆コース)歩みと二重写しに見える。
(2016年6月11日投稿)