(冒頭写真は、2011.11.19付本エッセイ集バックナンバー「愛すべき生命体たち」に於いて掲載したアマモ水槽の写真を再掲載したもの。)
当該バックナンバーより、アマモに関する部分を以下に再掲載させていただこう。
さて先だって晩秋にして暖かく晴れ渡るある日、私は東京都江戸川区に位置する葛西臨界水族園を訪れた。
この水族園を訪れるのは、私にとっては今回で4度目の事である。
初めて訪れたのはおそらく葛西臨界水族園開園後間もない頃だったと思うのだが、今を遡る事20年程前の我が30代後半の高校教員時代である。
高校の遠足(校外活動)行事で生徒を引き連れ(連れられて?)この地へ訪れた私が水族園を堪能できるはずもない。 水族園で何かを見た記憶は一切なく、学校を離れて解放感に浸っている男子生徒の一グループと心底語り合った思い出のみが印象深い。(彼女の話題等々、生身の男子生徒との会話が私にとって一番印象的だったものだ。)
我が子が小学校高学年の頃、夏季休暇中に連れて訪れたのが2度目である。 夏休み中で園内は“ゲロ混み”、しかも猛暑で私は“くたくた状態”… これまた水族園を堪能するには程遠い劣悪な環境だった。
3度目はほぼ半年前の春の日のことだ。 これに関しては、我がエッセイ集バックナンバー 「パンダの憂鬱、カバの退屈」 と題する記事においても少しだけ述べているが、何と言っても水族園も動物園も“混雑していない時”に行くのが鉄則であることには間違いない。
今回4度目となる葛西臨海水族園訪問は、原左都子にとって実に印象深いものがあった。
実は先週この水族園を訪れる以前より、私は当「原左都子エッセイ集」のコメント欄を閉鎖しようかどうかと大いに迷っていた。
そのような心に迷いがある時に水族園を訪れても私の心が晴れるはずもないと心得つつ、それでも私は水族園を訪れてそこに息づく生命体を見ることを志したのだ。
これが大正解だった!
晩秋の晴れた日に訪れた水族園は、大都会にして人がまばらだった。
水族園という大いなる環境制限はあるものの、その環境下で生き抜いている生命体の一つひとつを熟視する事が叶った事は、私にとっては今回が4回目にして初めてだったのかもしれない。
上記写真は、葛西臨海水族園においてはさほど目立たない場所にある小さな水槽の展示物である。 それでも、私は今回この水槽の“アマモ”に一番心を奪われた。
“アマモ”とやらの海草の正体が知りたくて先程ネット上で検索したところ、東京湾で生き抜いているアマモの本来の色彩は青緑色であるようだ。 私が水族園で見た“アマモ”は人工飼育故に既に痛んでいたのであろうか?? 写真の通り黄色黄緑色系の色彩だった。
ところが(アマモには申し訳ないが)、この色彩が生命体を人工的に演出しているに過ぎない水族園に於いては、まるで美術館で傑作絵画を見るがごとく素晴らしい“芸術”として光輝いていたのである。✨✨
その他の生命体の写真も多数撮影してきているのだが、今回私は上記“アマモ”の水槽が一番美しいと判断したためこれを公開することと相成った。
生命体の生き様とは、それをじっくり観察すると実に芸術的で素晴らしいものがある。
利潤目的も伴って経営されている水族園や動物園とは、ある方面からは“動物虐待”と批判される一面も共存していることは承知の上だ。 だが特に都会に生きる人間にとっては、それらの施設とは生命体を間近に観察できるまたとはないチャンスであり環境である事には間違いないであろう。
(以上、本エッセイ集バックナンバーの一部を再掲載したもの。)
このアマモの水槽が、去る6月29日に訪れた際には、こうなっていた。
これも十分に美しい色彩だ。
ただ、2011年に見たアマモが、ここまで枯れてしまったのだろうか??
それに関しても係員に尋ねたかったのだが、どうもコロナ対策故か館内の係員数が極端に少なく(出入口で観客の“3密指導”をする係員は大勢いたが、あの方々はその専門家として特別動員されているのであろう。)、近くで見つけることが出来なかった。
2011年時点に収拾した情報に寄れば、このアマモは東京湾から採取されたらしい。
あれから9年が経過した今、気象変動等によりアマモの生育環境が悪化してしまったのか??
その実態が不明ではあるが、せっかくの大都会東京都の水族園に於いて、冒頭のようなアマモの美しい姿を今一度観賞したいものだが…