(冒頭写真は、昨日観た「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」の朝日新聞内紹介記事を転載したもの。 左下は、映画館のチケット。)
昨日東京都の“コロナ感染者数”が過去最高の243名に達した中、何を血迷ったか😷 、私は自宅から徒歩で行ける映画館にて上記映画を鑑賞してきた。
私なりの安全性確認には事前に十分手を打った。
館内の座席の空け方や、消毒の仕方、観客のマスク着用強制等々が適切に実施されている事を確認した上で、予約を入れて出かけた。
一つ気がかりだったのは、入口で体温確認が成されていなかったことだ。 これを実施すると安全性が尚高まるかと予想するのだが、おそらく人員不足なのだろう。
たださすがに観賞客は少なく、館内で“3密状態”となる混雑が一切無い状態だったのがラッキーだった。 昨日は会員デーだったこともあろうか館内でキャピキャピ騒ぐ若者達も皆無で、私程度の高齢者一人客がほとんどだった。
この環境下で、映画に集中できたように思う。
この映画館の会員に登録して2年目になるが、今年は“コロナ禍”のため2月末頃から6月末頃まで映画館は閉鎖状態だった。
映画もたまには観たいと思っていた時、冒頭写真の新聞記事を発見した。
「若草物語」と言えばこの私も子どもの頃、本で読んだ記憶がある。
今回の主役は次女のジョーのようだが、現在に於いて如何に姉妹の物語が展開するのか楽しみに出かけた。
そのテーマだが。 上記新聞記事にも書かれている通り、「女の最大の幸せは結婚か自立か?」だった。
私に言わせて貰うならば、今現在制作した映画にして既に随分と陳腐化したテーマを取り上げたものだ、とのマイナス印象を抱かされた。 (上記新聞の書評によると、当該最新版「若草物語」を絶賛しているようだが…)
主役のジョー(本名はジョセフィーヌのようだ。 それを略してジョー。 どおりで男の子ぽい名前だなあ、と子どもの頃に思ったものだが。)の演技は前評判通り、素晴らしかった!
ここで少し映画のストーリーをあくまでも私なりに紹介すると。
長女のメグは貧乏男との結婚を焦り子どもを産み、一時メグが金持ち生活にあこがれたがばかりにその貧乏人ご亭主との間でいざこざが起こったものの、結局その亭主との巣に戻って幸せになる、というところだろうか?
三女のベスは、生まれつき病弱だがピアノの名手でその演奏が生きがいだったが、はかなくも猩紅熱でこの世を去る…
四女のエイミーは気性が荒いが絵を描く趣味があり、最終結果としては近所の金持ち息子のローリーに結婚を申し込まれ、幸せになる、と言ったところか。
主人公の次女ジョーだが。
上記金持ち息子のローリーから愛され続け結婚を強く望まれたにもかかわらず、ジョーは作家としての夢が捨てきれずそのプロポーズを断り続ける。
自身の夢が叶わないと判断した時、身勝手にもジョーはローリーのプロポーズを受ける決断をするが、時既に遅し… ローリーは既に四女エイミーにプロポーズをしてエイミーがそれを受け入れていた。
それを知ったジョーにローリーが発した言葉こそが、この映画のテーマだったのではなかろうか? と私・原左都子は思う…
ローリー曰く、「ジョーとエイミーに対する“愛”の意味が全く異なる。 何故自分が最終的にエイミーを結婚相手に選んだのかと言うと。 もしジョーと結婚したならば“殺し合い”の日々だったように思う。 相手がエイミーならば、穏やかな日々が送れると思った。」
何だか我が若気の至り時代に、周囲の男どもから類似の言葉を投げつけられ続けたように郷愁する… (まさか“殺し合いの日々”ではなかったけどね…)
そうやって私から離れてくれた男どもに感謝しつつ、我が自己実現の道を突っ走った挙げ句。 私は将来の穏やかな生活を欲して、見合い晩婚にて亭主と出会ったと結論付けられよう。
それにしても。
この映画物語に何だか中途半端感を抱かされるのは。
おそらく、主役が未だ若い段階で物語が終結しているせいだろう。
既に高齢域に達している我が視線から評価するならば、何ら物語が完結していない段階で終演している点が大いに気がかりだ。
(表題に掲げた通り、その後の長き人生こそに人生の神髄となる喜怒哀楽が訪れるものだ。)
要するに、この映画は「若者向き」に制作されたのだろう。
その観点からこの映画を考察し直すならば、現在の若者世代が観賞して大いに成果がもたらされる映画なのかもしれない。