これ程までに、“コロナ禍”が都市部を中心に猛威を振るっている現状下に於いて。
どういう訳か、国家の首相は既にメディアにその姿を現さなくなってしまったし… また都知事の小池氏も相変わらず科学的根拠無き指導しか展開出来ずにいる…
そんな折、私は我が「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて、「放射能議論は是非とも冷静・沈着に」と題するエッセイを公開していた事実を発見した。
2011.09.19公開の当該バックナンバーの一部を、以下に再掲載させていただこう。
本日(2011年9月19日)昼間のNHKニュースにて、福島第一原発事故関連の報道を2本立て続けに見聞した。
その一つは、日本原子力学会が本日開会されたニュースである。
この学会の全体会において、学会長であられる東大教授が以下のような内容の挨拶を述べる影像がニュースで映し出された。
「3月11日に発生した東日本大震災に連動して福島第一原発事故が生じ、福島県民をはじめとする国民の皆さんに多大なご迷惑をおかけしていることを大変遺憾に思っている。 このような大規模原発事故が発生することは我々原子力学会においても想定していなかった事実を認め、お詫び申し上げたい。」
私論に入るが、東日本大震災自体は天災であろうが、福島第一原発事故は“人災”であることを本エッセイ集のバックナンバーにおいて再三指摘してきている。
“人災”である以上、その責任を取るべき人物なり組織が必ずや存在するはずだ。 それは政府であり、そして原発開発、推進、運営に係わった専門家達であろう。
その意味で原発研究の専門家集団である 日本原子力学会 の責任は重いものがあると前々より捉えていた私であるが、本日初めて謝罪らしき言葉が聞けた思いだ。 願わくばこの非常時においてはもっと早い時期に学会臨時総会を開催して、上記の謝罪の言葉を福島の皆さん及び国民に向かって発して欲しかったものだ。
現在開催されている原子力学会総会においては、おそらく今後の原発放射能汚染よりの復興に対する専門的な意見が取り交わされていることであろう。 遅ればせながらでもよいから、どうか一日も早い原発事故収束のために専門家集団は日々精進を続け、その情報を逐一国民に公開して欲しいものである。
そしてもう一つのニュースは、昨夜愛知県日進市において開催された花火大会にて、福島県川俣町で作られた花火を打ち上げ中止としたとの報道である。
この花火大会においては福島県川俣市で制作された花火80発を、日進市にて福島原発復興支援目的とのスローガンの下に打ち上げ予定だったとのことだ。 ところがその事実を知った愛知県地元住民より、放射能不安趣旨のクレームがメール等で寄せられたらしい。 開催主宰者である自治体はこのクレームを受け入れ、急きょ川俣市の花火の打ち上げ中止を決定したとのことである。 当然のことながら、福島県川俣市側は困惑を表明しているようだ。
私論に入るが、この種の復興支援イベントとは企画段階から慎重に計画実行されるべきだったの一言に尽きるのではあるまいか。
原左都子自身は決して、先だって暴言を吐いて辞任した鉢呂ナンタラ大臣のごとく福島が「死のまち」などとは捉えていない。 いつか遠い未来には必ずや福島の皆さんのかけがえのない郷里として復興する日が来るであろうことを、一国民として祈っている。
ただ、一旦目に見えない放射能にレベル7で汚染された国や地域がその脅威から復興出来る時期の遠さを、我が過去の医学経験からある程度は理解できる気もするのだ…。 その観点から考察すると、愛知県の自治体において昨夜行われようとしていた川俣市の業者制作による花火の放射能の程を愛知県側の市民が慮る思いも理解できる気もする。
福島の皆さんの復興支援を是非共行いたい気持ちは国民皆山々であろうが、ここは自治体の長や幹部たるもの放射能の脅威も少しは視野に入れて、企画段階から世間を騒がす結果とならぬよう、そして福島県民の皆さんの感情を逆なでする結果も回避するべく重々配慮した上でイベントを開催して欲しいものである。
その一つは、日本原子力学会が本日開会されたニュースである。
この学会の全体会において、学会長であられる東大教授が以下のような内容の挨拶を述べる影像がニュースで映し出された。
「3月11日に発生した東日本大震災に連動して福島第一原発事故が生じ、福島県民をはじめとする国民の皆さんに多大なご迷惑をおかけしていることを大変遺憾に思っている。 このような大規模原発事故が発生することは我々原子力学会においても想定していなかった事実を認め、お詫び申し上げたい。」
私論に入るが、東日本大震災自体は天災であろうが、福島第一原発事故は“人災”であることを本エッセイ集のバックナンバーにおいて再三指摘してきている。
“人災”である以上、その責任を取るべき人物なり組織が必ずや存在するはずだ。 それは政府であり、そして原発開発、推進、運営に係わった専門家達であろう。
その意味で原発研究の専門家集団である 日本原子力学会 の責任は重いものがあると前々より捉えていた私であるが、本日初めて謝罪らしき言葉が聞けた思いだ。 願わくばこの非常時においてはもっと早い時期に学会臨時総会を開催して、上記の謝罪の言葉を福島の皆さん及び国民に向かって発して欲しかったものだ。
現在開催されている原子力学会総会においては、おそらく今後の原発放射能汚染よりの復興に対する専門的な意見が取り交わされていることであろう。 遅ればせながらでもよいから、どうか一日も早い原発事故収束のために専門家集団は日々精進を続け、その情報を逐一国民に公開して欲しいものである。
そしてもう一つのニュースは、昨夜愛知県日進市において開催された花火大会にて、福島県川俣町で作られた花火を打ち上げ中止としたとの報道である。
この花火大会においては福島県川俣市で制作された花火80発を、日進市にて福島原発復興支援目的とのスローガンの下に打ち上げ予定だったとのことだ。 ところがその事実を知った愛知県地元住民より、放射能不安趣旨のクレームがメール等で寄せられたらしい。 開催主宰者である自治体はこのクレームを受け入れ、急きょ川俣市の花火の打ち上げ中止を決定したとのことである。 当然のことながら、福島県川俣市側は困惑を表明しているようだ。
私論に入るが、この種の復興支援イベントとは企画段階から慎重に計画実行されるべきだったの一言に尽きるのではあるまいか。
原左都子自身は決して、先だって暴言を吐いて辞任した鉢呂ナンタラ大臣のごとく福島が「死のまち」などとは捉えていない。 いつか遠い未来には必ずや福島の皆さんのかけがえのない郷里として復興する日が来るであろうことを、一国民として祈っている。
ただ、一旦目に見えない放射能にレベル7で汚染された国や地域がその脅威から復興出来る時期の遠さを、我が過去の医学経験からある程度は理解できる気もするのだ…。 その観点から考察すると、愛知県の自治体において昨夜行われようとしていた川俣市の業者制作による花火の放射能の程を愛知県側の市民が慮る思いも理解できる気もする。
福島の皆さんの復興支援を是非共行いたい気持ちは国民皆山々であろうが、ここは自治体の長や幹部たるもの放射能の脅威も少しは視野に入れて、企画段階から世間を騒がす結果とならぬよう、そして福島県民の皆さんの感情を逆なでする結果も回避するべく重々配慮した上でイベントを開催して欲しいものである。
(途中大幅略すが。)
私も当然ながら福島の復興を願う皆さんの思いは重々理解できている。
ただその思いと、自分の健康を放射能汚染から守っていくこととは元々相容れない命題ではなかろうか?
先だってのテレビ番組に於いて、とある有名人教授が「福島の野菜や牛肉を食べると健康を害するからできるだけ捨てよう」と発言をして世の物議を醸しているらしい。 当該有名人が発した言葉自体には信憑性があると私も考えるが、確かにこの種の著名人がメディアで発言をする時には視聴者が千差万別であるが故のその影響力の程を鑑みるべきであろう。 ただ、放射能汚染を巡る対応策とはやはり慎重になされるべきというのが原左都子の私論であることは揺らぎ無い。
土を削ったらそこで子ども達が運動会をしてもOK??? 福島はじめ東北地方の野菜や牛肉等の農作物を食べる事こそが復興に繋がる…… ???
どう対処すれば、その種の短絡的発想から抜け出れないでいる善良復興支援者達の真の放射能汚染被害を守る事が出来るのだろう……
日本原子力学会も本日遅ればせながら自らの過ちを認めた事だし、原左都子も真に国民の健康を放射能汚染から守るために今後如何なる行動を取ればよいのかについて、引き続き考えていくことにしよう。
ただその思いと、自分の健康を放射能汚染から守っていくこととは元々相容れない命題ではなかろうか?
先だってのテレビ番組に於いて、とある有名人教授が「福島の野菜や牛肉を食べると健康を害するからできるだけ捨てよう」と発言をして世の物議を醸しているらしい。 当該有名人が発した言葉自体には信憑性があると私も考えるが、確かにこの種の著名人がメディアで発言をする時には視聴者が千差万別であるが故のその影響力の程を鑑みるべきであろう。 ただ、放射能汚染を巡る対応策とはやはり慎重になされるべきというのが原左都子の私論であることは揺らぎ無い。
土を削ったらそこで子ども達が運動会をしてもOK??? 福島はじめ東北地方の野菜や牛肉等の農作物を食べる事こそが復興に繋がる…… ???
どう対処すれば、その種の短絡的発想から抜け出れないでいる善良復興支援者達の真の放射能汚染被害を守る事が出来るのだろう……
日本原子力学会も本日遅ればせながら自らの過ちを認めた事だし、原左都子も真に国民の健康を放射能汚染から守るために今後如何なる行動を取ればよいのかについて、引き続き考えていくことにしよう。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)
2020.07.27の今現在思うに。
2011.03勃発した福島原発問題に関しては、意外や意外、その議論が政権も専門家筋も含め国民全般の間で歪みつつも成り立っていたような記憶がある。
それは、この原発事故がまさにこの日本国内で勃発した大惨事だったからに他ならないのだろう。
片や、現在世界を震撼させている“コロナ禍”の場合、どういう訳か国内でこの危機状態に関する議論が未だまとまらない現状だ。
それはまさに、そもそも国内にて勃発した現象では無い事実であるが故であろう。
今一度繰り返すが、今となっては国家の首長である安倍氏がこの事案に関して一切姿を現さなくなっている。 都知事小池氏に関しては時折メディアに姿を現すものの、いつまでたっても科学的根拠無き発言にて場を濁すばかりだ。
要するに政治家達の底辺思想として、“コロナ禍”とは自分たちが蒔いた種では無いとの“他人事”意識がその根底にあるのではなかろうか??
とにもかくにも、この“”コロナ禍”問題、今後のその解決策を既に国民市民一人一人の思想と行動に委ねられている感覚を、私は既に6月頃より抱いている。
もちろん自治体によっては、力ある首長の下にその指導力が発揮されていることでもあろう。
ただ、国民達よ。
そうではない自治体が大多数である現実下に於いて。
今後とも、出来る限り自分の命は自分で守ろう!